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竹林の“奥の間”の夫婦岩 ~ 国産みの島、淡路⑪ ~

2008,,24
国生み伝説のみち
               淡路一宮 国生み伝説のみちより転載。


 もうひとつ淡路の磐座を紹介する。前回の岩上神社の山から下りてまもなくのところ、夫婦岩と名付けられた磐座がある。
 「淡路一宮 国生み伝説のみち」などと名付けて、伊弉諾神宮から海辺へと出るハイキングコースを紹介するサイトがあるが、実はこの道、車でも非常にわかりづらい。その上、すでに三月でも島の直射日光は相当にきつく、とてもじゃないがよそ者が行楽気分で歩けるようなルートではなかった。(自転車なら何とかなるかもしれないが、縮尺の大きな正確な地図を持って、涼しい季節に行くことをお薦めする)

 3月24日
 田園風景の中、まばらに点在する郊外の住宅風景が混じって、交差する道のところどころにそっけない案内の表示はあるのだが、それでもわけがわからず同じところをグルグルと回ってしまった。結局どこをどう向かって行ったのか、位置感覚がさっぱりつかめない。(言っておくけど、舟木石神などよりもよほど見つけづらい)

 目的の夫婦岩は、脇道からやはり小高い丘陵地へと上り、さらに見過ごしてしまいそうな横道の、狭い林道の奥にある。しかもこの入り口が鬱蒼とした竹林になっているのが、竹取物語みたいでミステリー。
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 写真の私は微笑んでいるように見えるが(私の背後が狭い入り口)、妻などは例によって[m:246]ビビりまくり。やんちゃ犬ラルフはというと、私と共に居る限りはノーテンキ。

 外はカンカン照りなのに中は薄暗い林道をしばらく行くと、ひときわ太い樹木の向こう、小さな祠が見えてくる。そのすぐ下の斜面に夫婦岩はあった。もっとたくさんの磐座群を期待していたので、やや拍子抜けだが、これはこれで秘境である。
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 上下に重ね餅状になった二つの岩を、夫婦になぞらえたものらしい。ひとつの岩をカットした跡のようにも見えて、他所によく見られる並立する自然石を陰陽・夫婦と見立てるスタイルからすると、かなり異色かもしれない。
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 下の女石が上の男石を支えているのだと言うが、ほとんど組み敷かれているようにも見えて、今風の考えからすると、男尊女卑だと非難されはしないだろうか。娘の結婚式帰りで、その時は何も知らなかった我々は、上が新婦で下が新郎だ!などと勝手な冗談を言い合って喜んでいた。

 後でサイトを見ると、この姿は夫婦の媾合(まぐわい)を表しているんだとか。
⇒夫婦岩・夫婦滝(不動滝)・俵石 [壁紙写真集-無料写真素材]
 この岩の形からそういう色っぽい行為を想像できる人は、相当イマジネーションが豊かなのか、それともヘンテコか、どちらかだろう。(修行の足りない私には、全くの死角だった!) まあ、夫婦神の国生み神話の伝統故の、こじつけの気がしないでもない。多産・豊饒の神話とセクシーさが必ずしも結びつかないのが、我が国古代の伝統かもしれないし…。
 とは言え、このような見つけづらい奥まった場所にちんまりと納まっているのは、家で言えば奥の間の秘め事のような雰囲気がしないでもなく、媾合神話を取り込んだ当時の島の人たちの、奥ゆかしさを感じて微笑ましい気にもなる。

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 それにしても、淡路大震災でもベッドからずり落ちることなく、せっせと子づくりに励んでいたのだろうか。

 車まで戻って発進してすぐに、ハンドルを握る妻がブレーキを踏み、窓から身を乗り出した。どうやら進路に猫が居座ってしまったらしい。ここでは虐める人間が居ないのか、妙に堂々としている。
 そういえばここに来る途中でも、何匹もの同じ色の猫が道端でたむろしているのを見た。同じ先祖から分かれた兄弟だろうか。今まで見たこともない灰色と紫色を混ぜ合わせたような光沢の縞模様で、野良にしては毛艶がビロードのように波打ち輝いていた。民家もほとんどない地帯なのに、どうやって暮らしているのだろう。
 猫が霊場の守り主の象徴と関連しているという私の直感は、以前にも書いたが、この時はなぜか忘れていた。デジカメの残り枚数が減っていたからか、車から降りて猫さんの記念写真を撮るという発想も浮かばなかった。
 今からすると残念だが、それだけ霊場捜しの一日に疲れていて、早く帰途に着きたかったのだろう。


(つづく)

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物部系の磐座、岩上神社

2008,,24
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               石上神宮s

△写真上:奈良県天理市の石上神宮、拝殿。
石上神宮 - Wikipediaより転載。
△写真下:同、石上神宮の大鳥居。
石上神宮より転載。

淡路の岩上神社は、この石上神宮から勧請された。



 淡路島の磐座(いわくら)は舟木石神だけではない。まだまだ得体の知れない古代の磐座信仰の痕跡があちこちにある。それらの中から、3月24日、娘の結婚式で高知の帰りに寄った時の、岩上神社を紹介しよう。
⇒岩上神社 巨石信仰 神籬岩(ひろもぎいわ)-淡路島
⇒岩上神社 磐座

 岩上神社は淡路一ノ宮の伊弉諾神宮から、車で5~10分程、西南に向かった低山の中にある。これもあまりメジャーな神社ではなく、地図にも乗っていないことが多いが、磐座ファンには知られたところらしく、サイトを見ても祭神がどうのこうのの神話的アプローチより、磐座遺跡への興味から書かれているものがほとんど。あるいは気功などのパワー・スポットとして、もの好きな人が目をつける場所のようだ。
 私自身、淡路島の神社の中では、なぜか一番しっくりときた。どこか河内(東大阪)に集中する饒速日を祀る古社と似た波動を感じたが、これを書くために調べたところ、祭神は布都魂神(ふつのみたまのかみ)とのこと。大和の石上神宮から分霊を勧請したのが創祀とされているというから、なぁるほどと頷いてしまった。
⇒岩上神社 ~兵庫県神道青年会~
 石上神宮は剣神を祀った社で、神武のふるった剣と、素戔嗚が八岐大蛇を退治した剣と、物部神道伝来の天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)の霊威を祀った神社とされている。
⇒石上神宮の2

 しかし、石上神宮は、どうも神武よりも饒速日に従っていた物部氏のカラーが強かったのではないか、という気がしてならない。
 饒速日系の先住:物部(外物部)は、神武系の東征:物部(内物部)によって、大半は大和から駆逐される。しかし、戦略的に神武に下り、二重スパイ的に神武の参謀となりすました者達が居て、彼らが石上神宮を築く中心勢力となる。後に神武系の物部は蘇我氏との抗争で大敗し、一気に零落してしまうが、かつて饒速日系だった物部は後ろに控えて抗争に加わらなかったため、かろうじて朝廷内に潜伏する。だから、神武系の大和神社はすたれたのに、饒速日系の石上神宮はそのまま勢力を維持することができたのだ。(あくまで私の仮説だよ[m:58])

 前にも述べたように、明治になって樫原神宮が創建されるまで、初代天皇ともあろうべき神武を祀る国家規模の社は存在しなかった。それだけ神武勢力は徹底的に叩かれ、駆逐され、『記紀』史観に名義だけ利用されていたのだ。
 この神系=霊界勢力が、リバウンド的に勢力を復活させるのが明治維新以降であり、いわば神武の逆襲である。このあたりから世界大戦へと向かっていく時代に、「大和魂」や「武士道」を感じ、日本男児の心意気を感じてしまう人は、こっちの霊界・神界が魂の故郷なのだろう。私自身は今さら論じるまでもなく、ぜ~んぜんっ!なので、あしからず。
 ちなみに戦後は卑弥呼の霊界勢力が活発に表に出てきたので、邪馬台国の研究が盛んになった。伊勢神宮に祀り上げられて、都合よく崇め奉られているだけではいたたまれなくなったので、自分らの出自を明かしたくなったのかもしれない。(仮説だよ)


 それでは、本題の岩上神社を見ていこう。
 まず拝殿。そうとう古びている。屋根にシャチホコのようなものが見えて、神社建築っぽくない。なぜか「岩上神社」ではなく「岩上大明神」と掲げてある。
 この拝殿の向かって左横あたりに、御神体の磐座まで登っていく階段が設けてある。
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 階段から、磐座を見る。岩の上部に生えている草(苔?)が、なんだかカツラをかぶった頭のように見えてユーモラス。きれいに刈りそろえてあるところも面白い。
 細長いのが、てっぺんのほうの磐座。
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 上から本殿と拝殿を見下ろす。
 春日造りの朱塗りの本殿は、龍田大社の旧社殿を譲り受け移築したものだという。拝殿とのアンバランスが奇妙だが、その場に居ると全体の雰囲気に溶け込んでしまって、なぜか不自然な感じはしない。
  この階段の頂上からは、彼方の海も見える。(写真は撮りそこねた)
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 本殿の後ろ側から斜めに見上げるようにして、磐座を拝むことができる。
 ふつうは拝殿を通して御神体を拝めるように、正面手前に拝殿を置くものだが、こういうアンバランスにゆらいだ配置も、縄文的デザインで面白い気がする。
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 ちょうど昼過ぎの太陽が磐座の背後にまわり、逆光となる。朝は正面から日光を浴びる形となるのだろう。建造物の位置よりも、こうした大自然による配置・演出を第一として残したため、奇妙なレイアウトになったのだろう。
(左の写真に巨大オーブのような白光がうっすらとかかっている。右も小さめの玉が磐座中央付近に見える)

 磐座の全体像を、望遠で撮ったもの。
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 共通の境内を挟んで、神社と寺が正面から向き合っている。神護寺の一種だろうか。由緒書きを写してくるのを忘れたので、寺の名前もわからない。
 ともかくユニークなレイアウト感覚なんだよな、物部ってのは。定規で引いたような弥生的整然さをハチャメチャに崩壊させる、縄文的遊び心に満ちている。(テレ朝「ナニコレ珍百景」まではいかないかな)
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 これは感動もの!? 戦時中の軍事物資として供出された鐘が、各地を転々として「五十年の怪奇な遍歴」の後、平成5年にこの地に帰ったという。その鐘と、説明の記念碑。
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 この地にふつうではない磁力があるから、このようなことも起こるのだろうか。

 私に近い感性の人には、淡路に行ったらイチオシの霊場です。

(つづく)

複数の「太陽の道」 伊弉諾神宮(後)

2008,,24
太陽の道

太陽の道2

      上:伊勢久留麻神社 (淡路市)より転載。
      下:『太陽の道Ⅱ(no,1)』より転載。


 (3月24日、伊弉諾神宮の続き)
 伊弉諾神宮の参道途中、向かって左脇あたりに目を引くモニュメントがある。日時計のようにも見えるが、「陽の道しるべ」とある。
日時計

陽の道しるべ

 伊弉諾神宮を中心として、春分と秋分の日の出・日の入りライン(真東⇔真西)、及び、夏至・冬至の日の出・日の入りライン(東北⇔西北、東南⇔西南)を結ぶと、そこに縁の深い重要な神社や遺跡が並んでいる、と説明している。
太陽の運行表
 
 こちらはもうちょっと詳しい説明の石碑。(写真を縦に置きなおすと、縮小されてしまって字が読みづらくなるので、横置きのまま失礼)
平成18~19年の日付けが刻まれているので、決して古いものではない。事前にホームページなどで調べた時もこの情報は得られなかったので、何を思い立ったか最近のアイデアということになる。
ひのわかみやと・・・
 そもそも日本全国、神社だらけなのだから、どこを中心に持ってこようがどこかしら当たってしまうだろう、というイジワルな見方もできないではない。
 が、特に縁の深い神社として、御子(娘)神とされる天照大神が祀られる伊勢の皇大神宮(内宮)と東西のラインで結ばれ、その中間点に飛鳥藤原京があったとするあたりは、なるほど意味深げなものがある。そもそも7~8世紀大和朝廷アレンジによる『記紀』の神々の世界観としては、女神アマテラスの先代太陽神がイザナギだったのであり、イザナギの引退後はアマテラスが日の出の方向(東)に位置する朝日の神格、イザナギは日没の方向(西)で入り日の神格。これを「太陽の道」として結びつけるのは、なかなか理にかなったことだろう。

 とは言え、実は淡路島ゆかりのこの発想には先駆けというものがあった。ひと昔前、別のラインが「太陽の道」という命名によって、マニアの間でちょっとした流行になったことがあるのだ。
 大和の三輪山麓にある箸墓を中心として東西に貫通する線上に、重要な古代遺跡が点々と並ぶという説がそれで、その西端に位置するのが、淡路の舟木石上聖石群、伊勢の森、伊勢久留麻神社などになる。(トップ写真参照。伊弉諾神宮はこのラインに入っていない)
 伊弉諾神宮の「陽の道しるべ」は、どうやらこれをパクってきた感がある。いや、これの発展形であろうと、謙虚に受け止めておきましょう。

 この説の発端は、写真家の小川光三氏に始まり、NHKディレクターの水谷慶一氏が受け継ぎ、郷土史家の濱岡きみ子氏の調査・報告(1984年)にまとめられ、その後、作家の荒俣宏氏などが中国の風水やイギリスのレイラインにからめて発展解釈してから、俄然ポピュラーになったようだ。

⇒『太陽の道』(サンロード) 
⇒『知られざる古代』の証言
⇒太陽の道
⇒太陽の道を検証する(1) - 日本の「レイライン」を真面目に研究するブログ

 私自身としては、女神アマテラス、卑弥呼、伊勢内宮(皇大神宮)、藤原京、などに連なる神界には、さほど親近感を感じない輩なので、後から取り沙汰されてきた「諏訪-鹿島レイライン」だとか、
⇒諏訪-鹿島レイラインの研究/百瀬直也
岡野玲子の漫画『陰陽師』による、若狭から天川・玉置・熊野の南北レイラインなどのほうがはるかに魂がふるえるのだが、
⇒スピリチュアル カウンセリングと神社・聖地の情報 岡野玲子氏の陰陽師
「太陽の道」のオールディーズ・ナンバーとも言うべき小川・水谷説も、いちおうさらっておくべきかもしれない。
小川光三『大和の原像 知られざる古代太陽の道』(大和書房1980年)
水谷慶一『謎の北緯34度32分をゆくー知られざる古代』(日本放送出版協会1989年。1980年2月11日にNHK特集として放映されたものの書籍化)
荒俣宏『風水先生レイラインを行く 神聖地相学世界編―荒俣宏コレクション2』(集英社文庫1997年)

 
 というわけで、5月に淡路を再訪した折、オリジナルの小川・水谷説「サンロード=太陽の道」の西端である、舟木石上や伊勢久留麻神社も訪ねてみたのだった。

(以下、次回へ…)

神々の序章と終章 伊弉諾神宮(前)

2008,,24
          あめのぬぼこ

     △天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代)

 イザナギ・イザナミの二神が、天の浮橋(あめのうきはし)に立って、未だ作り固められる以前の世界を天の沼矛(あめのぬぼこ)でかき混ぜているところ。この沼矛の先からしたたり落ちた塩水が重なって、オノゴロ島となり、その島に天降って国産み・神産みが始まる。



 淡路島が神話の島だと言うことを知らない現代人は、意外と多いかもしれない。数々の神々がドラマチックな活躍をした舞台というより、イザナギ&イザナミの夫婦神が日本の国産みをした発祥の地とされているため、意識の中で何となく盲点なのだ。かく言う私も、淡路島を目指したのは今回が初めてだった。
 三月に長女の結婚式で四国に渡った帰りに寄ったのと、五月の連休に三泊したのと、短期に二度の探訪となったが、例によって霊場・遺跡巡りの旅なので、プライベートな雑談はスパイス程度に抑えて、二度ぶんの霊場紀行&神話解説を順不同にミックスさせて紹介していこうと思う。

 まず3月24日に行った伊弉諾神宮(イザナギジングウ)。
 ここは国産み・神産みの神功を終えた父神イザナギが、統治の全権を天照皇大神に託して、自らは幽宮(かくりのみや)を構え、余生を過ごした故地とされている。
 イザナギの幽宮はもうひとつ、近江の多賀大社という説もあるが、これは『古事記』に「※1伊弉諾大神は淡海の多賀に坐すなり」とある「淡海(おうみ)」を⇒「近江」と転換させたものらしく、なんとなくこじつけっぽい。※2創建年代もこちらの伊弉諾神宮のほうが古そうだ。
 とは言え、古くは琵琶湖のことを「淡海(あはうみ、あふみ)」「近淡海(ちかつあはうみ)」などと呼んでいたというのも、何となくうなずける話ではあるので、正直、迷うところだ。「淡海」「近淡海」がどこであったかは、他にもマイナーな異説を含めれば諸説紛々で、このあたりが古代史や神話の面倒臭いところであると同時に、興味が尽きないところだ。私などには、中国の史書の一部から引っぱってきた邪馬台国論争などより、こっちのほうがはるかにロマンを感ずる。
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※1この古事記の記述「伊弉諾大神は淡海の多賀に坐すなり」は、伊弉諾神宮やイザナギ関係のサイトの各所に引用されているが、手元の講談社の現代語訳で探してみたところ、すぐには見当たらなかった。
⇒伊弉諾神宮
⇒伊弉諾神宮 izanagi
⇒多賀大社 - Wikipedia

※2履中天皇の時代には、素朴な海洋・漁猟系の信仰としてすでに定着していたらしいから、300年代末期にまでは遡れることになる。
⇒近江国 – Wikipedia
*********************************************************************
 
 日本神話(『記紀』神話)における国産み・神産みとは、聖書的に言う天地創造よりはかなり後のことであり、あくまでも日本列島内の「国産み・神産み」と読み取れる。つまり、まずオノコロ島を滴らせ、そこに降り立って、次に淡路島、続いて伊予之二名島(四国)、隠岐の三つ子島、筑紫の島(九州)、壱岐の島、対馬、佐渡の島、大倭豊秋津島(本州)という主だった国(島)を産み、これを総称して「大八島国(おおやしまくに)」と言う。それに続いての神産みとなる。
⇒伊邪那岐神・伊邪那美神 http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/naginami.htm

 では、ローカル神話のみで世界規模のものがないのかというと、そうでもなく、さほど詳しい記述ではないが、イザナギ&イザナミの夫婦神以前に、ちゃんと天地開闢の物語があるのだ。『古事記』では「天地(あめつち)の初め」という冒頭の章がそれにあたる。
 これは中華思想などの影響を受けて、建国の権威主義と誇大妄想から後で付け足されたものだとか、いろいろ言われるが、天下の偽書・奇書とされる『竹内文書(竹内文献)』や、出口王仁三郎の『霊界物語』などでは、もっとはるか天文学的スケールの宇宙の創世から物語は始まっている。
▽以下、『竹内文献・竹内文書』の参考サイト
⇒「竹内文献」が語るSF的創世神話
⇒竹内文書・竹内文献・日本のピラミッド・古代史・古文書・謎・偽書・武内宿禰・平群真鳥
▽以下、『霊界物語』のオンライン文庫から
⇒第一章 宇宙太元 〔二五一〕
⇒第二〇章 日地月の発生 〔二〇〕
⇒第二一章 大地の修理固成 〔二一〕

 これ以外にも、日本の(偽書とされる)古代文献には、宇宙的視野の創世物語が珍しくはないが、『竹内文献・竹内文書』と『霊界物語』の特異性は、むしろ日本が世界の原型であり雛形だという世界観があることだ。世界創造のミニチュア・プロトタイプとして、先んじて物質化したのが日本列島という話なのである。
 つまり、ユーラシア大陸が本州、アフリカは九州、オーストラリアは四国、アメリカは北海道、という相似形の縮図である。この対応でいくと淡路島は日本列島だったかな。
 インドを紀伊半島とすると、日本:淡路島の位置がかなりズレているし(伊豆七島のほうが位置としては近そう)、南北のアメリカ大陸がひとつの北海道でまにあわされているのも、ちょっと苦しいところがあるが、たび重なる地殻変動で大陸移動し、今日ではこういうイレギュラーな形になってしまったのだ、と言い訳することもできる。
……と思ったら、以下のサイトで見つけた情報によると、インドは渥美半島、淡路島は南アメリカ、なんだそうだ。なんか、ちょっと苦しまぎれすぎ?!

⇒センス・オブ・ワンダー!日本の国は世界の「雛形」である(神話・宗教・民俗学) - ヒロさん日記
縮図
          
 これに関連する西洋文化圏での仮説に、アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説がある。世界はもとはひとつの巨大な大陸だったという説だ。
⇒パンゲア大陸 - Wikipedia
⇒大陸移動説 – Wikipedia

 まあ、科学的証明がどうこう言うレベルの話でもないし、信ずる信じないはお好きにどうぞの世界だけどね。でも、実際、淡路島のあたりの海底を含む地質・地層がそんなに古いものなのかどうか、科学的に分析してみるのもそれなりにロマンはあると思うのだが……。

 ところで、国産み神産みはイザナギ&イザナミの夫婦神で成し遂げたのに、なんで幽宮はイザナギの父っつぁんだけなのか。形の上では昭和七年に伊弉冊命(イザナミノミコト)を合祀しているが、逆に言うと、それまでの長い長い間、父っつぁんの単身隠居だったことになる。このへんをごまかして、最初から夫婦神が仲良く祀られているように見せかけているのが多賀大社だが、私はこれを信じない。神話を読むかぎり、そして我が霊魂にインプットされ、ダウンロードされてくる霊界ストーリーを読み解くかぎり、両神の復縁はいまだ未完である。
 おめでたい現代人には初耳だろうが、このへんはおいおい語り部していこう。

 ちなみに近江の多賀大社も淡路の伊弉諾神宮も、共に「多賀」という地名の場所に建っていて、夫婦・陰陽一対の言霊と何か関係ありそうな気がする。私に言わせれば、引き裂かれた陰陽・天地・火水・男女の原理が、再統合を経て、終末世界の逆転再生が成されるという、復活予言の象徴が「多賀」というキーワードなのである。『聖書』的に言うなら、「約束の虹」であり、王仁三郎『霊界物語』的に言うなら、最終の「天の浮橋(あめのうきはし)」によって架け橋された約束の地が「多賀」なのだ。
 伊勢外宮(豊受大神宮)の荒御魂を祭る社が、なぜ「多賀宮」なのか。時代は下るが、東北の奥州藤原氏が栄華を誇った地、陸奥の国府がなぜ「多賀城」だったのか。これらを結びつけて考える人はいないようだが、私は以前からものすごく気になっている。


 では、伊弉諾神宮の写真を列挙していこう。
 正面参道から随神門へ。その向こうに見えるのが拝殿。鳥居は新しめだが、社殿は年期が入っている。     
               神門から拝殿を眺める16007952_2508912831
                                
 参道両脇の狛犬。
狛犬1 狛犬2

 本殿を斜めの角度から眺める。
本殿16007952_232193881

 祝日ではないはずだが、日の丸が高々と掲揚されていた。
                    日の丸のポール16007952_3483136337
               
 三つ並んだ、曰くありげな境内社。左右神社、根神社・竈神社、鹿島神社・住吉神社の三社。
境内社、三社16007952_2912017551
               
 そのうちのひとつ、「左右神社」という名は珍しい。
               左右神社16007952_1773916939

 有名…、らしい夫婦大楠。根元の横の祠は、岩楠神社という。
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 左:馬の像と、右:歌碑。はつらつとしていい歌だが、「民主日本の…」とあるところを見ると、戦後まもなくの歌だろうか。政党とは関係ないとは思うが?
                    歌碑16007952_3439620521

 「淡路祖霊社」とある。
               淡路祖霊社16007952_3076344559

 なにやらカツラの会社のモニュメントと小屋みたいなものがあった。スーツ姿の社員らしき人達が10人くらいで、何かのセレモニーらしきことをやっていた。境内に堂々と、特定の民間企業の建造物があるというのも、珍しくはないか?
 イザナギの父っつぁんは、頭髪にお悩みだったのだろうか?
               モニュメントと小屋16007952_1018102391

 以下、次回へと続く。


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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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