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大和大国魂神社と建国の謎

2008,,06
 前回、奈良の大和神社、および淡路の大和大国魂神社の祭神は、神武天皇やその一族の祖霊ではないか、という仮説を展開した。が、これはもちろん祭祀の歴史が秘匿されてきたことを前提とする「隠れ祭神探し」の論法である。表向きの社伝や延喜式の神名帳に、そんなことが書いてあるわけがない。そういう表向きの記録は、神道の歴史の氷山の一角にすぎない、ということを肝に銘じておいてほしい。神道の歴史とは、改竄と隠蔽と秘匿の歴史なのだ。

 念のため、ここで大和神社と大和大国魂神社の、記録の上での祭神を整理しておく。

▽大和神社(所在地:奈良県天理市新泉町306)
中央:日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ) 別名:大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)
 向右:八千戈大神(やちほこのおおかみ)
 向左:御年大神(みとしのおおかみ)
▽大和大国魂神社(所在地:兵庫県南あわじ市榎列上幡多857)
 祭神:大和大圀魂命
配祀:八千戈命、御年命
素盞嗚尊、大己貴命、土御祖神

 大和神社を勧請したものが大和大国魂神社なのだから、祭神が共通するのは当然だが、日本大国魂大神(大和大圀魂命)、八千戈大神(八千戈命)、御年大神(御年命)の三神が共通している。
 淡路の大和大国魂神社のほうは、これに素盞嗚尊、大己貴命、土御祖神の三神が加わる。大己貴命は出雲神だし、土御祖神は聞きなれない神名だが、豊受大神宮(伊勢の外宮)の別宮として知られている。(土宮の祭神:大土乃御祖神)
 朝廷側の神道からするとトラブル・メーカーのイメージがなくもない素盞嗚尊や、先住系の出雲神が、臆面もなく配祀されているところが面白い。淡路島の分社のほうが大和の本社よりも、コスモポリタンだったのだろうか。 こちらのほうが、藤原不比等+持統王朝に摩り替わる以前の、初期大和王朝の原型をとどめている、とは考えられないだろうか。地方の分社だからこそ、中央から細部までの干渉をまぬがれた。故に“消された”神名が少ないのである。

 「八千戈神」については、『古事記』によると出雲の大国主の数ある別名のひとつとして知られるが、各地にある「八剣神社」の祭神が素戔嗚尊であることが多いことなどから、八千戈神=八剣神=素戔嗚尊であると解釈するむきもある。が、そうすると淡路の大和大国魂神社では、八千戈神も素戔嗚尊も両方とも祀られているので、祭神が異名同神として重複してしまうことになる。
 一方、通説に従えば「大己貴神」も「八千戈神」と同じく大国主の別名であるから、この種の神名の重複や混線は、神社神道では日常茶飯事の不条理ではある。幾多の部族の信仰が、重層的に絡み合い、政治的な駆け引きから隠されたり、すり替えられたり、こじつけられたりしてきた歴史の闇なのだ。

 神道は一見シンプルだが、少し突っ込んでみると複雑怪奇でわかりづらいと言う人も多い。当たり前の話である。隠蔽王朝の残滓である神社庁の説明に、教科書のように明快な公式などないと思ってもらわなくては困る。
 神道とは、おおいなる謎かけなのである。現行の権威や通説のキレイゴトの中に真実などない。仮面をひっぺがした逆説の彼方に、真の姿があるのである。

 「御年神」は大年神の子で、スサノオの孫ということになっている。その大年神(大歳神)は、近年の研究者によって、先着の天孫降臨である“元”大和の大王:饒速日(ニギハヤヒ)のことだというのが、なかば定説化している。
 したがって、大和神社の配祀は、素戔嗚、饒速日、大国主などの先住系の神々でガッチリと固められていることになる。後の持統・藤原朝による伊勢神宮の権威付けに較べれば、ネイティブ系の神々に想像以上の敬意を表した祭祀形態と言わざるをえない。いくら軍事的・政治的に支配しても、当初はそうしなければ国が治まらいほど、出雲と元大和(饒速日)の神威は広大に浸透していたのだろう。

 では、なぜ、いっそ出雲・元大和連合の神社とせずに、神武天皇が“隠れ”祭神であると推定するのか。それは淡路の大和大国魂神社のほうの数少ない祭礼の筆頭にあがっている、2月11日「建国祭」が雄弁に物語っている。
⇒大和大国魂神社 大和大圀魂神社 大和大國魂神社 (淡路島)
⇒建国記念の日 - Wikipedia
 「建国祭」とは、かつて明治期から戦前までは「紀元節」と称された国民の祝日で、神武天皇が即位したとされる日に由来している。
 本社の大和神社のほうは祭りが多すぎてぼやけてしまうが、地方の分社のほうが古代の名残りを素朴にとどめていることもある。もし出雲・元大和系の神社だったなら、自分らを侵略し征服した神武王朝の建国を祝う祭りを、末代まで伝えるものだろうか。
 神武王朝は国を治めるための折衷案として、先住系の神々を配祀したのである。それは男系天皇としながらも、当初は出雲系から皇后を迎えていたという、政略的な婚姻形態からも窺い知ることができよう。

 伊勢神宮が権威付けされる以前では、むしろこの大和神社と大神神社、そして石神神宮の三社が、初期大和朝廷の祭祀の最重要拠点であったとする説も散見する。
 そして、この三社はすべて、物部氏の息のかかった神社なのである。大神神社は自然霊としての土地の守護神を祭る総本社であり、石神神宮は軍事と霊的な秘術を伝えるイニシエーションの奥宮であり、大和神社は神前において具体的な政治指針を談合したり卜占したりする神前議事堂だったのではないか、というのが私のインスピレーションである。
 前回のトップ写真の解説で、大和神社と(神武天皇を祀る)樫原神宮が「開放系の拝殿と、中庭のような空間を隔てて、奥に本殿がある構造が、似てないだろうか?」と書いたが、この構造がまさに、本殿に招魂した守護神や祖霊の御前で、閣僚達が政治的な相談をしたり、社交的なイベントを催す場だったと想像できるのだ。

大和神社2 △大和神社 - Wikipediaより 

 だが、物部氏の凋落とともにこの物部系三社の権勢も退き、伊勢神宮へと最高権威が移行していく。特に政治的会堂であった大和神社の衰退が最も顕著だったのだろう。その裏には、手のこんだ政治的クーデターが潜んでいる。
 この物部氏は(前回に説明したように)神武系の物部氏であるから、神武の名は祭神から消された。代わりに日本大国魂大神という抽象的な神名が残されたのである。

 「大国魂」と聞くと出雲の「大国主」を連想しがちだが、もとの意味は似たようなもので、その連合共和国の大統領とか総理大臣ということであり、固有の神名ではない。しいて使い分けるなら、生前は(○代目の)「大国主」であり、死後は代々の国王の霊魂を総称して(霊団としての)「大国魂」としたのだろう。
 新しく即位した天皇は、この「天皇霊=大国魂」の霊団を守護霊として我が身に結びつけるイニシエーションが義務づけられていた。それが真床追衾(まどこおうふすま)である。

▽以下『天皇はやはり神だった』より引用

◎「新しい神」となる儀式
 正殿にあがった新天皇は、奥の部屋に入って外部を一切排除した「おこもり」の時間を持たれる。そこでは「八重畳」という特別あつらえの分厚く重ねられた敷物の寝床が、降臨する神の「寝座」として設けられ、その上には聖なる夜具が置かれている。また、「寝座」の四周には「沓」「扇」「櫛」が配置されているという。
 その聖なる夜具こそ「真床追衾」と呼ばれるものである。真床追衾という言葉自体は、もともと御神体や御霊代など、聖物・神体にかける絹製の衾(布製の上掛夜具)をいう。つまり、神霊の降臨される依代にかける神聖な寝具・掛け物である。
 実際には、その寝座に関して、新天皇がどのような行をされるのか、何も伝わってはいない。しかし、日本全国の神社の中に、各神社での新嘗祭(大祭)のとき、神主がそっくり同じような「いみごもり」の儀式をする例があることから、ある程度の推測はできる。
 新嘗祭をする神社では、やはり奥殿の神座に潔斎した布団とかけものを用意し、正装した宮司が、外部を一切遮断して、布団の上にかけものをかぶって一定時間横になる。この聖なる寝具にくるまった「おこもり」には、横になっている間に、神の力を受けて生命力を更新するという意味がある。
 同様のことが、「大嘗祭」正殿でもおこなわれていると見てもおかしくないだろう。
 新天皇は、神の降臨する「寝座」に横たわり、「真床追衾」をひきかぶり、一定時間横たわる。このとき、真床追衾は、新天皇を生み出す「天皇霊の受信装置・依代」となり、新天皇に「御稜威」が宿る瞬間を迎えると考えられる。
 いいかえれば、真床追衾は、純粋無垢な赤子と同じほど精進潔斎された新天皇を、外界から完全に隔離するバリアとなり、皇位継承者のみにかかる「天皇霊」を受け取り合体させる霊妙な器官となるのである。
 ご神体にかける真床追衾を、みずからかぶられるということは、新天皇そのものがご神体=神になることを意味するのはいうまでもない。ここから、皇位継承者は、決定的に「新天皇」となられるのである。
 また、この「おこもり」の儀式にあたり、特殊な祝詞や祭文などをとなえたり、あるいは横になっている間に、神霊よりくだされる夢を見て、半覚醒状態で「天皇霊」の降臨を受けるということも想像できる。「沓」「櫛」「扇」などの小道具も、新天皇だけの秘儀の行法のために用いられているのかもしれないが、それらについては全くの謎である。
 こうして「天皇霊」を受けて「御稜威」を発揮する「新天皇=新しい邇邇藝命」が誕生する。
 これらの儀式が、単なる形式ではないことを、今上天皇の大嘗祭に参加し、今上陛下の変化をまのあたりにしたある神職が証言している。その神職は、今上天皇のお顔が、正殿での「おこもり」の儀式に入られる前と後では、まるで違っていたという。儀式を終えた新天皇の姿には、それまでになかった、みちがえるような「威厳と力強さ」が備わり、畏怖を感じたというのである。
 たった一晩で、皇位継承者を、威厳にあふれた「天皇」にしてしまう働き・・・それこそが、万世一系の歴代天皇が受け継ぎ、手渡してきた「天皇霊の御稜威」の何よりの証拠といえないだろうか。 (了)
  

 この皇位継承としての真床追衾の秘儀を施す場は、物部王朝時代は石神神宮であり、ふだんの政治的な託宣を伺う里宮が大和神社であり、戦などの重大事に、もっと本格的に誓願を立てるのが三輪山の奥宮だった、というのが、現時点での私の解釈である。
 
 但し、基本的に、これらは神武系の物部氏の築いた祭祀の体制である。何度も言うように、神武系の物部氏が物部の全てなのではない。それは物部の氷山の一角にすぎない。 それよりも以前から先住していた(が、その後の記録からは完全に抹殺された)物部もいる。
 あるいは出雲系もいる。スサノオ系もいる。東北の蝦夷もいる。渡来系の新興王朝が現世の民を洗脳しても、霊界の古参の神々を支配することはできない。強力なネイティブ系神霊の結界基盤を無視して、国を治めることはできなかったのである。だから、大和神社ではそれら先住系の神々にも敬意を表して、ゲストの祭神として丁重に迎え入れなければならなかった。
 これは前回に紹介した大物主の祟り話とも符合する。
⇒謎深まる大和大国魂神社(上) ~国産みの島、淡路⑦ ~
 まず大元の親神を祀ってから、現世人間界に近い支流の子神を祀らなければ、世は腐敗し混乱する。天地宇宙の法則が逆流し、停滞し、腐敗することを、「祟り」という言葉で顕したのだ。
  
 この神々の重層構造は伊勢神宮の起源においても同様である。なぜ約六十年の歳月を要して二十五回もの遷宮を繰り返さねばならなかったのか。それは新しく列島に参入した神が、古くからの土地神を無視して国を治めることができなかったからだ。
 神武系物部氏の場合は、自らの祭祀の場に古参の神々を迎え入れて御機嫌をとったわけだが、伊勢内宮のアマテラス(私の説では卑弥呼系の末裔)の場合、実は当時の勢力としては弱小だったので、謙虚に自分から近隣諸国の霊場に出向いて挨拶回りしたのである。その真摯さに感じ入った古参の神々(元伊勢の神々)が、時代の趨勢を読みつつ、一時、この国の霊的な政権(神権)を移譲した。
 これが私の説く、長年の遷宮の後の伊勢神宮創建の秘密である。
 
 一方、その「一時」を横取りして利用し、この世の支配体制を長らく牛耳ったのが、新参アマテラス(卑弥呼系)とは何の血脈も霊脈もない、藤原不比等の操った持統王朝の体制である。伊勢内宮のアマテラスは謙虚だったが、それを利用して担ぎ上げ、その後の神道界をまるごと隠蔽・偽造し、すり替え、乗っ取った藤原不比等プロジェクトは、狡猾と欺瞞の極みだった。
 日本の政治体制には、その情けないDNAも受け継がれていることを忘れてはならない。

 “その”体制が現在まで尾をひいているわけだが、そろそろ次の時代展開に移る頃だろう。


(つづく)

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

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