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佐白山の石倉

2009,,12
 年末の下見と初詣の時に寄った、茨城県笠間市の佐白山(笠間城址)。頂上の佐志能神社の裏手に続く巨石群の道に、再チャレンジしてきた。

 前回と同じく千人溜跡の駐車場に車を停め、城址公園まで歩いて登り、そこからぐるりと迂回して裏手に登り道を探ることにしていた。
 ここでは磐座(いわくら)と言わずに石倉(いしくら)と呼ぶそうだ。その石倉の道を頂上から下るのではなく、下から登りたいものだと、登り口の目印をネットで調べてみたのだが、天然の地形を利用した城の守りの意図もあったか、中腹を巡る道が入り組んでいてどうもはっきりしない。182メートル程度の山城の跡ということもあるが、石倉の道は登山道というほどの正規ルートではなかったらしい。
 現在は車の乗り入れができないようになっているが、いちおう一通で通れる程度の幅に舗装された道が、ぐるりと中腹を巻いていて、これをメインの目印にするしかない。
          IMG_2337.jpg

 その舗装された巻き道の途中に、近代になってから造られたものだろうがトンネルがある。
後になって知ったことだが、このあたりは心霊スポットとしても有名で、地元のカップルなどは敬遠する場所らしい。さしずめ上の写真のトンネルなどは、薄暗くていかにもオバケの出そうな雰囲気だ。近くに古井戸もあり、さらに曰くありげな薄気味悪さを漂わせている。
 私は心霊写真マニアではないので、あまりにもハマりそうな場所は写真に撮らないことにしているが、おどろおどろ趣味の人はこちらのページをどうぞ。
⇒佐白山(笠間城跡)
さらっとした説明はこちら。
⇒笠間城
同じ場所でも、見る人の視点でずいぶん違うもんだね。

 鎌倉時代の初めに寺社勢力の争いがあり、僧兵による死闘がくりひろげられた、というのがそもそもの因縁話の発端。外から攻め入った徳蔵寺の勢力に、下野国から遣わされた藤原時朝が加担して、佐白山の正福寺を攻め滅ぼし、その後、藤原の子孫が笠間氏を名乗って持ち城にしてしまう。十八代続いた笠間氏の後も、城主を転々と変え、城そのものは幕末まで続いたそうだ。その間にも小競り合いはあったのだろう。

 ところが、私達はむしろ聖なる古代パワースポットとしての魅力を感じていて、こうして再三、足を運ぶこととなった。同じ場所でもどこに意識の照準を合わせるかで違う世界が展開するというのも、封印された古代パワースポットにありがちなパラドックスだろう。
 滅ぼされた正福寺の側、さらにその奥に坐すこの地の自然霊である龍神にシンパシーがあるから、その復活の波動を応援したくなってしまうのだろう。苦労人には順風満帆なだけの人間にはない奥深い優しさがある。それと同じように、怨みを乗り越えていこうとする怨霊神は、世界を救うようなヒーリング・パワーの可能性をも秘めているのだ。

 石倉の登り起点がわからないと思っていると、どこからともなく古びたマットレスを背中にくくりつけた若者が歩いてきた。慣れた様子なので道を尋ねてみると、「石倉」「神社」「城」といった単語はさっぱり通じない。が、「石ごろごろ」の場所はたぶんこっちだろうと先導してくれた。舗装された道から何の案内標示もない雑木林の中へと、斜めに登っていく。 
               IMG_2334登り道

 しばらく登ると青空をバックにぽっかりと風景が開け、想像以上の巨石群が目の前にあらわれた。石倉の道の中間点あたりにショートカットしたようで、上にも下にも巨石の道が続いていた。

 道案内をしてくれた彼と同じようにボロのマットレスを担いだ人や、そのマットレスを岩の麓に敷いて休んでいる人達がそこかしこにいる。姿は見えないが下のほうでやけに盛り上がっていて、時折、悲鳴や嬌声のような若い男女の声が沸きあがってくる。お花見でもするかのように「お岩見」をする人達なんだろうか。「野宿同好会の人達だね」などと冗談を言ってみたが、当初はわけがわからなかった。
 後でわかったが、この人達は岩登りのトレーニングのために来ていたのだ。マットレスは岩から落下したときのクッションがわり。聴こえてくる悲鳴や嬌声は、もうちょっとで登りきれそうなところを落下してしまった時のものだった。

 そこから頂上を目指して登っていくと、すぐに白い屋根付きのベンチがあり、その先がガイドブックにも書かれている鎖場になっている。あちこち行っている我らからすると、鎖を付けるほどのたいした傾斜ではない。下で岩登りしている人達のほうが、よほど大変だ。
               IMG_2313白ベンチ

                IMG_2311鎖場

 鎖場をひと登りすると、5分もしないうちに先日お参りした頂上の神社の後ろ姿が見えてきた。意外と近い。
                     IMG_2303神社

 あらためて正面に回ってお参りし、中を覗くと、きれいに掃除され正月用のお神酒が供えてあった。無人の社だろうに、誰が世話しているのだろう。
               IMG_2305拝殿

                    IMG_2304拝殿内部


 再び先ほどの場所まで下り、あたりの巨石を堪能する。狭いエリアにこれだけの数の巨石が密集しているのも珍しい。周りの樹木や土の質感と異質なので、運搬技術の乏しいはずの昔に、いったいどこかから運んできたのだろうかといぶかってしまう。

 不安定なフォルムの、おむすびのような岩。
               IMG_2314おぶすび岩

 鯨の頭のような巨石。
          IMG_2320くじら岩

 石舞台のような巨石。
               IMG_2322石舞台1

               IMG_2324石舞台2

 せむしの僧侶の立ち姿のような石。
                    IMG_2323僧侶岩

 どの石も触ってみるとザラついていて滑りにくく、岩登りの練習にはいいのかもしれない。
垂直に近い石の壁を前にして、精神統一をしているのか、それとも手足を掛ける手順をイメージの中でシュミレーションしているのか、巨石を前にじっとたたずむクライマー達の姿は、瞑想する哲学者か、「嘆きの壁」の前で懺悔する人のような面持ちがある。
 彼らはこの巨石エリアから離れたことはないらしく、頂上がどうなっているのか逆に我々に聞いてきた。神社も歴史も心霊スポットも、この人達にはノット・マイ・ビジネスなのだ。

 IMG_2328林の中の巨石

 石倉の道を下りていくと、雑木林の中に道が分散して、やがて舗装された林道に当たる。案内の看板はどこにもないので、始めて来てここから登るのは、ちょっと勇気がいるかもしれない。
               IMG_2332林道

 中腹をぐるりと巻いて城址公園にもどり、千人溜跡の駐車場へ下る途中、モグラさんの穴掘り作業跡を発見。行きは気がつかなかったので、かなり新鮮なものだ。
                    IMG_2338もぐら穴跡

 車でつつじ公園方面へ出る途中に、大黒石がある。(写真は昨年末の下見の時に撮ったもの)
徳蔵寺の僧兵に追い詰められた正福寺の僧兵が、頂上からこの巨石をころがして難を逃れたという言い伝えがある。
               IMG_2203大黒石説明版

 たくさんの命を奪った血生臭い石のはずなのに、不思議と嫌な感じはしない。(でも、写真の私は輪郭が希薄で、なんとなく僧兵の亡霊っぽいかな?)
                    IMG_2202大黒石:車窓から

           大黒石

 大黒石の中ほどにあるヘソのような小穴に、小石を投げ入れて命中すれば御利益があると書いてある。試しに妻がやってみたら、まぐれか奇跡か、お見事!一発でナイスシュート。私もはずしたらみっともないので、慎重にやって一発クリアー。
 幽霊スポットのわりには、こいつぁ~春から縁起がいいや!の石巡りの旅でした。
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2009初詣、常陸国出雲大社~佐志能神社

2009,,04
 皆様、あけましておめでとうございます。
本年の初詣は、昨年の常陸国シリーズ執筆の時に、偶然ネットで見つけた常陸国出雲大社(出雲大社常陸分社)へ行ってまいりました。

 平成四年十二月に島根県の本社から分霊したということなので、まだ新しく、さほどの知名度もないと見えて、夜中から明け方にかけては混雑もなく、快適な参拝となりました。(しかし、ネットで調べた情報では、この三が日で約八万人の参拝者があったそうだ!)
 しかも、この時期に重なる本社の「平成の大遷宮」に、先住系国津神の大復活(=理不尽に封じられた神々の岩屋戸開き)を感じている私としては、この常陸国の分社にも何か溌剌として前途洋々の“氣”を感じるのであります。

 新年の夜明けを、拝殿の巨大注連縄の内側から臨む……、の図。
注連縄1

 実は、毎年の初詣には妻の両親も連れて行くのが恒例のため、段取りを確かめるため、年内に下見にも行っているので、その時の昼間の写真と共に見てください。

 拝殿正面。
               IMG_2225注連縄・夜

               IMG_2142.jpg

 斜め&側面。
               拝殿、斜め

               側面

 拝殿の天上に書家の字とアーティストの作品が。
               天井
               
 拝殿の軒下に組み込まれた大国主像。ちょっぴり、お笑い系?
               大国主像
 島根の本社では、祭神の大国主が社殿の奥で横っちょを向いて祀られていることから、あたかも囚人が幽閉されているかのようで、出雲大社は怨霊の封印と祟り鎮めの社だったのだとする説がある。(井沢元彦説など) その大国主を軒下までお出まし願ったということは、もしかして封印開きを黙示しているのだろうか。
 それにしても横を向いているところは同じであり、祭神が門番のように軒下まで出張してしまうという構図も、奇妙な気はする。実はもっとルーツの根源に迫る、別の神を隠し祀っているのだろうか、などと勘ぐれないこともない。

 ラルフも里帰り?
                    ラルフ&狛犬
               
 手水の背中合わせの龍さん。
               背中合わせ龍
               
 境内には出雲の守護神である龍蛇神を祀る神社もある。
               竜蛇神社、鳥居

               竜蛇神社、参道

     竜蛇神社、説明板               

               竜蛇神社、拝殿

 薬神神社には少彦名が祀られていた。
               薬神神社、鳥居

               薬神神社、参道

               竜蛇神社、拝殿

               薬神神社、拝殿近景

 薬神神社、石碑
   
 禊練成場。ここで行者が水垢離をとるのかな。
               禊練成場
               
 駐車場での御来光?(下見の日)
          御来光

 実はこの神社はまだ未完成で、今できているのは左右一対の社殿のうちの向かって左側だけ。 
          20.jpg

 陰陽一対の思想は、この常陸国の信仰の伝統らしいのだが、それが出雲信仰とどう結びついていくのか興味津々。(祭神はどのように配置されるのだろう?)


 その後、近くにある佐白山の佐志脳神社(笠間市)へと向かいました。

 ここは笠間氏の山城として知られた広大な城址公園で、天守閣の跡に神社が建てられています。しかし、古代には曰くありげな龍神信仰があった土地で、一部のマニアの間ではパワースポットとして注目され始めているようです。
 佐志能神社は他にも、石岡市の染谷と村上の二箇所にあり、一対の龍神を祀ると書いてあるページを見ます。(もとは一つだったとも)
⇒龍神山、染谷・村上佐志能神社・露出変成岩

 佐白三所大明神、三白権現とも称されたそうなので、この「三白」が日・月・星の「三光」にも通じるとしたら、どうも物部神道の匂いを感じてしまうのであります。
 21.jpg 22.jpg        

               佐志能神社1

               佐志能神社2

               佐志能神社、近影

 頂上の社の後ろ側傾斜には、曰くありげな大小の石の列が延々と続いていて、磐座ファンにはたまらなく心惹かれる道となっています。
 27.jpg 28.jpg
              
               石倉の道
  
 駐車場に戻らなくてはならないので、ここを探検するのはまたの日にすることにしました。

 さて、地球維新として生みの苦しみの年となるやもしれませんが、運を天地、火水、日月星の神にまかせ、感謝と実行の行を続けていきましょう。
 
 かんながら たまちはえませ。


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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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プロフィール

1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

タイトルリスト#

◆Date:2009年01月
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