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リストラされた神?大和大国魂大神 ~ 大和大国魂神社(下) ~

2008,,06
「大和大国魂神社」(上)(中)(下)のうちの(下)

 大和大国魂神社は淡路島の七つあるI.C.のうちの西から三つ目、西淡三原I.C.から東へ3Kmほどの小高い丘の上にある。
 高速道路と同じくらいの高台なのだが、下を交差しながらくぐる一般道からはちょうど死角となり、周辺の閑静な住宅地をぐるぐる回りながらも、なかなか見つけることができなかった。
            
 ようやく大鳥居の前の空き地に車を着けると、強烈な花の香りが漂ってきた。私には何の種類だかわからないが、細い枝に白い花弁が密集して咲く、女性的な可愛らしい樹だ。その姿とは裏腹に、南国特有の熟れた色香のような、あるいは貴婦人の夜の香水のようでもあり、悪い臭いではないのだが頭がくらくらしてくるほどだった。その蜜を求めて、蜂がさかんに群がっていた。

               花

 白くて新しい鳥居は平成10年に再建されたもので、400年前に建立された旧鳥居は平成7年の阪神淡路大震災で復旧困難となり、氏子が団結して新しく建立した旨が記念の石碑に刻まれている。

大鳥居1

                    大鳥居2

          石碑
                    
 向かって右の柱に「鼻子山大和社」とある「鼻子山」とは、このへんの古い地名なのだろう。素盞嗚尊が配祀されているだけあって「鼻」なのだろうか。(スサノオはイザナギの禊の時に鼻から生まれたとされる。左目がアマテラス、右目がツクヨミ) そう言えば、大宮の武蔵氷川神社も高鼻町というところにあった。

 参道と境内を兼ねたような地肌丸出しの乾いた地面が拝殿まで続き、その両脇を鬱蒼と茂った樹木が囲んでいる。樹木の根元は土塁のように高く盛り上がって外界から遮断され、なにか秘密の基地か要塞のような趣が漂っている。
参道

 考えてみれば、私が子供の頃の地域の神社は、こんな感じの素朴で野性的な造りが多かった気もする。参道に踏み石が敷き詰められ、すっきりと区画整理された神社など、昔は神宮や大社クラスの格式ある社だけだったのかもしれない。

拝殿
 拝殿は素朴な切り妻造りだが、やはり壁のない開放系で、奈良の大和神社や樫原神宮と共通する。

               熊蜂
 拝殿向かって左に、大輪のさつきが花を開いていて、大きな熊蜂がいつまでも蜜をあさっていた。

          樹
 拝殿向かって右には、神道と言うより仏教の天上界の風景が似合いそうな、異国情緒たっぷりのひょろ長い樹がある。迦陵頻迦(かりょうびんが)の舞い飛ぶ極楽浄土を連想させる。(オーブらしきものが写ってしまったが、逆光でよく写る現象なので、本物かどうかはわからない)

               石の円盤
 拝殿正面の左右の地面に、ドーナツ状の石の円盤のようなものがいくつも埋め込んである。祭りの時などに、のぼりの旗を差し込む台かもしれない。

由緒書き石碑
 大きな石碑の由緒書きを見ると、「土御門天皇元久二年庁宣ニヨリ祭料ヲ下サレ其神ヲ祭リ」とあるから、配祀にある土御祖神とはこの土御門天皇のことだろうか。
 「土民群集桜花ヲ賞ス世ニ二ノ宮ノ桜祭ト称シ世人ノ知ル所ナリ」ともあるので、桜の祭りでも有名だったらしい。「花」の女性的なイメージと、「鼻」の象徴する闘神:素戔嗚のイメージと、なんだか拮抗する危ういバランスを感じさせる神社だ。

 出雲も初期の開拓期には、素戔嗚を軍事の守護神としていたかもしれず、後の神武(ジンム)や倭健(ヤマトタケル)もそれは同じことで、後の研究者の論法では、この祀るほう(出雲や神武や倭健)と祀られるほう(スサノオ)がしばしば混同され、同一視される傾向がある。
 さらに後の天武天皇や織田信長も、決戦の前には素戔嗚(≒牛頭天王)に詣でたのは同じで、つまりここ一番の大勝負の時には、派閥を超えて闘神の総帥として信仰されていたのが素戔嗚大神だった。したがって、この神社に素戔嗚が配祀されているからといって、素戔嗚の直系の神社とは言えない。ただ、軍事に携わることが多かった氏族の神社、という暗示だけが残る。
 
 碑文の最後のほうでは、「当社ハ大国主神即チ大己貴神ナリ」とある。「其故ハ大黒ノ神影ヲ摺テ世ニ弘メ配ル古板アリテ今猶珍伝シ」ということだから、大黒様の御姿を摺る版画の原版があったことが根拠らしい。
 しかし、出雲の「大国主」が七福神の「大黒」の読み替えで習合するのは、早くとも室町時代以降のことであるから、これは裏の“祭神隠し”のカムフラージュに思えてしまう。神武よりも出雲系のほうが、ポピュラーで無難だった時代があるのだ。歴史の逆説と混線である。

 神社のサイトの中には
「古代の社殿は、西向きで瀬戸内海に向っていたが、海上を通る船人が礼拝をせず。祟りをなしたので、南向きに変更されたという。現在は南南西向き」と記すものがある。
⇒大和大国魂神社 大和大圀魂神社 大和大國魂神社 (淡路島)
 なぜまた、船人はこの社を礼拝しなかったのだろう。それはこの周辺の古くからの海の民が祀っていた神ではなく、朝廷からこの地に左遷された神であり、押し付けられた神社だったからではないだろうか。
 なぜまた、この神社の神は、遠く瀬戸内海を通る船人の礼拝まで強いるほどプライドが高く、祟りをなすほど偏屈だったのだろう。それはかつてはこの神が、中央である朝廷の政権をも支配した皇族の神であり、後の政争からリストラされ、祟り封じとして島に流された神だったからではないだろうか。
 横っちょを向かせればいいという発想も、いかにも姑息だが、その程度のことで祟り除けになったとすれば、この神がこの地の民に直接の怨みはなかったからだろう。
 権力闘争の末、中央から弾かれた“祟り神”であり、都から最も近所の“島流し”“神流し”の地が、この淡路島でもあったのだ。

 そもそも西向き(日没の方向)の社殿が珍しく、これ自体が祟り鎮めの社であった可能性を臭わせている。もうひとつは、この神(氏族)のルーツが西からやってきた「日向族」の一派であり、その後も同族の子孫達が援軍として西から入ってくることを期待して、いつでも迎え入れられるよう西を向いていたのではないか。そんな幻想をも抱かせる。(詳しくは、前回、前々回を参照)

 伊勢久留麻神社はほとんど神様不在の遺跡だったが、この大和大国魂神社はかろうじてホットラインで結ばれていて、何かの時に蘇りそうなやばい雰囲気はある。小一時間もこの場にたたずんでいたが、社務所の人間も居なければ参拝者も人っ子一人訪れることのない、実に不可思議な異空間だった。


「大和大国魂神社」編を終了。
「国産みの島、淡路」シリーズはつづく。


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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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