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『アナと雪の女王』と(真の)岩屋戸開き

2014,,24
(前ふり)
なるほどねえ。ありそうで見なかったキャッチコピー。教習所のです。
恋と言われて愛に行く
(レンズが壊れた携帯で撮った画像なので、夢見るようにぼやけてます)

ちなみに検索かけてみたら、BlogのタイトルやTwitterのつぶやきでは、類似のものやそのまんまのものがけっこうありました。なんつうか、夢のあるコピーだよね。年配者では思いつきにくいかな。

……………………………

世界25か国のLet it Go。声質まで似ていることに驚くが、松たか子の日本語が出てくるとドキッとするのは、やはり私が日本人だからか?

Disney's Frozen - "Let It Go" Multi-Language Full Sequence

http://www.youtube.com/watch?v=OC83NA5tAGE

【動画】「アナと雪の女王」主題歌 松たか子の歌が素晴らしいと話題に 世界のネットユーザーからも称賛の声
http://kanasoku.info/articles/42620.html#Ogsl7yg.twitter_tweet_box_count

松たか子の歌声を世界が大絶賛!! 映画「アナと雪の女王」 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2139453521470617001

引用)評価 第86回アカデミー賞において『風立ちぬ』で本作とアカデミー長編アニメ映画賞を争ったスタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫は、宮崎駿が1957年のロシア版アニメ映画『雪の女王』を見て強い関心を持っていたエピソードを明かしつつ、
本作について、原作を大幅に変えながらもその精神である自己犠牲のテーマを変えておらず、なおかつ原作どおりに2人のヒロインを「男の子」の手を借りずに描き、「感心したのと同時に、今の時代を表している作品になっている」と述べた。


……………………………

6月11日

なんだかディズニー・アニメとしてもエポックとなりそうな予感。今の世界が、日本が、求めていた物語。・・・まだ、見てないんっすけどねえ。恋と言われて愛に行きたい作品。

少女よ、大志を抱け。この老人のごとく。

↑たまたま『歴史秘話ヒストリア』でクラーク博士やってたので、ついつぶやいてしもた。


6月13日

『アナと雪の女王』見てきました。予想通り「恋と言われ、愛に行く」ような映画でした。
後で調べたところ、アンデルセンの原作とはまるで違う創作ストーリーなんですね。ディズニーが宮崎アニメの(テーマの)影響を受けている、という噂も読みましたが、確かにそういう部分も感じられます。
とは言え、悲しくも美しい(美しくも悲しい、ではなく)、しかも強い(はかない、ではない)アンデルセン童話の基調も受け継いではいます。
いろんなことを感じ、考えさせられますが、ディズニー的なものと宮崎アニメ的なものと、テーマがクロスオーバーし共鳴している時代性に、一番感動したかな。

男女のラブストーリーがメインのお伽噺ではなくて、女性開放のテーマですよね。それも表面的な社会進出とか、そういうわざとらしいものではなく、内面の根本的なものですよね。それなくして、いくら社会進出したって、世界はフローズンしたままで、ちっとも変わらないんだよね。
それを老若男女が楽しめるディズニーアニメらしく、さりげなくポジティブに、コンパクトに仕上げたあたりが、さすがだなあという感じですが、反面、さりげなく物語の経緯をはしょりすぎたきらいもあり、わからない人には全然わからない映画でしょう。

日本の企業人間的社畜男子に、これをわかれって言ったって、無理だろなあという感じ。それで離婚騒ぎになるバカバカしさを揶揄するニュースなどもあって、海外ではあきれられてるようだけど、実はそれだけ日本における女性性抑圧と開放の問題は、深刻ということだよね。無自覚だっただけにね。

脱被曝離婚とアナ雪離婚を、同次元で解釈しようとするのは安易すぎる、…と当初は思ったものですが、結論が性急なだけで、案外、根は通低しているような(または当たらずとも遠からずのような)気がしてきました。それだけ日本の男女関係は、お互いの幻を愛してきたのであり、ひとたび真の隠された岩屋戸が開くと、徹底的な幻滅なのかもよ。

もうひとつ、この映画で感じたことは、アナとエルサは二人で一体ということ。これは日本神話のコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの物語に通ずる隠しテーマでもあり、二人(両面性)の統合が真の開放=岩屋戸開きにつながるのです。
その統合・開放された女性性を愛することができなくては、真の世界再生はありません。
その先に、真の男性性と真の女性性の統合・開放=岩屋戸開きがあります。
『記紀』のアメノウズメの岩屋戸開きなどは、ダミーとしての広告塔なのであり、もはや過去の終った話であり、世界の延命処置の価値さえありません。

「岩戸へお入りになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸を開くのが嘘を申して、だまして無理に引っ張りだして、この世は勇みたらよいものと、それからは天のうずめの命どのの、嘘が手柄となりて、この世が嘘でつくねた世であるから、神にまことがない故に、人民悪くなるばかり」(大本神諭 明治38年旧4月26日)

「天照皇太神宮様の岩戸開きは、騙した、間違いの岩戸開きざから開いた神々に大きなメグリあるのざぞ」(日月神示 磐戸の巻 第十五帖)

「次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、騙した岩戸からは騙した神がおでましぞと知らしてあろう」(日月神示 五十黙示録 弟十帖)


あるいは、有史以降の官製『記紀』神話のアマテラスではなく、それ以前の高次元女神であるククリヒメ(キクリヒメ、シラヤマヒメ)の復活も暗示しているかもしれません。白山比咩は雪の女王のイメージですしね。この場合、アナとエルサは、ククリヒメとイザナミかもしれません。
おそらく霊的世界では連動してると思います。(この世の制作者が意識していなくとも、リンクするイメージが降ろされているということ)

おまけの感想としては、(ネタバレになりますが)アナに近づいた12人の兄がいる末っ子の王子。徹底的なヒールに描かなかったのもよかったかな、という気がします。アナやエルサとは見ている世界が違うけど、ある意味、この世界の犠牲者かな、という視点も必要かと

……………………………

【日本語の響きの謎】

日本語に秘められた謎:「NWOvs日本」と「超古代世界語は日本語だった!」 : Kazumoto Iguchi's blog
http://t.co/AYLQYqQl9m

原語歌詞が「今のNWO世界統一政府(陰謀の世界征服闇権力)の面々の感情そのもの」で、日本語ヴァージョンがその真逆、…というのは、やや我田引水でこじつけっぽい気もするけど、日本語(の原型?)に何かそういう原初の力があるのかなあ、という?な部分はある。

日本語の発音とか発声が、世界スタンダードから見て異質なので、つなげて聴くと、ぱっと浮き彫りになる効果もあるのかなあ?
日本語やそれに類似の東南アジア系の発音に、ヨーロッパ系をちょっとだけ混ぜたら、やはりそういう効果はあるんじゃないのか?

でも、松たか子さんが個人的に持つピュアでキュートな波動というのも、大きいかもしれない。
アナ吹き替えの神田さやかさんも、思ったよりも相当うまくて、まいりましたぁ!という感じだったけど、こちらはさほど話題になってない。単に主題歌を歌ってないから目立たないだけか。それとも、歌声の発する波動が西洋系セクシーねえちゃんの基本路線に近いから、あんまり珍しくないのではないか?なんてね。
それだけ松たか子の発音・発声のほうが、本来の日本語に近いということか。

歌詞に関しても、日本語訳のほうかさわやか系で透明感があることは確かだね。
物語の必然性からいったら、この歌が歌われる場面では、まだ屈折した暗さ半分、開き直りの解放感半分なのだから、当然、原語のニュアンスのほうが妥当なのだけど、それをもプラスマイナスで帳消しにしてしまうほどの存在感が、松たか子の歌声にあったということかな。

「でもアラビア語を入れてないっていう暴挙にちょっと悲しみを感じてる」という、アメリカ人の個人的良心にも感動した。

……………………………

【盗作問題】

『週刊文春』(6月12日発売6月19日号)が、最低につまらない『アナと雪の女王』の皇室関係者の噂話を書いてますが、それよりもこっちのほうが、ネタとしては興味深い。

[【ネタバレ注意】アナと雪の女王は日本アニメ○○の盗作だと話題] - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2139549980269665201?guid=on

それでも今回のディズニー編の切り口はそれなりの価値はあると思いますが、アンデルセン原作ではなく、『聖闘士星矢』のリメイク(リニューアル)とすればよかったのですね。

……………………………

【著作権闘争】

ディズニーの著作権闘争も、醜いっちゃあ醜いよね。コングロマリット利権の宿命っちゃあ宿命だけど。感動を呼ぶオリンピックやワールドカップの裏に、常に札束で顔をひっぱたくような世界があるのと似たようなものか。

米国最新IT事情 - ミッキーマウスは誰のもの? 著作権の「寿命」を争う裁判が最高裁で始まる 2002/10/15 
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/ITPro/USIT/20021012/1/
April 1, 2007 著作権保護期間は、150年にでも500年にでもできる、ディズニーが存続する限り。-ディズニーCEO語る
http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200704010000/

日本マンガ・文化論第15回 アメリカ その5 ハリウッドとディズニーの問題点
http://www.geocities.jp/laugh_man_is/dai15kai.htm
第14回 アメリカ その4 ディズニー 苦悩と躍進
http://www.geocities.jp/laugh_man_is/dai14kai.htm
(↑ウォルト・ディズニー以後の企業史概要。 )

悪があるうちは「悪を抱き参らせて下されよ」ということも、プロセスの現象として避けられないでしょうね。

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三種の神器には、当たり前のように?!分身がある

2014,,29
さりげなくこんな記事がありました。神道古代史ファンや皇室オカルト・ウォッチャーには、捨て置けない歴史的事件ですね。

▽剣と璽、20年ぶり「外出」 両陛下の伊勢参拝:朝日新聞デジタル (2014年03月24日)
http://buzz.news.yahoo.co.jp/article/ffa0dfde5ca2647135e830f726d203795f11bab7/

▽両陛下が帰京=剣璽も皇居に戻る (時事通信) - Yahoo!ニュース(3月28日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140328-00000080-jij-soci

「二種の神器(剣と璽)」といっしょに参拝したということか。それだけでも、実は神宮創建以来、伊勢参拝を敬遠していた皇室としてはエポックだが…。
ちょっと待てよ? 剣は熱田神宮、勾玉(璽)は伊勢にあったんじゃなかったっけ?
…と思って調べてみたら、この本は面白そうだね。(右翼とかアンチ天皇制とかの話じゃなくて、歴史的興味だよ)

▽『三種の神器 〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源』 祟り神は守護神となる
http://honz.jp/21288 http://www.google.co.jp/gwt/x?hl=ja&client=twitter&u=http%3A%2F%2Ft.co%2F8FYptCcaor

引用)しかし実物が天皇の手元にあるわけではなく八咫鏡本体は伊勢の神宮の皇大神宮に、草薙剣は名古屋の熱田神社にご神体として奉斎されているため、形代という分身が皇居に置かれている。唯一、玉璽と言われる八坂瓊曲玉のみ本体が宮中にあるとされている。

宮中に置いて最重要視されているのは、アマテラスの御霊代、御神体として近くに置くようにと命じた八咫鏡である。これだけは宮中三殿の賢所に重要に斎き祀られ、明治維新後は明治、大正、昭和天皇の即位のときにだけ京都御所へ動かされただけだ。しかし、八坂瓊曲玉、草薙剣は通常、天皇皇后両陛下の寝室の隣に設けられた剣璽の間に安置されており、行幸、つまり旅行などの際は携行される。これを「剣璽御動座」という。賢所という社殿に祀られる鏡と、どこに行くにも携帯される剣と玉、その待遇の差は明らかである。

賢所は皇居の森奥深くにある神殿、皇霊殿、賢所の宮中三殿のひとつである。ここに八咫鏡の形代は安置されているが、なぜかふたつ唐櫃がある。どちらも高さ90センチ、縦横80センチで重量は200キログラム。火事や災害の折には今上陛下より先に避難が決められていて、どちらも若き皇宮護衛官6人で運び出すことが決められている。配置は室町時代に吉田兼倶によって決められたものだという。そう、日本の神道総本山ともいえる、吉田神道が関わっている。

古事記、日本書紀に書かれていることを平易に読み解くと、こんなに人間臭いものなのかと驚くことだろう。祀るという行為は、本来「祟られないように奉る」ことである。三種の神器それぞれも、害を成したことによって祀られ、それでも祟りを恐れて八咫鏡と草薙剣は第10代天皇崇神天皇により皇居の外へ出され、やがて伊勢神宮、熱田神宮に祀られることになるのだ。

神器は古事記、日本書紀以前から存在していた。もし、今、これらを化学分析することができれば、日本のルーツがわかるはずである。誰も見たことのない宝物は、これからも日本人の心の拠り所と成り得るのだろうか。



しかし、「形代というか分身」の剣と玉璽なのに、まるで本体まで皇居にあったかのように、当たり前のように書く報道とはいかがなものなんだろうか。
戦後ポピュリズム左傾化を経て、天皇そっちのけ右傾化が横行する昨今、事実を曖昧にしてまで、やっぱり皇室を箔付けしたい傾向がマスメディアにはあるのだろうか。


天皇家と伊勢神宮との捩れ関係の謎に関しては、、このへんが入門編としていいかな。

▽日本人の1%しか知らない伊勢神宮7つの秘密
http://bushoojapan.com/scandal/2013/10/02/6629

引用)その4 天皇が伊勢神宮を参拝したことはなかった 

意外かもしれませんが、実は江戸時代までの歴代の天皇で伊勢神宮を参った天皇はいませんでした。。。なんと、初めて参拝したのは明治天皇だったのです!

廃仏毀釈をはじめとする明治時代の「国家神道」というものが、いかに日本本来の歴史と伝統からかけ離れた「作られた伝統っぽい文化」だったことの証拠のひとつです。

伊勢神宮が、アマテラス大神をまつる国家第一の神社として存在したことが、歴史上間違いなく言える、ぶっちゃけ言うと、「日本NO1の伊勢神宮を創設した」のは、飛鳥時代末の天武天皇と考えられています。



細かくツッコムとまたややこしいし、その時代その時代のやむにやまれぬ事情というものもあっただろうし、どういう事情であれ我々はその子孫としてこの国に暮らしていることは事実です。
が、最初から最後まで単一民族・単一文化のシンプルな愛国心でまとまっていたわけではないことは、自覚しておいたほうがいいでしょう。日本国家は昔っから(有史以来)、捻じれてもつれた糸なのだ。

異説?「お雛様のホント」から、日本神話の深淵を覗く

2014,,03
お雛様のホント|【湘南・鎌倉 】子ども専門スピリチュアルヒーラーが伝える子育てがラクになり自分が好きになるhappysteps
http://ameblo.jp/cherishhikari/entry-11181169079.html より。

引用)
お雛様は、天皇と皇后のことかなぁと思ってましたが
日本書紀を調べていくと、ちょっと違った見方がありました。

とても興味深かったので、
少し調べてた事と、お話会の内容を私なりに合わせながら
シェアしたいと思います

お雛様は、天皇と皇后ではなく

お内裏様はスサノオ(日本神話に登場する神)で、
お雛様は天照大神(太陽を神格化)です。

(中略)
さて
アマテラスとスサノオの誓約
(※詳しくはコチラをどうぞ→☆ http://ja.wikipedia.org/wiki/アマテラスとスサノオの誓約)により、
三柱の女神(三人官女)と
五柱の男神(五人囃子)が誕生しました。

雛祭りの本当の意味は
上記による
アマテラスとスサノオの誓約という神話を反映しているんですね。


…………………………………………

三人官女と五人囃子が、アマテラスとスサノオの誓約(うけい、うけひ)から生まれた三女神と五男神だった、という話は私も初めて知り、へえ~!と思いました。

お内裏様とお雛様は夫婦ではなく姉弟神だった、というわけですが…。

但し、出雲の覇王だったスサノオが九州遠征して、いわば政略結婚して現地妻にしたのがアマテラスだった、という異説もあります。原田常治、小椋一葉、神一行などの研究者が唱えていて、マニアの間ではいまやかなりポピュラーな説となっています。

日本神話、と言うより紀記神話の神々を、歴史上の実在した王朝の人物とするか、
もともと惑星規模の霊的存在だったとするか、
それとも民族的な集合無意識の産物で、リアルな歴史ともスピリチュアルな存在とも関係ないとするかは、
あまりにも視点が隔たっていて、一人の研究者の頭の中では並立しえないのが普通です。

が、神々の転生(受肉化)と輪廻によって、天上界と現世の複合重層的な合体シンボルとして造形されてきた物語が神話だったのだ、…という視点から、私は整合を試みたい立場です。
もちろん、それがこの世の政治的事情によって変形、あるいは捏造アレンジされることもあったでしょうが。


但し、雛祭りに関しては、

古代中国の三月の巳の日に川に入って穢れを清める「上巳節」が宮中行事として伝わり、わが国上古の雛遊びとが結びついたもの
雛祭りについて|神社アドバイザー☆HARUTOの徒然草紙  http://ameblo.jp/cherishhikari/entry-11181169079.html より。

という定説にも、説得力を感じます。おそらく、それと記記神話との習合だったんでしょうね。



我々の元気か半死状態の親(?)達に

2011,,09
原発利権よ、国民はあなたのものだったけれど
あなたは決して国民のものではなかった
住民は安全を求めていたのに
あなたは利潤しか求めなかった
だから言おう
さようなら さようなら

東電幹部よ、あなたがたは逃げまくった
住人や下請け作業員は逃げられなかったのに
原発は安全管理が必要だったのに
電事連は利益と保身しか必要としなかった
だから言おう
さようなら さようなら

子孫たちよ、我々がしたことを繰り返してはいけない
我々はろくに識ることもせずに
利用しようとした
だから言おう
さようなら さようなら

藤波心さん 行かないで
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html
いしだ壱成さん 戻ってきて
http://ameblo.jp/isseiishida/archive1-201103.html 

上杉隆さん 行かないで
http://bit.ly/gLUtE5
米外務省公電 戻ってきて
http://www.francemedianews.com/article-69992043.html 

河野太郎さん 行かないで
http://www.taro.org/2011/03/post-963.php
佐藤栄佐久前福島県知事 戻ってきて
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2275
 
菊地洋一さん 行かないで
http://www.stop-hamaoka.com/kikuchi/kikuchi2.html
平井憲夫さん 戻ってきて
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page1 

小出裕章さん 行かないで
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/5100a303e6e2fd289721ea778a5d6cb3
上原春男さん 戻ってきて
http://www.youtube.com/watch?v=B1aAYwCnRt8

NHK水野解説員 行かないで
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/dqnplus/1301402412/
NHK『現代史スクープドキュメント』 戻ってきて
http://blog.livedoor.jp/narato2/archives/2818500.html

斉藤和義さん 行かないで
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%89%E8%97%A4%E5%92%8C%E7%BE%A9+%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F&hl=ja&rlz=1T4GFRC_jaJP202JP203&prmd=ivnsuo&source=univ&tbm=vid&tbo=u&sa=X&ei=eFKfTf-SNMmecI6c0O4B&ved=0CDcQqwQ
忌野清志郎さん もどってきて
http://protestsongs.michikusa.jp/japanese/summertime.htm



お察しの通り、レノン『マザー』の本歌取りです。
http://www.youtube.com/watch?v=KqxtnvFNfxM&feature=player_embedded

民の希望と幻想 ~ 祭政一致と祭政分離のドラマ ~

2010,,08
 近現代の民主主義国家では祭政(政教)分離がタテマエとなっている。現代人はそれが当然のように思っているが、古代では祭政一致が当たり前だった。これを古代が野蛮で現代が先進的だと、単純に解釈してよいものなのかどうか、深く考えたことのある人は少ないだろう。

 たとえば、個人主義と自由・民主主義の最先端を標榜してきたようなアメリカも、実はイスラム圏に負けず劣らず、国家規模で非常に信仰深い国であったりする。戦後、欧米社会を模倣して無神論の科学的合理主義になった、と自認しているような日本人は、それを是認するにせよ批判するにせよ、かなりずれた認識であることになかなか気づこうとしない。

 本当に「本当の神」の意向が政治に反映するならば、それはけっこうなことだとは思わないか?
 あるいは、祭政が分離することで、本当に人々の迷信や迷妄が打破できたのなら、とっくの昔にユートピアになっているとは思わないか?
 実は太古の昔から、政治体制がどう変わろうとも、権力者の欲望と大衆の愚かさは、本質的なところでそんなに変わっていない気がする。
               title_1善徳

 そういうテーマを鋭くえぐったドラマに、初めて出会った気がした。どんなに大衆娯楽エンターテイメントであっても、こうした視点を持つところに、韓ドラ時代劇の凄いところがある。歴史的に厳しい動乱にされされてきて、眼をそらすことができなかったことの代価だろうか。(未だに冬ソナのイメージだけしかない人は、あれは日本の昔の純愛ドラマのコピーから入った延長の、韓国版こってり味付けであることを理解するべきだろう)

               20090819_493510善徳

 ▽以下は『善徳(ソンドク)女王』第29話から、主人公と悪役との対話。

「私から奪った神権は王女様が持つべきです」

「その場合また奪われかねません」

「それを恐れて捨てると?」

「捨てるのではなく、民に返すのです」

「それは捨てるということです。神権を捨てどのように国の統治を?」

(捨てることになるのかな。統治できなくなる?)

「そうです、王女様。私たちは政権を争っていますが、争いにも規則があります。これは規則違反ですよ。どうやって王権を保ち権威を示すのです」

(どうやって権威を示すか?)

「どうやって民を治めるのです?」

(どうやって民を治めるか?)

「お答えください。その方法とは?」

「真実です」

「真実?どのような?民は王女様を新たな天神の王女だと、その民にどんな真実を?“何も知らぬ、神秘的な力などない”そんな真実を?」

               善徳女~1

「格物(当時の実用科学・博物学のようなもの)とは物事の道理と真実を明らかにするもの」

「それで?」

「璽主(セジュ、玉璽の管理する官職)は真実のための格物を利用し、施主が天候を動かすかのような幻想を作り上げた」

「民は幻想を望みます。天災を防ぐ超人的な力を望むものです。幻想こそが統治の原動力です」

「いいえ。民が望むのは、希望です」

「民の希望? 王女様。民や群集の恐ろしさをご存じないのですか?」

(恐ろしさだって?ミシルにも恐れるものが?)

「群集の希望や欲望の怖さを、ご存じないでしょう?」

「ええ、私は怖くありません。ただ飢えることのない平穏な生活を、民は望んでいる。幻想は望んでいない」

「民は雨の降る理由などに興味もないし、日食が起こる原因など知りたがらない。誰かが雨を降らせ、日食を防げば満足なのです。民は無知で愚かな存在です」

「それは民が何も知らないからです」

「そうです。知りません。民は自分たちの望みも知らない」

「民が暦本を知れば季節を知り、種まきの時期を知る。雨の原因を知らずとも、雨を農業に利用する方法を知ることができる。そのように一歩ずつ進歩していくのが民なのです」

「知識を得るということは、苦痛につながります。民にとって知識はつらくて疲れることです」

「希望はその苦痛や疲労に耐える力を与えます。希望と夢を持った民は、神国を豊かにするでしょう。私と同じ夢を見る者たちと、私は新羅をつくっていきます」

(まさか、この王女が望んでいるものは・・・)

(これは本当に私のしゃべっている言葉なの?)

「王女様。私は民の幻想について語り、王女様は民の希望について語られました。ですが、その希望が、その夢こそが、最も残酷な幻想なのです。王女様は私よりも狡猾なお方ですね」

(そうかもしれないわ。だけど・・・)


               2041451648_e6b99a9e_5善徳

 新羅、百済、高句麗の三国時代の末期の話なので、7世紀頃だろうか。まあ、細かいストーリー仕立ては7~8割フィクションだとは思うが、大筋のところで全くの作り事は描けないだろう。この時代に祭政一致から祭政分離への政策を意図的に選択したというのが事実だとしたら、世界史的に見ても相当なエポックではないだろうか。

 細かい解説・解釈はきりがないので避けるが、今の時代でも、このテーマの深い闇は何も変わっていない。
 為政者の祀り上げる「神」が、マスメディアによる情報操作という、別の神に摩り替わっただけの話だ。偽りの神のつけいる隙との分離は、終りのない魂の戦いである。

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Twitterに合わせて、ハンドルネームを「五右衛紋☆Rhapsody」に変更しました。( 旧ネームは「三斗Ra隼人」、Twitterは「五右衛門☆Rhapsody」)


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プロフィール

1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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