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物部系の磐座、岩上神社

2008,,24
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               石上神宮s

△写真上:奈良県天理市の石上神宮、拝殿。
石上神宮 - Wikipediaより転載。
△写真下:同、石上神宮の大鳥居。
石上神宮より転載。

淡路の岩上神社は、この石上神宮から勧請された。



 淡路島の磐座(いわくら)は舟木石神だけではない。まだまだ得体の知れない古代の磐座信仰の痕跡があちこちにある。それらの中から、3月24日、娘の結婚式で高知の帰りに寄った時の、岩上神社を紹介しよう。
⇒岩上神社 巨石信仰 神籬岩(ひろもぎいわ)-淡路島
⇒岩上神社 磐座

 岩上神社は淡路一ノ宮の伊弉諾神宮から、車で5~10分程、西南に向かった低山の中にある。これもあまりメジャーな神社ではなく、地図にも乗っていないことが多いが、磐座ファンには知られたところらしく、サイトを見ても祭神がどうのこうのの神話的アプローチより、磐座遺跡への興味から書かれているものがほとんど。あるいは気功などのパワー・スポットとして、もの好きな人が目をつける場所のようだ。
 私自身、淡路島の神社の中では、なぜか一番しっくりときた。どこか河内(東大阪)に集中する饒速日を祀る古社と似た波動を感じたが、これを書くために調べたところ、祭神は布都魂神(ふつのみたまのかみ)とのこと。大和の石上神宮から分霊を勧請したのが創祀とされているというから、なぁるほどと頷いてしまった。
⇒岩上神社 ~兵庫県神道青年会~
 石上神宮は剣神を祀った社で、神武のふるった剣と、素戔嗚が八岐大蛇を退治した剣と、物部神道伝来の天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)の霊威を祀った神社とされている。
⇒石上神宮の2

 しかし、石上神宮は、どうも神武よりも饒速日に従っていた物部氏のカラーが強かったのではないか、という気がしてならない。
 饒速日系の先住:物部(外物部)は、神武系の東征:物部(内物部)によって、大半は大和から駆逐される。しかし、戦略的に神武に下り、二重スパイ的に神武の参謀となりすました者達が居て、彼らが石上神宮を築く中心勢力となる。後に神武系の物部は蘇我氏との抗争で大敗し、一気に零落してしまうが、かつて饒速日系だった物部は後ろに控えて抗争に加わらなかったため、かろうじて朝廷内に潜伏する。だから、神武系の大和神社はすたれたのに、饒速日系の石上神宮はそのまま勢力を維持することができたのだ。(あくまで私の仮説だよ[m:58])

 前にも述べたように、明治になって樫原神宮が創建されるまで、初代天皇ともあろうべき神武を祀る国家規模の社は存在しなかった。それだけ神武勢力は徹底的に叩かれ、駆逐され、『記紀』史観に名義だけ利用されていたのだ。
 この神系=霊界勢力が、リバウンド的に勢力を復活させるのが明治維新以降であり、いわば神武の逆襲である。このあたりから世界大戦へと向かっていく時代に、「大和魂」や「武士道」を感じ、日本男児の心意気を感じてしまう人は、こっちの霊界・神界が魂の故郷なのだろう。私自身は今さら論じるまでもなく、ぜ~んぜんっ!なので、あしからず。
 ちなみに戦後は卑弥呼の霊界勢力が活発に表に出てきたので、邪馬台国の研究が盛んになった。伊勢神宮に祀り上げられて、都合よく崇め奉られているだけではいたたまれなくなったので、自分らの出自を明かしたくなったのかもしれない。(仮説だよ)


 それでは、本題の岩上神社を見ていこう。
 まず拝殿。そうとう古びている。屋根にシャチホコのようなものが見えて、神社建築っぽくない。なぜか「岩上神社」ではなく「岩上大明神」と掲げてある。
 この拝殿の向かって左横あたりに、御神体の磐座まで登っていく階段が設けてある。
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 階段から、磐座を見る。岩の上部に生えている草(苔?)が、なんだかカツラをかぶった頭のように見えてユーモラス。きれいに刈りそろえてあるところも面白い。
 細長いのが、てっぺんのほうの磐座。
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 上から本殿と拝殿を見下ろす。
 春日造りの朱塗りの本殿は、龍田大社の旧社殿を譲り受け移築したものだという。拝殿とのアンバランスが奇妙だが、その場に居ると全体の雰囲気に溶け込んでしまって、なぜか不自然な感じはしない。
  この階段の頂上からは、彼方の海も見える。(写真は撮りそこねた)
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 本殿の後ろ側から斜めに見上げるようにして、磐座を拝むことができる。
 ふつうは拝殿を通して御神体を拝めるように、正面手前に拝殿を置くものだが、こういうアンバランスにゆらいだ配置も、縄文的デザインで面白い気がする。
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 ちょうど昼過ぎの太陽が磐座の背後にまわり、逆光となる。朝は正面から日光を浴びる形となるのだろう。建造物の位置よりも、こうした大自然による配置・演出を第一として残したため、奇妙なレイアウトになったのだろう。
(左の写真に巨大オーブのような白光がうっすらとかかっている。右も小さめの玉が磐座中央付近に見える)

 磐座の全体像を、望遠で撮ったもの。
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 共通の境内を挟んで、神社と寺が正面から向き合っている。神護寺の一種だろうか。由緒書きを写してくるのを忘れたので、寺の名前もわからない。
 ともかくユニークなレイアウト感覚なんだよな、物部ってのは。定規で引いたような弥生的整然さをハチャメチャに崩壊させる、縄文的遊び心に満ちている。(テレ朝「ナニコレ珍百景」まではいかないかな)
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 これは感動もの!? 戦時中の軍事物資として供出された鐘が、各地を転々として「五十年の怪奇な遍歴」の後、平成5年にこの地に帰ったという。その鐘と、説明の記念碑。
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 この地にふつうではない磁力があるから、このようなことも起こるのだろうか。

 私に近い感性の人には、淡路に行ったらイチオシの霊場です。

(つづく)

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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