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将門巡礼 ~ アセンション・序章 ~

2008,,16
 帝都物語 風と雲と虹と

 左:映画『帝都物語』のDVDパッケージ。  右:NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』のDVDパッケージ。

 以下、ホームページ「将門伝説」より引用。

 今から凡そ一千年も昔、平安時代に下総国の相馬郡(現在は茨城県)で、桓武天皇から五代の末裔となる平将門は、父親の病没後の遺産として残されるべき土地を叔父達親族に掠め取られてしまいます。それでも我慢を重ねながら朝廷から与えられた牧官としての任務にひたすら励み、駒の飼育を続けながら、農民や伴類、蝦夷、渡来人など、とかく世間から疎んぜられている人々も含め平和に暮らせるような国土を築こうとの思いに、曲輪から岩井辺りに新たな土地を開拓し続けるのです。
 しかし、それでも執拗に親族に土地を狙われ、ついには逆襲し叔父国香を討ち、更には常陸の国衙に逃げ込んだ敵を討ったことなどで、勢いに乗じて関八州を奪い、八幡大菩薩の託宣を受けて自らを親皇と称し、相馬郡岩井の地に居館を構え弟ら主要な配下には坂東の各国の受領を任命するなどした事で逆賊の汚名を受け、朝廷による追討軍が結成されます。しかし、その到着より僅かに早く、天慶四年二月十四日(940)下野の国田原辺りに住む俵藤太、藤原秀郷に討たれ、その首は京都に運ばれて四条に晒されてしまいます。


 以下、ホームページ「平将門公(平将門伝説)」より引用。
「日本歴史伝説 傑作選」(学習研究社)の引用、(文 武田昌憲 茨城女子短期大学助教授 2004年2月23日発行)

 竜巻のように坂東を席巻した平将門。それは王朝の落日を暗示する弔鐘となったが、「新皇」の自称が都の逆鱗にふれて討たれた。将門の首は京に運ばれても死なず、あな恐ろしや、かっと目を見開くと、胴を探しにいくと言って東の空に消えた。
 当時の関東の人々は重税と飢饅に悩まされ、それを顧みない国の役人の横暴に対して強い反感を抱いていた。そのとき、国府を次々と襲い、国司を都へ追い返す将門を見て、快挙と映ったにちがいない。そのため彼は英雄視され、各地に様々な伝説が広まることになる。超人将門伝説はその信仰とともに今日でも生きている。


 神社フリークである私も、これまで平将門ゆかりの神社や霊場には足を運んだことがなかった。明確な根拠などないが、首塚にまつわる数々の祟りの伝説だとか、荒俣宏原作の映画『帝都物語』(映画1988年)による、おどろおどろしくも暴悪な闇の魔神のイメージが強く、とりあえず敬遠してきたきらいがある。
 “元祖”「反逆のカリスマ」的なキャラクターは、むしろ私の望むところなのだが、私の中の闇の因子と共鳴しすぎた時にブラックホールのドツボに吸引されそうな気がして、そういう親近感故の食わず嫌いというか、屈折した逆説心理もはたらいていたかもしれない。
 それがなぜ今になって訪ねる気になったかというと、星神:天津甕星(=天香香背男)のマイナーな日本神話を追っていくうちに、この坂東の「反逆のカリスマ」の元祖以前の元祖は、神話の天甕星だったのであり、この甕星神の霊的DNAが平将門へと流れこんでいたのではないか、との確信が強まってきたからだった。

 実際の巡礼紀行は次回に回すとして、将門の謎を追っていこう。

 要するに将門公の怨霊の根拠とは、平安期の朝廷や貴族に対する(結果論的な)逆賊という位置付けのみであり、私に言わせれば「たったそれだけの話」である。文芸的見地からすれば、シェークスピアの運命悲劇の格好の素材にもなりそうな、ある種の“いい話”ではないか。
 ただひとつ、雅(みやび)な「和」の民のお気に召さない要素があるとすれば、それは判官びいきの哀れみの対象としてのアイドルの座を拒絶し、死して尚、復讐と反逆の火焔をたぎらせ続けるという、孤高にして激烈な「祟り神」のイメージだろう。
 なんでもあやふやに水に流して、無かったことのキレイゴトにしてしまいたいという脆弱な国民性。死ねば皆、柔和な神になるとすることで、とりあえず我が身を(祟りから)保身したいという事なかれな平和願望。それら「日本教」の不文律や予定調和を、根底から覆すアブナイ雰囲気が将門伝説にはある。日本民族史の開けてはならないパンドラの箱の鍵穴を爆破しかねない、現ぶる御魂の発動がそこにある。

 だからこそ、東国においては昔から絶大な人気を誇る正義の味方だった。隠蔽や偽造の上塗りを繰り返して、この国の仕組みをでっちあげてきた為政者どもに、いつの日にか冥府魔道から蘇生して、情け容赦のない天誅を下すスーパー・ヒーローが将門様なのだ。
 フィクションの中でさえ、ランボージャック・バウアーのいないこの国で、ひとつくらいこういう伝説が生き続けたっていいじゃないか。……おっと、そういえば我が国にも『子連れ狼』の拝一刀がいたか。
 
 その潜在的支持率を掘りおこしたのが、海音寺潮五郎原作によるNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(ドラマ1976年)だろう。
 このドラマの影響下で、明治期の皇国史観華やかなりし頃に神田明神の祭神名から外されていた将門の祭祀が、110年ぶりに復活したというのだからたいしたものだ。

 とは言え、NHK大河ドラマのほうの将門像は、『帝都物語』の魔神像からは想像もつかない、あまりにも人が好い正義感で、うぶで単純すぎる体育会系の青春ドラマのようだ。この落差はいったいなんだろうか。前者が坂東の民が抱くイメージであり、後者はどちらかというと、平安京の文化的DNAが抱くイメージなのだろう。

 一方、『帝都物語』はSFオカルト・エンターテイメントとしてはよくできていたが、将門の怨霊パワーが帝都東京の壊滅に利用されるという設定には、いささか無理がある。まるで※アニメ映画『風の谷のナウシカ』の巨神兵のように、人格の乏しい(あるいは未熟な)最終破壊兵器としてのみ存在するかのような扱いも、将門ファンには失礼な話だ。(もっとも、※原作のコミック版『風の谷のナウシカ』では、巨神兵はナウシカとの絆により目覚めて、世界を「破壊から守る破壊」としての働きをする、きわめて逆説的な人工生命体として描かれている)
 むしろ江戸や関東を結界して鎮護する守り本尊が、将門だったはずである。祟るとすれば為政者や官僚達にであり、土地柄的には西の朝廷こそがリベンジのターゲットだろう。が、そこまでタブーを明確化してしまうのは、現代の荒俣宏氏でも気がひけたのかもしれない。自身の出身地である東京をターゲットにするという、自虐的な構造を装うことでカムフラージュしておいたのかもしれない。

 私自身はこの両者、『風と雲と虹と』と『帝都物語』との折衷的なところに、将門のイメージ・キャラクターを思い浮かべていたのだが、実のところ両作品とも通しで見たことがない。『帝都物語』は漫画週刊誌のコミック版で何回か見ただけだし、『風と雲と虹と』は昨年リマスターされてTSUTAYAに並んだので、初めの一巻(四話収録)だけ借りてきて見たが、旧き良き時代のあまりの青春ドラマぶりに頓挫してしまった。

 
 将門のスーパー・プレミアム伝説として、私の中では絶対に外せないのが、平安京の異能の天才陰陽師、安倍清明が、実は将門の実子だったという異説である。つまり、拝一刀に対する大五郎が、将門に対する清明だったのであ~る[m:76]
 以下、ホームページ「安倍清明の隠された過去」より引用。

時の帝・第65代花山天皇が、最も信頼していた一人の男がいました。
そう、彼は陰陽師・安倍清明。

安倍清明の生年には諸説あるが、
「安倍氏系図」によると、延喜21年(921)~寛弘2年(1005)で、84年間の生涯を全うしています。

清明の出生地は、和泉国・阿倍野だと言われています。
父・安倍保名は、ある日、山で狩猟に追われている白狐を助けました。
山を出ると、そこにいたのは絶世の美女。名は葛の葉。
実は、この女は、山で助けた白狐でした。
二人は結婚して、童子丸という子を産みました。
数年、家族は仲睦まじく暮らしていましたが、
ある秋、菊のにおいに酔いしれ、母・葛の葉は白狐としての本性をあらわしてしまいました。
葛の葉は、障子に歌を残して、家を去っていきました。

「恋しくば訪ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」

歴史書「大鏡」に次のようなことが書かれています。

花山天皇が退位をしようか迷っていたとき、
安倍清明は占いにより、退位を勧めました。
そして、寛和2年(986)6月23日、花山天皇は退位しました。
天皇が退位し、法皇となったあとも安倍清明と花山天皇はやりとりを続けていました。
そんなある日、安倍清明は法皇に「一緒に東国へ行かないか?」と言いました。

陰陽師は天皇で使える職であり、法皇にはもう用がないのに、なぜやりとりを続けていたのだろうか。
なぜ、東国へ行きたがっているのだろうか。

その謎を解くカギは「信太の森の白狐伝説」にあります。
先ほど書いた、清明の母が白狐だという話です。

当時の東国は、平将門の乱が起きたあとでした。
その乱は、平将門が、新皇を名乗り、東国に独立国を作ろうとしたものです。
しかし、将門は天慶3年(940)2月14日に平貞盛と藤原秀郷により殺され、京の都で「さらし首」となりました。

そして、平将門が治めようとしていた東国の常陸国には信太という地名があります。
そう、信太の森の白狐の「信太」です。
しかも、阿倍野だけでなく、ここにも「清明神社」があります。

平将門の息子のうち、殺されずに生き残ったのが一人います。
彼の名は将国。ここ信太郡に隠れ、信太姓を名乗ったとの記録が残っています。

これらから異説が唱えられます。
安倍清明は大阪(和泉)・阿倍野ではなく、茨城(常陸)・信太の出身で、
実は平将門の生き残りの息子である。

彼は信頼できる花山天皇とともに、
父親の意を継いで東国に独立国を作ろうとしたのです。

結局、東国へ赴くこと叶いませんでしたが。


 それまでの私は、安倍清明は生粋の平安京文化圏のオカルト・スターだと思っていた。だからこそ京の裏の裏に跋扈する妖怪変化や魑魅魍魎の世界にも精通していて、なかば遊び心を持ってそれら異界の魔物を手玉にとっていたのだと。
 しかし、彼の魂の奥底には、腐敗した貴族政治を脱却し関東に新たな理想郷を開拓するという、父の将門直伝の悲願があったのではないか。それが藤原氏の策謀により、花山天皇が退位(失脚?)させられたことで頓挫してしまった。
http://inoues.net/tenno/kazan_tenno.html
 一度は夢を断たれた清明は、ひるがえって京の都に踏みとどまり、この都の行く末をこれ以上、百鬼夜行の巣窟とさせぬため、自身がオカルト防波堤の捨て石となることが天命であると決意を固めた。そう考えてみると、知的爬虫類のようにクールでとらえどころのなかった清明の存在感が、圧倒的な光度と熱い血潮を伴って、ぐぐぐっと迫ってきた気がしたのだ。
 
 私の妄想はここにとどまらない。詳しく書くと長くなるので、要点だけまとめよう。
 
 将門グループが造った関東の結界は武神の結界であり、京の公家の結界に対抗するものだった。

北斗七星の神社配列
(将門ゆかりの神社・霊場は、将門が信仰した北斗七星の配列になっている。前出ホームページ、「安倍清明の隠された過去」)より転載)

 そして、この関東の結界を受け継いだのが、戦国末期~徳川初期の天海僧正である。
http://dhistory.hp.infoseek.co.jp/tai_2_24.htm
 家康の知恵袋、天海の前身は明智光秀だったという、これまたマニアの間では有名な異説があるが、光秀は当初、朝廷に忠誠を尽くしていたものの、信長暗殺実行犯として利用され罪を着せられたため、公家の面従腹背政治に愛想を尽かす。陰謀には陰謀をと深く潜行した光秀は、天海として復讐の策士となり、反朝廷の共通目標のため将門プロジェクトを引き継いだのである。
 
 その後、光秀天海の結界を破って、政権奪回したのは維新の明治政府だった。東・北の結界に対する西・南の反撃である。http://www.yagiyama.jp/health/column.edo.htm

 ここまでだとえらく暗い、エンドレスの恩讐話だね。しかし、このシナリオのさらに奥には、驚愕の神劇が隠されている。
 
 平安京の公家の結界は、その遠きルーツを辿れば、アトランティス系ユダヤ民族⇒表の天孫:ニニギ王朝の日本エルサレム化計画が隠されている。関東武者の結界は、ムー大陸系日本民族⇒裏の天孫:ニギハヤヒ王朝による復古プロジェクトである。そして、このユダヤ⇒平安貴族系と、ニギハヤヒ⇒関東武者系は、もとを正せば同じ高天原神族の二大潮流の末裔なのである。
 この二大潮流が死力を尽くして絡み合い、魂の戦いを経て自己浄化し、統合・昇華していくことによって、このたびの地球のアセンション(次元上昇)は完成する。
 
 めでたし、めでたし…。

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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

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