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メモリアルとしての伊勢久留麻神社(後編)

2008,,07
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△「神宮大麻」と呼ばれる、家庭や職場の神棚における「天照皇大神宮」の神札。
伊勢の神宮
家庭のおまつり 神宮大麻をご家庭に
お札・お守り 神宮大麻(じんぐうたいま) より転載。
☆ついでに、
麻声民語(1)神宮大麻ファシズム
のようなへそ曲りな御意見も参考に、バランスをとってください…。


 5月7日
 常隆寺のある伊勢の森の山から下りて、島の東側(大阪湾側)の28号線へ出ると、その国道沿いに伊勢久留麻神社はある。しかし、注意深く車を走らせていたにも係わらず、我々は一回で見つけることができなかった。こんな見晴らしのいい国道を走っているのに、わからないとはどういうわけか。どこか別の場所に遷宮してしまったのか、もしかして、もう廃社になってしまったのではないか、などと勝手な憶測を言いあった。それほど神社の気配というものを感じなかったからだ。
 横道に入って車を停め、あたりを見回し、「念のため、もう一回りしてみよう、あの方角に神社の森らしきものが見えるから」と妻を説得する。裏道から戻って、今来た国道に出て、もう一度ゆっくりと車を走らせる。と、決して小さくはない白い鳥居を発見。走行中の車の視界からは死角になりやすいとは言うものの、なぜ気がつかなかったのだろう。
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 その一の鳥居の横に案内板があり、例の昭和55年のNHK番組「知られざる古代」による、「西の伊勢」の仮説が紹介してある。境内の石碑にも同様の説明があった。

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 敷地はかなり広く、参道横に車が何台か駐車していたが、神社に用があって停めているのでもなさそうだ。基本的に無人の社らしく、神職の方が常駐する社務所も見当たらない。がらんとした風景で、なんだか神様もお留守のような気がした。(だから我々の神社センサーがはたらかなかったのだろう?!)

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 拝殿の中央が内側に凹んでいて、そこに入り込んで礼拝するようになっている。これは富士山北口本宮の浅間神社などと同じスタイル。

 瓦屋根と木造建築はそれなりに由緒が古そうだが、どことなく仏教寺院の建築様式の影響を感じさせる。四国と同様、お遍路さんが盛んな土地柄のせいだろうか。屋根の上に高々と千木が組み合わさるような、一目見て神社だとわかる建築様式が、どうも淡路島には少ない気がする。(伊勢久留麻神社のサイトを見ると、奥の本殿には千木があるが、正面からは見えない)

 祭神は大日孁貴尊。別名、来馬大明神。あるいは、伊勢明神。

⇒伊勢久留麻神社 (淡路市)
 大日孁貴(オオヒルメムチ)とは天照大神の別名だとか、いや卑弥呼のことだとか言われるが、天の「大神」と人間の「巫女」ではずいぶんと存在感が違う。どちらかにしてほしいものだが、私はやはり(太陽神そのものではなく)「日の巫女=卑弥呼」説を採りたい。この時代(弥生期)としては珍しい、シャーマンであると同時に政治的リーダーでもあった、女性カリスマ・リーダーを連合部族の象徴として迎え、その代々(複数)の女首長の霊団を、没後に擬似氏神のようにして祀ったメモリアルが、この伊勢久留麻神社なのだと思う。(後に伊勢神宮から勧請したとは言うものの、かつてのゆかりの地に記念碑的に建てた、というのが私の仮説。)
 そして、その拡大延長として、国家規模の連合体の象徴として祀り上げられたのが、後の伊勢の皇大神宮(内宮)だった。だから、皇大神宮の祭神(通説では天照大神)にとって、本当の経過地としての「元伊勢」ならぬ「元邪馬台国」は、南方渡来系の連合氏族が東遷してくる北九州~淡路あたりなのであり、これに対し、関西圏全般に放射状に点在する、いわゆる「元伊勢」と言い習わされる地は、現在まで続く皇大神宮(内宮)のスピリチュアル・ルーツなのではなく、皇大神宮以前からの「ネイティブ伊勢」なのである。

 NHK水谷説による「知られざる古代」「太陽の道」は、伊勢久留麻神社を持ち出しながら、なぜ北九州(福岡県)の久留米市を連想しなかったのだろう。「皇大神宮の祖神は弥生時代以降の渡来民族の神である」という「国家神道≒⇒神社庁神道」最大のタブーに抵触することを畏れ、寸止め理論にしておいたのだろうか。

 「米が来る」とも読み替えられる、この「久留米」が、アジア南方からの集団稲作農耕文化の本格的伝来と定着を暗示していて、即ちそれが卑弥呼+神武の東遷してきた「太陽へと向かう道=日向の道」だったのではないか。
「久留麻」の「麻」については、古代の列島にもあったらしいが、『魏志倭人伝』にも麻の記述が出てくるので、卑弥呼の邪馬台国が東遷してくる「日向の道」と共に、麻布の文化が伝播していったことも考えられる。(麻の原産が中東だという説もあるので、ユダヤとも関連するか?)

⇒麻 (繊維) - Wikipedia
⇒アサ - Wikipedia
 麻は皇室とも関係が深く、古くから麻の糸や布が献上されていたというし、家庭の神棚の中央に祀る「天照皇大神宮」のお札のことを「神宮大麻」と呼び、(神社庁の指導では)伊勢の皇祖神の依り代とされていることを知る人も多いだろう。(トップ画像参照)
 また「来馬大明神」は、「馬」の文化も「米」や「麻」とセットでやってきたことを暗示しているのかも知れず、これは騎馬民族系の血が濃い神武の系統が合流していたことの証かもしれない。
 さらに、北九州~淡路~伊勢と、常に海辺の地域を拠点としてきたところは、海洋系民族の文化も色濃くミックスされていたのではないか。

 現代日本人は、何かと言うと農耕単一民族にアイデンティティを求め、他の民族は自分らとは違うが故に「外来民族≒侵略者」と決めつけたがるが、これは平安京や江戸時代の閉鎖的文化で醸造された、排他的な同族幻想の「和」である。
 中央集権の頂点が同一氏族の家長であるかのような幻想で洗脳し、決して分権・自立のレジスタンスを芽生えさせないよう、どこまでも“お上”(為政者)にとって都合の良い「和」で懐柔する。名目上は農民が皇族や武士の次に偉いようにおだて上げ、実質的には農耕“奴隷”として集団の労役を搾取する。その偽りのマトリックス(絆)から目覚めていない、彷徨える日本人が、最後のあがきをしているのである。

 大和朝廷の原型ひとつとっても、すでに弥生期(いや縄文末期かな?)から、日本はファジーなミックスド文化なのだ。だからこそ、様々な異文化・異民族にも柔軟に対応して、動乱期を乗り越えてくることができたのではないか。日本人は混合多民族ルーツであることを、もっとおおらかに歌い上げてもいいのではないか。
 これからの怒涛の地球維新の時代、世界の機軸となる役回りとして、本当に必要とされる特質は、しなやかな大和民族の奥底に眠る、むしろ外部や異質なものとの「和」のDNAだろうから。


(つづく)

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モリ@久留麻
淡路島にはユダヤ人の漂着、日本初上陸(伊島~沼島。さらに、灘油谷/ユダニ・・・ユダヤ?地区)伝説と、それらに各地には関連性があるとされた遺跡群が数多あると言われます。

淡路島の南端、油谷など灘地域は近年まで北に聳える急峻な諭鶴羽山系(南側は「壁」と言っても過言のないような急斜面。訳は、沼島との間にある日本最大の大断層帯。日本構造線が走る)や海と交通の便の悪さで外界と隔絶された僻地指定地域。

太古、漂着した人たちはそれこそ産めよ殖やせよで急速に人口を増やして行ったと言われます。
この土地の人たちは昔から淡路島の他の地域とは異なり、
背が高く目鼻立ちがハッキリスッキリした人たちが暮らしていて、美人美男の里と言われて来ました。

時代が下って屋島等の源平の戦いで敗れた落人も時を隔てて奇しくも油谷に漂着。
その時には既に件の人たちのコミュニティーが有ったと言われます。
このやんごとない都人たちとも混血が進んでいったとされます。
この油谷の人たちが山を越え全国各地に進出して行った・・・と

油谷地区から諭鶴羽山系を越えた真北に「油谷山」
その北には「大和国魂神社」(祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊とされた時期も永くあり)や「おのころ島神社」。(・・・謡曲、高砂で有名な高砂神社や尾上神社もこの真北。)
更に北には先山や伊弉諾神宮。

地元歴史研究者ほか結構ディープにやっているグループが有り出版物も出しているようです。

漂着ユダヤ人となると伊弉諾さんや伊弉冉さんはユダヤ人?

天の御柱は先山?
地元の国生み伝説では先山はおのころ島に他に先駆けて出来た原初の霊山。不二の山=富士山。

地質時代に遡れば今の洲本平野にはかなり大きな火山がって、
いつの日か大爆発と山体崩壊して陥没した後に堆積物が堆積して平野となり、
現在の山並みはその火山の外輪山だともいわれます。(ぐるっと見渡せばなる程、それらしく見えない事もありません)

先山には目立ちませんが岩戸神社ほかあり。頂上がお寺に占拠される以前は御神体山として伊弉諾尊や伊弉冉尊他がお祭りされていたのかも知れません。
(伊勢の森も同様)
伊弉諾尊は淡路島神ともされる淡路島の大地主神さまですから。

麓の数多の神社の社殿は一様に先山に背を向けて参拝者は先山を遙拝するような格好です。


2010.08.26 23:28
モリ@久留麻
コンクリート製の大鳥居は境内が国道で分断されて再整備された際に
地元出身で故松下幸之助氏の義弟、三洋電機の創業者である故井植歳男氏からの寄贈で建立されました。(鳥居に銘板あり)
生前、故人からは古里に対して物心雇用共に多大なご援助を蒙り名誉町民の称号を東浦町より贈られています。
菩提寺の本福寺(真言宗別格本山。ご本尊は薬師如来)には霊園整備や一族の霊園墓地と会社の物故者の供養塔を造営。
本堂改築に際しては、安藤忠雄氏により斬新な本堂上に蓮池を戴く「水御堂」や有名仏師による脇侍仏などの御世話になったようです。
(ちょっとした観光スポットに)

因みに、この伊勢久留麻神社の南北線には地元の寺社が偶然か一直線に綺麗に並びます。
仮屋の二寺(ウチのお寺さんも。ご本尊さまは熊野本宮をご遠望のようです)や
そのすぐ山側の金毘羅社。
仮屋事代主神社(えべっさん。西宮のえべっさんのように御神体が漂着と伝承。後背の遥か極みは出雲の美保神社?)。
久留麻神社。(南西の愛宕山が神奈備?)
松帆神社。(旗山八幡宮)
本福寺。他。
その北の「汐鳴き山」がランドマークのようです。
真南は友が島の「神島」(無人島)に行き当たるようです。

数十年前までは神主さん常駐でしたが、現在は隣の松帆神社(八幡宮)の宮司さまの兼務社と成っています。

拝殿の形式は割拝殿という形式です。
当地の淡路島や播磨、四国に多い様式のようです
ご本殿は一軒銅板葺き檜流れ造り。千木は外削ぎ。屋根の勝男木は三本。
境内社には
伊弉諾社
(伊弉諾大神さまを何等かで祀る所(伊勢、気比、宮津、熊野、立山、他)は重要かも知れません)、愛宕神社、
弁天社、
飛び地境内(百メートル東の元大鳥居横)に稲荷明神(防火の為に伏見より勧請と年寄りからは聞きます)


昔日の神主さん常駐(社殿横の建物に起居)の頃の白黒写真(神主さんも社殿前に佇む)を拝見すると境内は広く奥行きもあり樹木が鬱蒼と茂り、森厳で、御祭神の御綾威御神気も強くあるように拝察します。(全く別物)

現今は平静はノホホンとボケーッとしていますが、例大祭や新嘗祭などで宮司さまほかが厳齊の節はビックリするほど鮮烈で(指先までピリピリとする)圧倒的な御神気を煥発なされます。
ご機嫌麗しい時は結構有り難く、御神気も感じまして、無風時でも神風(微風)をお吹き掛け下さいます。

境内の車は神社維持のため残念ながら、やむを得ず近隣の企業等の駐車場として貸しています。
国道浜側の分断された境内もこれもやむを得ず、かなり手放してしまいました。


2010.08.26 21:58

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私は日ユ同祖論者ではありません。 しかし、まだ近代国家の概念が無く、国境も民族も曖昧だった古代。現代の私たちの創造を遙かに超えて、地球上の民族は流動していたに違いないと考えている者です。 であれば、古代の日本に、直接ユダヤ人がたどり着いていなかったとして...
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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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