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母神まどろむ、霧の諭鶴羽山 

2008,,05
 5月5日
 夜通し車を走らせて淡路島へと渡った初日。おのころ島神社へお参りしたその足で、一泊目の宿へと向かった。
 標高608mとは言え、淡路の最高峰である諭鶴羽山(ゆずるはさん)。その麓に南あわじ市 サイクリングターミナル ゆずるは荘は位置している。この諭鶴羽山に登ることが、その日のメインイベントだった。
 午前の時間帯だったが早めのチェックインだけ済ませ、ついでに諭鶴羽山の登り口を尋ねる。小雨が降りだしていたが、この程度なら大丈夫だろうと外に出ると、宿の人が追ってきて山道の地図を渡してくれた。駐車場で雨用のジャケットに身を固めていると、今度はフロントから携帯に電話がかかってきて、もし雨で道が悪くなり下りが困難なようなら電話をくれれば、車道で八合目くらいまで入れるルートがあるので迎えに行く、とまで言ってくれた。
 そんなに危ない道なんだろうか、それとも我々がそんなに頼りなく見えたのか、などといぶかったが、驚くほど気さくな親切さにも心を打たれた。(この心配りをしてくれたのは年配の男女の従業員だったが、舟木石上の巨石祭祀の場所をパソコンと電話でてきぱきと調査してくれたのも、ここの若い男性だった)

 諭鶴羽ダムの堤防の上の橋を渡ってから、車道を少し登っていくと、道の脇に登山道の入り口がある。かつては熊野系修験で栄えた地ということで、「諭鶴羽古道」という名が付けられている。
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 適度に緑が生い茂る山道に分け入ると、季節も良かったのだろう、可憐な山桜や生き生きとした大輪のつつじ(さつき?)が迎えてくれる。人に見られようと見られまいと、誇らしく咲き続ける花たちの姿に、この山の生命力を感じる。
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 中腹にある神倉神社の小屋の前に、「諭鶴羽」(ゆずるは、ゆずりは)の名の由来が説明してあった。イザナギ、イザナミの夫婦二神が鶴に乗ってここに降臨し、一時、羽根を休めた伝説からだという。
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 この夫婦二神のことを「諭鶴羽神」とも言う。鶴の背に乗って降臨したのか、それともイザナギ、イザナミ自身が鶴の姿に変身して舞い降りたのか、よくわからないが、社伝によると第九代開化天皇の御代というから、太古の創世神話時代の降臨とは違う。いずれにせよ『記紀』による全国版の官製神話にはない、この地方の伝説なのだろう。(「元熊野」という呼称もあるらしいので、大和朝廷以前からの先住民ネットワークの伝説を母体としているのかもしれない)
⇒諭鶴羽神社 兵庫県南あわじ市南淡町
 しかしビジュアルで空想してみたまえ。この鶴のイリュージョンは、なかなかに優美で捨てがたいものがある。

 時折、展望が開けるが、全体に緑で鬱蒼とした山道。
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 高度はないが、なだらかに続く尾根道の距離はけっこうある。2~3千メートル級の山は、中腹まで車やケーブルで入れるところが多く、歩行距離にすると案外、大差なかったりする。空気の薄いことさえ気をつければ、カラッとして気持ちがいいものだ。ところが春~夏の低山は、暑さと湿気で体力を消耗させられる。

 小雨が止むと煙るような霧がたちこめてきた。
 道端にある地蔵尊の石像を霧が包む。
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 山頂に着く頃には、一面の霧に覆われていた。
 小型の墓石のような、ペアの石塔。何なのかはよくわからない。夫婦ニ神の象徴だろうか。
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 頂上を越えて少し下ると、椿の垣根のような光景に出会う。
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 あたりは霧に包まれて幻想的な風景。
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 T字の分岐に当たる頃には、一寸先も見えないほどの、この日、最高密度の濃霧に覆われていた。地図に見る現在地点がどこなのかよくわからず、「奥の院 篠山神社」という碑が立っている方へ何度か行きかけたが、そこには小さな祠のような社があるだけで、目当ての諭鶴羽神社は見当たらない。
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 とうとうあきらめて山頂までもどった。というのも、妙に疲労が蓄積していて、気分的にもめげていたからだ。長距離夜行ドライブのせいと言うよりも、ポケットを膨らます財布とウエスト・ポーチが脚の動きをじゃまして窮屈になり、おまけにジーンズが湿度と汗を吸って重たくなり、股関節周辺のスジが痛くなっていた。若い頃は体力で押し通してしまえることも、年齢と共に微妙なところにシワ寄せがくる。
(この時の教訓で、熱い季節にジーンズで山登りするべきではないし、股関節の周囲を身軽にしておくべきだと悟った。ウエストはある程度絞めてもいいのだが、腰まわりにゆとりや伸縮を持たせたもののほうが、長時間の歩行にはよい。ニッカボッカーの乗馬ズボンとか日本神話の古代もんぺスタイルなどは、ファッション的にセクシーではないかもしれないが、実に機能的にできているわけだ)

 ひと息入れているうちに思いついて、持ってきた祝詞集を取り出し、霧の流れる下界を眺めながら『大祓詞』(おおはらいのことば)を奏上した。
 「天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて……」の言霊どおり、霧がだんだんと別れて吹き払われいくように見える。
 まだ何となくもの足りなかったので、後から『ひふみ祝詞』を挙げた。
 「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ(あまつのりとのふとのりとごとをのれ)」の後に「ひふみ」を挿入するという、古代物部オリジナルの存在を、いずみる。(旧あるく。)さんの日記で知ったのはその後のことだった。(中臣神道以降の秘伝では、「トホカミエミタメ」の『三種の祓い』が挿入されるのがスタンダードである)

 霧が晴れてきた山頂の見晴らし台。
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 そうこうしているうちに気力・体力がもどってきたので、もう一度、諭鶴羽神社を探しに山頂の向こう側へと下った。
 霧もだいぶ晴れてきて、先程とは別の光景のように見える。
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 なんのことはない、T字の分岐を反対方向(右)へ行けば、まもなく諭鶴羽神社の境内が見えてきた。さほど方向感覚の良くない妻が、この時は最初からこっちだと言っていたのに、地図上の現在地点を見間違えていた私は、どうしてもそちらの方向と思えなかったのだ。惑わされる時の感覚というのは、こういうものだ。

 分岐点からさほど離れた地点ではないのに、諭鶴羽神社のあたりはまだ濃霧に包まれていた。まるでここが霧の発生地点であったかのように、神秘的な結界に入りこんだ気分になってくる。

 この霊場紀行シリーズを始めて以来、やたらと山で濃霧に遭遇するが、これは土地神や古代霊の何らかのリアクションではないのかと思えてきた。神武天皇が東征の折、熊野の山中で霧に遭ったのは土地神の妨害であり、不吉なことのように『記紀』神話には記してあるが、私の場合どうしてもそうは思えない。晴れやかな歓迎一色ではないにせよ、敵対・妨害の波動とも違う。
 しいて言うならば、まどろみを破られた古代霊のトラウマの放出のようなもの。癒しを求めつつも、心を開ききれず拒絶するような。ぶつけどころのない悲しみや怒り、やるせなさ、あきらめと葛藤、そうした封印されてきた混沌とした心情が、水の氣を媒体としてじわじわと滲み出してくる。そもそも「水」は霊の依り代となりやすいものだ。霊界と現界を橋渡しする、メッセンジャーなのである。

 頂上からの下りだと神社の横っちょから入る形となり、鬱蒼とした木立の奥に籠れるようにたたずむ社と遭遇する。
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 後で知ったことだが、こちらは摂社の十二所神社。祭神はよくわからないが、朱ではなく赤く塗った小型の社がひっそりと、しかしあたりの空間を制するようにたたずんでいる。
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 一間社流れ造りで朱塗りというと弁天を想起するが、これは弁天ではないと直感した。ただ、とてもとても古い時代の女神のような気がした。
 摂社というからには主祭神ではないし、「十二所」神社と言うからには縁故ある土地神の全員集合として、複数の客人神(まろうどがみ)を祀ったものと理解するべきだが、私にはなぜか、どうしてもこちらが主祭神を鎮める奥宮としか思えなかった。だから、二人ともこれでお参り完了と早合点し、帰りかけたくらいだった。

 霧に包まれる幻想的な境内の木立ちを横に抜けると、
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 「樫の社」と石碑の和歌に詠まれた、小さな白木の社がある。これも祭神不明。
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 となりに「ゆずりは木」と立て看板に記された植樹がある。ゆずりは→ゆずるは→諭鶴羽の命名も、この樹からの掛け言葉や語呂合わせという側面があったのだろうか。
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 新葉が旧葉に交代していく姿が「譲り葉」なのだと紹介しているサイトもある。
⇒諭鶴羽神社 兵庫県南あわじ市南淡町
 新陳代謝は生命力の象徴であり、大きなサイクルで見れば死と生の循環交替劇である。これに関連して、イエス・キリストが実を結ばないイチジクの樹に言霊をかけて枯らした説話を思い出す。新陳代謝を拒否する単なる不老長寿は、生命の摂理ではない。「不死」は決して真理ではない。「生」に命の場を譲り、「死」を受け入れることによって、本当の再生があるのだ。次の世代に命の場を譲ろうとしない“狂い生き”のイチジクを枯らすことで、イエスはイチジクの根源の生命を救った。
 そう考えると、この「譲り葉」には深い意味が込められている気がしてくる。(「永遠の生命」ばっかり追い求めるキリスト教徒は、こういう「死」の解釈はしないようだけどね。「死」を忌み嫌う表の神道も、似たようなもんだね)

 一粒の麦、もし死なずば……。イエス自身もまた十字架にかかり「死」を通過することによって、一粒万倍の糧を後世につないだ。私に言わせれば、母神:伊弉冉(イザナミ)も同様、「死」の国(黄泉の国)の穢れを我が身に引き受けることによって、世界の「生」を禊(みそぎ=浄化)させたのだ。違うのは、イザナミには天上の神々による復活が約束されてはいなかった。天の計画ではなく自分の意思で苦界に沈み、“時の”天上界の大多数派に見捨てられたのである。
 そこから先が聖人君子(聖神?君子)ではなく、えらく人間臭いところだが、※夫神イザナギの統轄する“その”天界を呪うようになる。世界中を股にかけて猛り狂う悪龍ヤマタノオロチの現身(うつしみ)を操り、地上世界への八つ当たりリベンジをも企てていく。素戔嗚(スサノオ)に退治されることにより暴走に終止符を打ち、高天原プロジェクトによる強制浄化のため隔離されるも、癒されないイザナミの心はその後も長く尾をひいたはずである。(※このへんは出口王仁三郎『霊界物語』や各種『神示』や浜本末蔵の説などに基ずく、私独自の解釈。普及版『記紀』神話のスタンダードではない)
 ギリシア神話で、英雄ヘラクレスに救い出されるまで終りのない拷問苦に繋がれるしかなかった、巨人プロメテウスの無抵抗などに比べると、さすが腐っても「中興の創造主」の片割れ、凄まじい反逆の怨霊神パワーである。超威力ではあるが人間臭い。しかし、根本の動機付けが、ギリシア神話によくあるような「神々のエゴ」からくる支配欲や嫉妬心ではない、崇高な救済の動機から裏返った怨念である。それ故、世界から敬遠され、忘れられた、居場所のない聖なる怨霊母神の懊悩である。
 
 そのイザナミが諭鶴羽神社の主祭神と知ったのは、後になってからのことだった。下山して宿にもどった時、この諭鶴羽山は女神イザナミを祀るもので、どちらかと言うと、おのころ島神社が男神イザナギなのだと聞かされた。当初、私はどちらも、(形式上ではあるにせよ)夫婦神をペアで祀っているものと思っていたのだ。

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 こちらが諭鶴羽神社(諭鶴羽大権現)の本殿とされるほう。海側からの登山道で登ってくると、自然とこちらの正面へ導かれることになる。
 隣の森の中に隠れた十二所神社よりは、よほど開けてさっぱりしているが、やはり境内には苔むして曲がりくねった雰囲気のある樹木が多い。
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 我々が宿に帰ってロビーで一息入れていると、山歩きの格好をした若いカップルがチェックインしたところで、これから諭鶴羽山に登ろうかという相談をしていた。すでに午後2時は回っていたが、午前中の雨は嘘のように上がっている。そのせいかフロントの人達はあっさりしたもので、我々の時のような親身な心配をほとんどしていないように見える。「あの方達が今、下山したところですよ」と、こっちに相談をふってくる始末。
 登山前の我々に対する、あの身内を気遣うような細やかな眼差しは、いったいなんだったのだろう。ここの女神の意思の、何らかの投影だったのだろうか。

 [追記1]

 淡路島はこの5月が二度目で、一度目は3月の四国での娘の結婚式帰りだったのだが、その後、私は少し体調を崩した。何十年かぶりに、真っ暗闇の道を彷徨っている夢も見た。
 私は普通の(多数派の)スピリチュアル・ファンではないので、「闇」というものが嫌いではない。闇にも「濁った闇」と「澄んだ闇」があり、光にも「偽物の光」と「本物の光」があるのだ。しかし、今回はこのどんよりと濁って粘るヘドロのような闇を見たので、これはオオゴトだなと思っていた。
  初めての地に意識を持って巡礼した時、何らかの古代カルマを受け取りやすいというのは、私の体質の場合、珍しいことではないのだが、それにしても空気はカラッとしているし、人の心はしつこくなく暖かいし、食べ物はおいしいし、だからといって暴飲暴食したわけでもなし、いったいなぜだろうかと思っていた。

 当初、覚悟していたのは、国産み・神産み神話の冒頭で棄てられた、初子の水蛭子(ヒルコ)の因縁だったのだが、
⇒国産みのサンクチュアリ(聖跡)、おのころ島神社 ~ 国産みの島、淡路⑫ ~
これに関しては何の手応えもなかった。
 ヒルコは隠された神々の系譜(宇宙創造神の機密計画=隠し玉)であり、不遇ではあれ、実はさほど悲惨な目にあってはないのかもしれない、と思うようになった。少なくとも、母神の死産の後に父神に斬殺されたカグツチよりは、清々しい神だったのかもしれない。

 では何だったのかというと、やはり母神イザナミの未浄化な部分だったようだ。というのも、それほどハッキリとした症状ではないのだが、私の体調不良がぐずぐずとした便秘を伴う腰痛と、指の乾癬だった。断食をしたり、飲食物に気をつけると、それが回復してくる。イザナミが黄泉の国の穢れた食事をしたから、神々の世界に還れなくなってしまった、という神話と呼応するのである。
 東洋医学やケイシー療法や最近の進歩的(異端的?)な医療の世界でも、腸のコンディションが未だ解明されていない難病奇病に関連している、とはよく言われることだ。腸内の異常発酵や腐敗は、皮膚にダイレクトに反映する。神話が黄泉の国のイザナミの「醜さ」を強調するのも、ここにあったのではないだろうか。
 そして伊勢の外宮で、毎日欠かすことなく、食物の献上による祭祀が続けられているのも、単なる豊饒の現世利益などではなく、霊界・神界ぐるみの浄化供養を促進させる伏線であり、母神復活の黙示的な秘儀であったと、私は睨んでいる。
 

 [追記2]
 
 余談になるが、私が黄泉津大神であるイザナミのことを怖くなくなったのは、実を言うとここ数年のことである。

 昔(16~17年前だろうか)、紀伊半島の熊野灘に面する花の窟神社に詣でた時、すぐ近くの崖の上の安宿に泊まったことがある。
⇒花の窟・花窟神社【はなのいわや】-世界遺産登録『紀伊山地の霊場と参詣道』-
⇒花窟神社 - Wikipedia
 神社とは言うもののそこに社殿はなく、いわゆる原始信仰としての御神体の磐座とも一味違って、黄泉の国に沈んだイザナミと父神に斬殺されたカグツチの、母子二神の墓所とされている。
 その時の私は、母神イザナミの供養がこの旅行のテーマであると心に決めていた。なぜそんな恐ろしげなことを考えていたのかわからないが、30代の遅れてきた青春の放蕩生活を、ここいらでピリオドを打たねばならないという予感があって、最後にやり残したスピリチュアル・ワークのような気がしていたのだ。

 夜中に寄せては返す波の音を聴きながら、いまだかってない恐怖に身を凍らせていた。この国の長い長い歴史の闇の底で、無念の思いを抱きながら堕ちていった無数の亡霊達が、怨嗟の呻き声と共にほの暗い海の底から這い上がってくる。そしてうつむいた太母神の懐に抱かれ、再び酷いむくろと返り、ひたひたと、ひたひたと海岸線に打ち寄せられていく。その終ることない無言歌のような気がした。
 それが自分にとって危害を及ぼすものであるとかないとか、そういう訳のわかった話ではないのだ。ただ波音が奏でる凍りつくようなメロディが、途方もなくて恐ろしかった。私が霊的次元の話として「怖い」と語るのは、後にも先にもこの時のことだけである。

 それから熊野三山を巡り、十津川を溯り、奥宮の玉置山を経て、天川へと入る。免許のない頃だったので、田舎のバスとタクシーを使った壮大な暇つぶし旅行である。このルートを使うのはこの時で二度目だったが、全国巡礼にハマるきっかけがこの道程だったので、私にとっては忘れられない巡礼ルートなのだ。
⇒天河神社のホームページ
 夜中の天河大弁財天社で、偶然(必然?)、水の神を迎える祭祀に遭遇した。恒例の伝統行事とはとうてい思えない、ひそやかで自由なセレモニーだった。柿本宮司はボーダーレスなアドリブの人だ。何の前触れもなく、その場に居合わせた人達を祭祀に参加させてしまう。そこに居合わせたこと自体が、神の引き合わせというわけだろうか。
 この一期一会の不思議な夜のことは、書くとまた長くなるのでまだ伏せておこう。

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Dr.三斗Ra (ブログ管理人)
記念すべき初コメントが宮司様とは、驚きと同時に光栄です。
淡路島は東京からは遠いのでたやすくは通えませんが、多くの心ある人々の魂の故郷として、癒しと再生の場となりますようお祈り申し上げます。

2010.07.03 01:16
諭鶴羽神社 宮司
ご参拝ありがとうございました。
諭鶴羽山は、感じていただいた通りの神仏のおられる山です。かつては、修験の道場としても栄えていました。季節により山の表情も全然ことなります。また、季節を変えておこし頂ければ、ちがった表情の諭鶴羽山をお楽しみ頂けます。
2010.07.02 23:13

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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