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読書日記『消えたシュメール人の謎』

2007,,10
 岩田明著『消えたシュメール人の謎 ー新・日本人起源説』徳間書店
 古本屋で見つけたら、偶然、内表紙に著者のサインが入っていた。何かの縁と思い、迷うことなく購入した。

シュメール本 シュメール本、サイン
 
 日ユ同祖論についてはこれまでもたくさんの本が出版されているが、シュメールに関してはまだまだマイナーな感が否めない時代、たいへんなことをやった人がいる。
 この本の著者は、メソポタミアから発掘された世界でただ一枚の貴重な粘土板の記録から、シュメールの古代船を忠実に復元し、自らキャプテンとして乗り込み、インド人クルーと共に、インドから日本まで命がけの実験航海に挑戦したのだ。古代シュメール人が、南インド、東南アジアの海域を経由して、日本に渡来しているという事実を確かめたい一心で!
 その復元の記録と航海紀が本書。

 金属をひとつも使わない造船技術が、現在のインドにも伝えられていたことに驚きを感じると共に、日本の宮大工の技術に通じていないかとの空想もひろがる。
 シュメール船は商船として海洋貿易に使っていたものらしく、全長が15メートルにも及ぶ。紀元前数千年の古代船としては驚くべき巨体だが、さらに私が驚いたのは、奴隷の人手で漕いだのではなく、帆船として風力だけで移動していたらしいことだ。 おそらくは遠洋をさっそうと航海したのではなく、海岸づたいに停泊をくりかえしながら、時間をかけて移動したのだろうが、風を読む技にも長けていたに違いない。

 造船技術の問題、資金の問題、前代未聞の国境を越えた航海実験などなど、様々な困難が山積する中、いくらでもドラマチックに盛り上げられそうな内容を、妙に淡々と、飄々と描いている印象を受ける。好感が持てる部分でもあるが、まとまったドキュメンタリー・フィルムが残っていないことが残念でもある。

 1992年3月17日~6月17日。走行距離4032海里。 「キエンギ号」と名づけられた復元古代船は、日本の海域、久米島沖に来たところで、巨大な三角波に襲われ転覆する。岩田氏とクルー達は26時間の漂流の後、九死に一生を得る。
 キエンギ号はその後、横須賀市安浦のシンボル緑地公園にモニュメントとして永久保存された、……はずだったが、残念ながら煙草の不始末で焼けてしまったそうだ。
http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/rekisinonaka/owari/123kiengi.html
 そのような貴重な木造船を、なぜ屋内の設備で厳重管理しなかったのか、悔やまれてならない。

 「シュメール」とはメソポタミアに同居した異民族であるアッカド人が使った呼称であり、シュメール人自身は自分らのことを「キエンギ」と称していた。これが復元古代船「キエンギ号」の船名になっている。
 この「キエンギ」の意味は不明であると他の学者の本で読んだが、著者は「葦の地の主」の意であると、いとも簡単に言い切る。このあたり日本神話の「豊“葦”原の瑞穂の国」や「“葦”原の中津国」とリンクするものを感じて、胸が躍ってしまう。日本の山陰地方の出雲よりも遥か以前、有史以前の“太古”出雲帝国がアジア大陸の湿地帯にあった、とする私の妄想を裏付けてくれるからだ。

 こういう人は、学者の定説にないようなことを平気で掘り下げてくれるところが楽しい。仏典に説かれる崇高なる霊山、須弥山=シュミ山=スメ山=スメル山がシュメールと関連していて、釈迦は自らの祖先がスメル族であることを、仏本行集経(いちおう一切経=原始仏典のひとつ)の中で説いているというのだ。 また、その経典の中には、中国の『魏志倭人伝』より800年も先立って、「倭国:東海の海の中にある小さな国」や、そこの部族についての記述があるともいう。

 氏の著作には、他にもシュメールと日本と世界の古代文明のつながりにおいて、自説を展開したものが※何冊かあるが、シュメールへの情熱が強すぎて、“やや”トンデモ本扱いになるかもしれない。私には歴史観として体系づけられる以前の断片的な情報のほうが面白く、入門編としてはこの本がイチ押し。


※参考
『日本超古代文明とシュメール伝説の謎 世界最古の文明は中央アジアの高峰にあった』日本文芸社(平成13年発行)
『日本超古代王朝とシュメールの謎 日本建国のルーツ〈海人族〉と〈銅鐸族〉の正体』日本文芸社(平成10年発行)

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『東周英雄伝』 ~「忠」の考察 ~

2005,,26
 ネット通販で古本(漫画)が購入できることを初めて知った。12~15年前の初版で、すでに絶版となっている鄭問(チェン ウェン)/著、徳田隆/翻訳の『東周英雄伝1~3』をゲット! 各界のクロウト筋が絶賛する名著であり、歴史漫画の金字塔と言っていいだろう。

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 画の迫力と格調高さはすでに漫画の域を超えているが(すべて筆で描き分けているという)、読みきり短編の中に凝縮された歴史の重みと、生き生きと語りかけてくる登場人物の息づかいが、何度読んでもため息の出るような深い感慨を呼び起こす。
 なぜ、今、読み返す気になったかと言うと、どうしてもひっかかってくる「忠」の思想について、もう一度ルーツを探ってみたかったから。そもそも日本の武士道の中に流れる「忠」と、本家本元の「忠」は、違うんじゃないのか? 昔この漫画を読んだ時の、その強烈な印象を思い出したからだった。

 主君に「忠」であることの美徳は、中国の儒教思想が本家本元であるように言われている。日本では『南総里見八犬伝』で有名な、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳目のうちのひとつ。なぜか近代以降の日本では、ことさら「忠・孝」が儒学のイメージとして定着している。私の親くらいの世代では「国に忠、親に孝」という定型句が、すぐに口をついて出てくるだろう。
 孔子のオリジナルと日本の儒教ではかなり隔たりがありそうだが、そもそも中国の儒教自体が時代によって変遷している。少し調べてわかったことだが、孔子の本来の教えは、国を治める君子のための「五常の徳=仁・義・礼・智・信」が根幹であった。 後の宋代になって『孝経』という書物が付加され「仁・義・礼・智・信」の五常の徳に「忠・孝・悌」が添加され、その後の儒教では、もっぱら従属する側の「忠・孝・悌」が強調されるようになっていった、とのこと。……やっぱり!

 つまり、孔子の学問は、今風に言えば実践的リーダーシップ論であり、組織の経営哲学のようなもの。上の者がいかにあるべきかを、普遍的な真理の立場から究明したものであり、下の者が何が何でも上を敬い、従うことを強いた戒律ではない。
 神による普遍的な救いを求めたのがイエスのキリスト教。万人が自己の内なる“君主”となるべく、自己救済の王道を示したのが釈迦の仏教。孔子はもうちょっと実際的な“この世”の指針として、政治リーダーに普遍的な規範を示したのだと思う。
 ポイントは、特定の為政者や集団組織を、一時的に利するための兵法ではなかったこと。だからこそ、孔子もまた後半生は流浪を余儀なくされ、特定の主君には仕えることなく人生を終えた。(サムライ社会から見れば、生涯素浪人といったところか) 普遍的な真理を説き示す者は、特定の時代や権力に受け入れられることは少ない。往々にして、俗権力は自分らだけに有利に働かないものを、邪魔者と見て排除したがるからだ。
 サムライの語源は「侍う(さぶらう)」であり、貴人にボディガードとして“仕える”の意。特定の主君に仕えるサムライの使命と、特定の権力を超えた普遍的リーダーシップを説く孔子の儒教とでは、もともと視点の異なるものではなかったろうか。

 『東周英雄伝』に話をもどそう。
この漫画の中にも孔子は出てくるが、案の定「忠」とは無関係。(英雄ノ五 萬世師表)「忠」にまつわる逸話は、むしろ他の人物伝の中に散りばめられている。そもそも「忠」という概念は、国が常に存亡にさらされる厳しい戦乱の世で(儒教とは無関係に)自然発生した、有名無名の戦士や軍師達の魂の叫びではなかったか、という気がしてくる。
 どこの国のどの時代の兵士であろうと、国を守るために死を覚悟させられるのは常である。日本の武士道だけが特別だったのではない。(むしろ、戦乱の世が過ぎ去ったからこそ、ことさら「死」を復唱していなければ士気がたるんでしまう、というのが「武士道」の発端ではなかったか?というのが私の仮説) その「死」を自他にどう動機づけし、納得させるか。それが、日本の武士道と古代中国では違った気がする。中国では、「忠」が、「名(名誉)」と一対になっていたようだ。いや、「名」こそが主体であり、「忠」はその目的に付随してくる方便だったのではないか。
   
春秋の乱世にあっては 
男児の生命は まるで
蟻のように軽かった
だからこそ 彼らは
常に生命を賭けて
歴史にその華麗で壮絶な生涯を
書き残そうとしたのである
(英雄ノ十五 壮絶三勇士)

 即ち、武勲を立てて名を残すことが、自分の家族や血族の生活を優遇してもらえる方便につながったからだろう。
 この時代に「国」という存在は絶対的な前提であり、どんな愚かな君主だろうが、平民の側からすれば、そこから離れて生きながらえることはできない。(今の時代だって、ちょっとたがが弛んでいるだけで、本質的な状況はそんなに変わりない気もするが……) である以上は、逃げも隠れもせず、置かれた状況の中で命を完全燃焼すること。そして、後に残る者に、少しでも良い影響を残すこと。その行動表現が「忠」だったのだと思う。つまり、どこまでも自分の側(自己責任に基づく血族主義)に主体がある「忠」であり、日本型のように特定の上部組織に同化して溶け込もうとする「忠」ではない。
 どちらにも良し悪しあるだろうが、私はなんだか古代中国型のほうが好きだ。(もっと大きな、自然とか地球とかに対してなら話は別だよ。それだったなら日本的な無私の同化のほうが好きだよ) 今風に言うなら「自己責任の忠」であるから、たとえ裏切られても捨てられても、未練がましく女々しい責任転嫁にはならない。
 乱世においては、忠義を尽くすも裏切るも命懸け。どっちみち命の保障はない。波乱万丈に生きるも平凡に生きるも、命の軽さに変わりはないのだ。だからこそ、懸命に生きて死に、少しでも重んじられるような名を後世に記す。「人の命は地球より重い」とあやされて、逆に生命が軽佻浮薄になる時代とでは、裏返しの皮肉である。

 ところで、鄭問さんは台湾の人だが、中国の歴史と民族に対する深い愛情に裏打ちされた、本物の歴史観を教えてくれる。(どこまで事実に忠実か、という資料価値はよくわからないが、そうした枝葉の詮索を超えた、厳しい詩情がある) 昨今の共産中国では、決して教えていないことだ。国民が愚民化するとは、どういうことか? それは本物の歴史に学ばない、ということだろう。日本も決して他人事ではない。

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Twitterに合わせて、ハンドルネームを「五右衛紋☆Rhapsody」に変更しました。( 旧ネームは「三斗Ra隼人」、Twitterは「五右衛門☆Rhapsody」)


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拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

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プロフィール

1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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