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“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~

2008,,23
☆シリーズ「国産みの島、淡路」番外編として


 最近、ひょんな拍子から鬼束ちひろの歌声にハマッている。
ロングヒットとなった『月光』が2000年後半からだから、すでに8年の歳月が経っていることになる。ちょっと顔をしかめながら、ややハスキーだが伸びのある歌声で熱唱する『月光』のビデオ・クリップを覚えている方も多いだろう。当時は「悪くないな」という程度で、特に好きでも嫌いでもなかったが、妙に耳に残るというか、それでいてすぐにはメロディーをコピーしづらい歌い回しで、独特の存在感があった。

 その後、彼女に興味を抱いたひとつのきっかけが、彼女の歌や彼女自身を、時たまエンガチョ的に嫌うリアクションの人が居るのを知ってからだった。自分にはどちらかという耳当たりの好い部類なのに、いったいどういう現象なのかと、逆に好奇心の鎌首が持ち上がった。
 次に惹きつけられたのが、2年ほど前、グノーシス思想に関心を持っていろいろネット検索していた時、彼女の『月光』はグノーシスだとの噂が、マニアの間で広がっていることを知った時だった。

 グノーシス思想、またはグノーシス主義とは、非常に広範な意義を含む秘教的・神秘的な認知主義であり、人によって定義も異なってきそうだが、言わば西洋の裏文化・裏宗教であり、異端であり、その基層はアンチ・キリスト教的である。ゾロアスター教から継承したとも見られる善悪・物心二元論を基調とするが、後の思想展開では、分断されたものの再統合をも提唱しているように見受ける。
 ともかく秘教である上、分派や亜流も多そうで、輪郭はよくわからないのだ。ここでは私の理解し、提唱するグノーシスを述べるしかない。
 最大の特徴は、この世は悪の造物主がつくった悪の世界であり、真の至高神ははるか宇宙の彼方にいる。その至高神のかけらを我々は魂の奥に戴いているのだが、悪の造物主のつくった悪の世界や肉体に覆われている故、なかなか輝き出すことができない。神秘的な英知によってのみ、真の神の真の世界にいたることができる、というようなものだ。

 古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。

  I am GOD’CHILD(私は神の子供)
  この腐敗した世界に堕とされた
  How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろというの?)
  こんなもののために生まれたんじゃない

  I am GOD’CHILD(私は神の子供)
  哀しい音は背中に爪跡を付けて
  I can’t hang out this world(この世界を掲げる事などできない)
  こんな思いじゃ
  どこにも居場所なんて無い

          『月光』より抜粋


http://www.youtube.com/watch?v=iyw6-KVmgow&feature=kp

 詞だけ読むと、確かに暗いし、自分勝手で甘いようにも見える。彼女の詞は曲と歌声に乗ることで、昇華されている部分もかなりありそうだ。自分だけがGOD’CHILD(神の子供)と言っているような、選民思想ではないのだ。感性の上で、罠の仕組みに気づいてしまっている者の十字架だろう。
 でも、ちょっと危うい。耐え難い重さに潰れてしまわないだろうかと、心配させる雰囲気を持っている。このビデオ・クリップの頃はまだ清冽なものを漂わせているが、後の映像になると、眼がイッちゃってて鬼気迫るものがある。最近の若いアーティストで、ここまでこの世ならざる危うい雰囲気を漂わせている人も珍しいだろう。
http://jp.youtube.com/watch?v=tLb382OclBk&feature=related
 たぶん、このへんが反射的に彼女を嫌う人達が居る理由だろう。十字架を勝手に引き込んで、見たくもなかった心の血まみれを見せつけられるような気がするのだ。

 彼女の詞には、別れた男の影がつきまとっている。これは彼女個人の体験から湧き出た言葉なのだろうか。アラニス・モリセットや中島みゆきや椎名林檎の詞にあるような、生身の俗臭や反骨というものがなく、どこかシュールで夢幻的で、それが音としては重たくなりすぎない反面、美しくも危うい狂気を感じさせる。

  この腕が伸びて
  枝や茎になり
  あなたを忘れる事で
  天にまで届く

          『螺旋』より

  鼓動を横切る影が
  また誰かの仮面を剥ぎ取ってしまう

  In the night(夜になれば)
  I sit down as if I’m dead(私は死んだように座り込んで)

  爆破して飛び散った
  心の破片が
  そこら中できらきら光っているけど
  いつの間に私は
  こんなに弱くなったのだろう

          『infection』より

  残酷に続いていくこの路で 例えば私が宝石になったら
  その手で炎の中に投げて

  邪魔なモノはすぐにでも消えてしまうの ガラクタで居させて

          『眩暈』より



 何か個人の器を超えた、人類の女の集合的無意識の「別れ」を、実体のない集合イメージとしての「男」への愛憎や愛惜を、降霊するアンテナとなり、依り代となってしまっているような気がしてならない。一言で言うならば、神話的な悲劇性なのだ。苦海に沈められた太母神の、乙女の心と決別できない揺らぎの記憶の、分け御魂のような気がする。

 彼女はコンサートでは舞台の片隅にマリア像を置くとか。また、詞の中に時々出てくるキリスト教的な単語からも、生育環境の中で何がしかそうした背景があるのかもしれない。前世ではヨーロッパが絶対ありそうだ。
 彼女の音楽的バックボーンがアメリカのシンガー・ソングライター達であるにも関わらず、ヤンキーな雰囲気がしないのはそのためだろう。よく聞くと、音楽的には確かにウエスト・コーストの臭いがするのだが、第一印象はむしろ哀愁と陰影のケルト系だろう。(だから、突然、カントリー&ウエスタン調の曲が出てきたりすると、面食らってしまう) 同じアコースティック・ピアノ主体のアレンジとしてみても、最近のアンジェラ・アキなどと比べてみれば、その違いは歴然。彼女のほうが、ちょっぴりバタ臭いアメリカンなシンガー・ソングライターの正当後継者というオーラだ。

 しかし、その欧州の前の古代では、日本の魂だったのではないだろうか。汚れても、荒んでも、どこか重く濁れない。だからその澄んだ心の透き間に、無残な者達の声を受け入れ、抱き込んでしまう。つまり、早い話が古代日本的な霊媒体質なのである。
 黄泉大神のイザナミのチャンネルも配信しているとすると、高天原の男神社会(神界)への不信や反発も出てくる。

  「貴方のようにはなりたくないの」 そしてこの耳を潰したくなる
  「貴方のようには決してならない」 見事な嘘など踏み付けたくなる

  案外何もかもが この手に在りそうな気がしてるのに

  「私ならどうにでもなると」と 手当たり次第放り投げてみる
  この身体が血を噴き出す程 ぶつかれる壁があればいい

          『everything, in my hands』より

  貴方がその醜さに怯えるために全てが鏡であればいいと願った
  小さな小さな足跡たちはいつも傷口ばかりを掻きむしった

  私は遠くへ?
  出来るだけ遠くへ?

  一人だって気付いた瞬間在り余る悲しみは柔らいだ
  泥を塗っては冠を与えたりいつも寝場所なんてなかった

          『Tiger in my Love』より

  有害な正しさをその顔に塗るつもりなら私にも映らずに済む
  燃え盛る祈りの家に残されたあの憂鬱を助けたりせずに済む

          『Castle・imitation』より

  貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いている
  正しくなど無くても 無くても 無くても

  在りったけの花で飾って そして崩れ落ちて 何度でも
  正しくなど無くても 無くても 無くても
  響いて 貴方に
  響いて

          『茨の海』より



 中には神話における黄泉比良坂での、イザナミの心象風景そのままのような詞もある。(黄泉の国の穢れた食事をしてしまった故に、黄泉の国の神々の席を離れられなかったというくだり)
⇒黄泉の国の物語 - 通信用語の基礎知識">黄泉の国の物語 - 通信用語の基礎知識

  干からびた笑顔
  細い両腕は
  何度でも毒にまみれながら
  ※
  It pressed me
  It pressed me
  It pressed me(それは私を抑圧し責めたわ)
  Again and again(何度も何度も)
  椅子を蹴り倒し
  席を立てる日を 日を 日を 日を 日を
  願ってた

  痛みを清める
  鮮やかな花吹雪
  忘却の空は晴れない

  ※(繰り返し)
  椅子を蹴り倒し
  席を立てる日を 日を 日を 日を
  ※(繰り返し)
  ボロボロになって
  起き上がれる日を 日を 日を 日を

  犠牲など慣れているわ
  抵抗などできなかった
  血を流す心に気づかないように生きればいい

          『シャイン』より


 冒頭の『月光』と同様、黄泉比良坂での決別を回想するような歌詞もある。(直接的に「坂道」という言葉が使われていること。「そして私は怪獣になった」というフレーズ。ヤマタノオロチはイザナミの変身という説もある)

  全てにおいて 幻覚的で
  私は今日も太陽を沈める
  貴方の事
  舞い上がれない風の事
  思い浮かべて歩く坂道
  (中略)
  そして私は怪獣になった
  もう元には戻れない
  うつむき
  それでも広がる世界に
  泣きながら返事をして
  だから私は逃げ出さなかった
  誰でもない自分から
  渦巻く空が呼んでいるの
  何より大きな声で

          『嵐ヶ丘』より



 しかし、初期の作品には、どこかで相手を憎みきれない柔らかな未練のような歌詞も多い。

  もしも貴方を 憎むことが出来るなら
  こんな浅い海で 溺れる自分に気付くけど
  きっと私は夢中で呼吸をして

  行かないで この想いが痛むのは
  私がまだ崩れ落ちずにここに生きているから
  消えないで こんなに胸を荒らして
  貴方なしじゃ 全て終れば いいのに

          『edge』より

  目の前から私が
  消えてしまったら
  貴方は名を呼び探してくれる?

  この肉体が朽ち果てても
  逃げられなかったら
  貴方は何度でも泣いてくれる?

  正義や現実など今更
  何にもならないって
  気付いて
  狂気を見せてよ

  貴方が並べたどんなに
  悲しい嘘にだって
  今なら
  縋り付けるから

          『call』より



 しっかし、まあ、詞をじっくり読むと、“ド”が付くくらいネクラだね。詞だけ読んでいたら、絶対にこんな女には手を出したくない!と思うかもしれない。何をネタに怨まれるかわからない、みたいな……。でも、素の彼女は、もっとさっぱりした人のような気もするんだよね。
 それにこの程度の暗い言霊は、私がティーンの頃にはそこかしこに満ち溢れていた気がする。こういう暗さに対する免疫や耐性があることが大人のカッコヨサだ、みたいな背伸びもあった。松田聖子が出て商業ベースのハッピーな曲が流行り、タモリが出てネクラなことがダサいような空気が醸造されて、それからこういう曲や詞はめっきり存在感を失っていった。だから、ある意味、懐かしい味もあるのだ。

 でも、この路線でずっと行くとなると、本人は辛いだろうね。2005年頃、活動休止の直後、大量服薬による自殺未遂を経験しているというから、やっぱりマズイよ。
 今年9月26日の公演も、極度の疲労による体調不良のため中止になったという。最近の『蛍-movie edit-』のビデオクリップなど見ると、美しいけど、まるで幽界に半分行っちゃってるみたいに影が薄い。人相も変わっちゃって、まるで死闘の後のお稲荷さんの白狐のよう。

 なぜこんなことを書いたかというと、今、イザナミのカルマが浄化していく最終コーナーだと、私は思っているからなのだ。マイミクのあるく。さん関連の援護射撃で、金毛九尾の邪狐と、迎え撃つ白狐九尾の霊界サーチをやっていたら、ここに寄り道しちゃったんだよね。(このカルマもイザナミから派生したものだ)
 浄化が間に合うかな。アーティストとしてどうこうは別としても、彼女(鬼束ちひろ)にはここを乗り切って、天命を全うして欲しいと思う。切に、そう願う。霊線が繫がると、急にそう思うようになっちゃうものなんだわさ。


 とりあえず、筆をおきます。


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(2004/12/01)
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三斗Ra 隼人(管理人)
この記事から一部引用して、左カラムの「神道グノーシス」の序文としました。

旧序文は、以下に記載してあります。
http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-266.html 2010.10.14 (「神道グノーシス」とは)

なお、この記事に『嵐ヶ丘』の歌詞の引用と、その紹介文を増補しました。
2010.10.14 16:25

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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