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星神「天津甕星」誅殺神話の深層

2007,,17
24612449_220.jpg
わりとこじんまりとした、大甕倭文神社(おおみかしずじんじゃ)の社殿。

          24612449_172.jpg
退治された“悪神”天津甕星の魂が封じられているとされる宿魂石。

          24612449_159.jpg
小高い岩場の上に祀られる奥宮。祭神は退治した側の建葉槌命。

**************************************************************************
 そこで二神は、もろもろの従わない神たちを誅せられ、――あるいは言う。二神は邪神や草木・石に至るまで皆平らげられた。従わないのは、星の神の香香背男(カカセオ)だけとなった。そこで建葉槌命(タケハツチノミコト)を遣わして服させた。そこで二神は天に上られたという。――そして復命された。

 一書(第二)にいう。天神(アマツカミ)が経津主神(フツヌシ)・武甕槌神(タケミカツチ)を遣わされて、葦原中国を平定させられた。ときに二柱の神が言われるのに、「天に悪い神がいます。名を天津甕星(アマツミカホシ)といいます。またの名は天香香背男(アマノカカセオ)です。どうかまずこの神を除いて、それから降って、葦原中国を平げさせて頂きたい」と。このとき甕星を征する斎主(イワイ)をする主を斎(イワイ)の主(ウシ)といった。この神はいま東国の香取の地においでになる。
 (~中略~)
 だから経津主神は、岐神(フナトノカミ)を先導役として、方々をめぐり歩き平定した。従わないものは斬り殺した。帰順する者には褒美を与えた。

 (以上、『全現代語訳 日本書紀 上(神代下)』 宇治谷孟 講談社学術文庫P58、P64)


 天津神が出雲系の国津神を攻略するにあたって、それとはまた別系の悪神を誅する神話が、謎めくほどにそっけない記述で残されている。この物語は『古事記』にはなく、『日本書紀』の本文(上記引用文の前段)では、出雲や各地のまつろわぬ(従わない)神々を粛清した後の総仕上げとして登場する。また、「一書にいう」の別伝形式(上記引用文の後段)としては、出雲攻略の前段階として、戦略の拠点作りとも読める物語展開となっている。  
 地元の資料としては、『常陸国風土記』にもなく、※『新編常陸国誌』の時代になってやっと登場するものらしい。(※徳川光圀が家臣小宅生順に命じて編さんさせた『古今類聚常陸国誌』を補なう形で編集した常陸国の総合史誌) おそらく口伝の民間伝承としては、めんめんと(細々と?)伝えられてきたはずだから、『書記』側の記録には何らかの不満を抱いていたのかもしれない。
 それにしても「従わないものは斬り殺した」「草木・石に至るまで皆平らげられた」という徹底したジュノサイト(大虐殺)ぶりは、温厚柔和とされる国譲り神話の、日本人一般のセルフ・イメージとはあまりにもほど遠いものだ。
 そこで最後までレジスタンスを貫き通した星神、天津甕星=天香香背男は、なんと誇り高き丈夫であろうか、……と考える私のような日本人は、あまり居ないのだろう。

 ところで、この星神誅殺神話には、謎深まるいくつかのポイントがある。

1.『記紀』に言う「まつろわぬ神」とは、ふつうは天神に従わない国津神のことを指す言葉だが、この天津甕星=天香香背男は文字通り「天」の神である。と言うことは、高天原の天津神とは別系の天津神が居たことになる。
別系の天津神という意味では、先着の天孫である饒速日尊=邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)との関連も考慮してみたいところだ。

2.日本には星神神話というものがほとんどない。よく親近性が指摘されるギリシア神話などと比べても、この点ではあまりにも異質である。世界的に見ても、日・月・星(金星)の三位一体が古代信仰のスタンダードだったらしく、その後、様々な変遷を経るも、日本ほど星信仰が抹消されている国も珍しいだろう。
 多湿な気候風土のため星が観察しづらかったとか、農耕定住民のため移動のための方位方角の目印となる天体にあまり意識がむかなかったとか、学者さん方のもっともらしい理屈付けはあるが、本当にそれだけだろうか。建国神話のナショナリズムとは関係のない、庶民の童話・民話などでは、案外ありそうな気もするし(たとえば輸入ものではあるが、七夕の織り姫と彦星の物語などはポピュラーなものとして定着している)、神社庁で格付けされるようなメジャーな神社ではないにしろ、星宮神社、星神社、妙見社などに代表される星信仰関連の神社が、列島各地に点在していることもなによりの物証だろう。
 ひょっとすると、有史以後の日本の神様界を政治支配する勢力は、外宇宙に対してえらく閉鎖的な、地球鎖国政策の、「閉鎖系の和」の神界だったのではないか。わずかに『書記』に1~2箇所だけ見られる、このミカボシ誅殺の神話が、出雲や東北の蝦夷(エミシ)以上に隠蔽されてきた古代信仰の前史を暗示してはいないだろうか。

3.榎本出雲/近江雅和共著『消された星信仰』(彩流社)によると、このミカボシ信仰は夜空の星一般ではなく、金星を特定するものだったらしい。
 仏教との習合後、この金星信仰は虚空蔵菩薩に置き換えられた。(密教の行法である虚空蔵菩薩求聞持聡明法が金星と関連づけられているからだろうか)
 もう一方では、大陸の天帝の思想である北極星信仰とも交わり、これは仏教の垂迹説で妙見菩薩へと転じる。
⇒☆星辰信仰とは?☆ http://www.geocities.jp/benedict_abb/intro.html

 天の中心という壮大な発想は、(おそらくは明治の神仏分離以後?)『古事記』の初発神、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)にこじつけられ、ここで神道回帰を果たすこととなる。
 しかし、地方のひなびた寺社にひっそりと祀られる虚空蔵菩薩や妙見菩薩や天之御中主が、はたして額面どおりの神仏への信仰であったのか、はなはだ疑問ではある。おそらくは忘れ去られた天津甕星の残影を、どこかで引きずっていたのではないだろうか。

4.金星を悪神と断じる発想は、魔王ルシファーを明けの明星(金星)になぞらえた聖書⇒西洋神秘思想の伝説を想起させるものがある。
⇒ルシファー http://www.angel-sphere.com/fallenAngels/list/Lucifer.htm
 ただ、霊学的・霊感的に言って、ミカボシがルシファーの同類であったとするのは飛躍のしすぎの気がして、私は賛同しかねる。
 しかし、金星オーラの霊性文化という大きな括りで見るならば、何らかの雑居的なシンクロニシティはあるのかもしれない。この括りにはギリシア神話のアフロディテ(ヴィーナス)や、そのルーツであるメソポタミアの女神イシュタルのような、美と性愛と戦闘の女神も含まれるだろうし、釈迦や弘法大師が悟ったときの聖なる光のファクターとも通じそうだ。
⇒明けの明星 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E3%81%91%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%98%9F

5.中国系の陰陽道や占星術では金星を「太白星」と呼び、方位の吉凶を司る「大将軍神」とも呼ばれていた。特に戦勝祈願のための素戔嗚(スサノオ)信仰と習合して、日本の武家や権力者にも珍重されていた時期がある。
⇒スサノヲとニギハヤヒの日本学(日本文化考)妙見と虚空蔵、北辰と明星、破軍星と太白星 - livedoor Blog(ブログ) http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50045218.html
⇒王城鎮護・大将軍神社 http://www.genbu.net/zatu/zatu001.htm
 古代スタンダードである日・月・星の三位一体を記紀神話の三貴子に照らし合わせて、日:天照、月:月読(月夜見)とするなら、もしかして星(金星):素戔嗚という見方もできるのかもしれない。

 一方、この太白星は徹底的な殺伐や腐敗をもたらす祟り神として恐れられてきたふしもあり、これはどこか日本の方位占いで言う鬼門(艮=東北)を想起させる。出口ナオ&王仁三郎の大本に言う「艮(ウシトラ)の金神(コンジン)=国常立尊」も、このラインのきわめつけだが、しかし、その本性は破壊のための破壊ではなく、生命の創造と再生(建て直し)がためであり、裏を返せば「悪や偽善の滅び」と「起死回生の逆転再生」の両義性を持つ最終審判的な隠れ神である。

 また、菊池展明著『エミシの国の女神』(風琳堂)では、伊勢の地を追われた禊と水流の古代神、瀬織津姫(セオリツヒメ)も、この中国系ネーミングの「太白」に近い語感の「天白神」として、東国~東北各地に信仰の命脈を保ってきた形跡があるとしている。そして、この瀬織津姫は、一般に知られている伊勢内宮の女神アマテラスよりも以前の、先住大和の女性最高神の本流であり、同様に先住大和の男性最高神であった(男性アマテラスである)天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)と陰陽一対の神でもあった。
 
 国津神の帝王である国常立尊(艮の金神)、闘神の総帥である素戔嗚尊、陰陽一対の最高神であるアマテル神と瀬織津姫、どうやらこのラインは、心優しき祟り神として裏でがっちりスクラムが組まれていたようだ。
 が、それが天津甕星の金星信仰と、どの程度の繋がりがあったのかは、いまひとつ不明瞭である。(上記のビッグネームの中で最も消されてきた名前は瀬織津姫だろうが、それでも天津甕星よりはポピュラーである。ここに何がしかの歴史的必然があるのだろうか)

6.この甕星の古代史ロマンは、一部の神話マニアには根強い人気を誇っていて、天津甕星が祀られている茨城県日立市の大甕倭文神社(実際の祭神は天津甕星を服従させた敵方の建葉槌命)を訪ねて、その紀行文を載せている個人ブログも多く見かける。
 そこで皆、異口同音に述べる感想は、古代の神々(部族?)の闘争の遺恨というものが感じられないというのだ。天津甕星のことも、建葉槌命のことも、ことさら悪く言う神官がいない。穏やかな口調で「悪神などではありません」と言う。実は私も、先日、大甕神社を訪ねたのだが、これと同様の体験をした。
⇒「大甕倭文神社 ~ まつろわぬ天津神の潜む常陸国① ~」 http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-54.html

 前出『消された星信仰』によると、遠祖を同じくする物部系の部族のはち合わせであったため、徹底的な殺戮は行われなかった。戦ったふりをして、折衷したり、棲み分けたりしたという説になる。

 まだ近畿地方に大和政権が成立しない弥生時代に、大陸から船でやってきた人々は、産業人集団・物作りの職人集団・戦いを主としない集団であった。この集団を「物の部」と呼びたい。それに対して「物部氏」とは、300年後半頃に百済から渡来してきた、応神・仁徳朝の有力戦闘集団と考えるのである。この軍事集団の物部氏が各地に進出して、先住の物部の上に乗っている。先に渡来してきている物部も、後から乗った物部氏も、元を尋ねればいずれも大陸の満州・蒙古地方にいた人々で、風俗習慣が似ていることから、あまり摩擦もなく融合したのではないかと想像される。
(『消された星信仰』P90)
 カカセオを祭神とする星の宮が茨城県に多いということは、要するに、藤原氏の常陸制圧戦で一応勝ったことになっているが、実際は妥協したということを物語っているのである。というのは、この戦争で東国の物部は潰されずに残っているからである。
(同P92)


 私の直感では、穏やかな国譲りとされる出雲のほうが、実はよほど陰惨な殺戮劇が繰り広げられたのだ。30年くらい前に神在月の出雲に一人旅した時には、胃が縮むような陰鬱な波動を感じた。10月=神在月というのは、実は出雲の敗戦記念日ではなかったのかと空想した思い出がある。(現在では、その波動はだいぶ和らいでいるはず)

7.やや本題とは外れるが、ミカボシ=カカセオと同様、出雲において天孫族に最後まで反抗した神としては、諏訪大明神である健御名方神(タケミナカタノカミ)も有名である。が、これは出雲の直系ではないという説がある。
 吉田大洋『謎の出雲帝国』(徳間書房)による富家(出雲王族の子孫)の伝承では、健御名方の戦闘的性格は出雲神族のものではなく、傍流であるとしていた。

 「だが」と、富氏は言う・
「出雲神族の血脈は、戦いには向いていない。われわれの祖先は、武力ではなく高い文明で諸国を支配したのだ。武士化した諏訪氏が没落したのは、当然なのだ」
(『謎の出雲帝国』P113)


 また、出雲の豪勇タケミナカタと天孫の刺客タケミカヅチの、神族の命運を賭けた決闘は、後世のフィクションであり、タケミカヅチ(鹿島大明神:建御雷=武甕槌)の存在自体が藤原氏のでっち上げであるとする説も近年有力になっている。

 「藤原氏は帰化人だ、とわが家の伝承にある。彼らは氏素性を高めるために、どうしても天つ神の系譜が欲しかったのだろう。そこで、最初は天コヤネノ命を祖神だとし、次にタケミカヅチをかつぎ出したのだ」と、富氏は言う。
一般に中臣氏(藤原氏)の祖神は天コヤネとされる。ところが不思議なことに、奈良の春日大社では、第一殿にミカヅチ、第二殿にフツヌシ、第三殿にコヤネ、第四殿にヒメ神を祀っている。コヤネのランクはくっと落ちるのだ。(中略)社家では祖神のコヤネを藤原氏に奪われたが、その権力に抗することができず、黙殺したのかもしれない。一方、藤原氏はコヤネを祖神としたものの、さして重要な役割を演じた神ではなかったため不安を感じ、さらにミカヅチに手を伸ばしたのだ。
鹿島神宮の宮司・東実氏はこう書いている。
「いつの頃か東国へやってきた中臣氏が、鹿島神の神系と婚姻関係を結び、やがて鹿島神宮の宮司となり、この神を崇めるようになったのだろう」
鹿島神と藤原氏は本来、関係なかったし、ミカヅチは作り出された神であった。記紀に載せられたことにより、鹿島神宮も後世タケミカヅチを祭神としたに過ぎない。
(『謎の出雲帝国』P101~102)

 はじめ中臣は物部の下に付いていたのだから、春日大社は香取系であり物部系である。大和の春日神社はもともとワニ系の中の、春日氏系海人族の神社だった。さらに前は春日氏の榎本の神だったが、それを金で買ったのが藤原の春日神社である。春日神社は春日氏から譲ってもらったという記録もあり、そのとき榎本の神は春日山から隣に移ったが、また帰りたくなったのでので返してくれといって、戻ってきたといういきさつがある。今でも春日神宮には榎本神社があるのは。このような経緯があったからである。
(『消された星信仰』P174)


 このような説はひそひそ話として語られるマイナーなものかと思っていたら、かなり以前から堂々と述べられていたらしく、講談社の新書版の『古事記』(1977)にも、健御名方と建御雷の力比べは無かったとする解説が添えられている。もともと諏訪地方にあった伝承からのパクリで、中央の権威づけのための演出だというのだ。
  
 しかしタケミナカタノ神の物語は、『日本書紀』には記されていないし、『古事記』の大国主神の系譜にもタケミナカタノ神の名は見えていない。これによっても、タケミナカタの物語は、後に加えられたものであろうと思われる。
 二神の力競べの物語の原型について、松前健博士は、諏訪大社に伝えられた神事相撲(農作を予祝し、または占うための神事儀礼)が母胎となっているのであろう、といわれた。この神事相撲の縁起として語られた諏訪の伝承が、中央の神話に採り上げられるとき、タケミナカタは劣敗者とされ、中臣氏の氏神であるタケミカヅチが勝利者とされたのであろう、と推定されている。
(次田真幸『古事記 上 全訳注』講談社学術文庫 P165)


 なかなか説得力ある説だが、但し、鹿島神宮の神威・霊威自体が空疎なのではなく、中臣・藤原の祖神としてでっちあげられたタケミカヅチがフィクションだというお話である。
 私の母方の先祖が諏訪大社の大祝をしていたことは以前にも述べたが、初めて鹿島神宮にお参りしたときも、祖神の仇敵の神とはどうしても思えない、魂の底からの懐かしさと畏敬の念が沸き起こってきた。それは諏訪大社の上社本宮で感じる波動と、非常に近いものでもあった。(最近は森林の樹勢が衰えてきているらしく、以前ほどのマイナスイオンは感じられないが)

「鹿島神宮の社殿内陣の構造(神座の位置など)は、出雲大社とそっくりなのである」「となりの香取神宮(フツヌシが祭神)では、出雲の“亀甲”を神紋としている」「『宮下文書』ではミナカタをミカヅチとフツヌシの兄とさえしている」(『謎の出雲帝国』P100)
との指摘もあるし、
「フツヌシ(経津主命)という神は、『出雲国風土記』にも伝承のある神で、その神が出雲の神として東国に赴いたと考えられるのです。また、「ヌシ」とは、出雲系の神につけられる尊称で、この語は「竜」・「蛇」を意味する語、したがって水神であり出雲の水神信仰と関係のある尊号である」
とする水野祐氏の大胆な論考もある。

 五世紀頃の話として
「この香取神としての経津主命(フツヌシ)の物語は、大和国家の東国平定に、出雲系の勢力が、大和国家の遠征軍の先鋒となって活躍したという事実を反映しているものと解される」
という、出雲の東征加担(敗走ではなく?)という逆説史観にはいささか首肯しかねるが、
⇒古代出雲『いくつもの出雲』の謎(その2「東国」) - いずものこころ - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/38950769.html
大和朝廷側:天孫族の刺客とされていたミカヅチとフツヌシの両神が、実は出雲系の国津神や、ミカボシのような別系天神の出自ではなかったかという傍証としては、おおいに歓迎したいところだろう。

8.私が気になるのは、天津甕星の“甕”の文字が、征服者側とされる武甕槌の「甕」(『古事記』では建御雷)とダブっていることである。詩で言えば韻をふんでいるということであり、この意味では、敵対者のはずの諏訪神:健御名方と鹿島神:建御雷も、“建御”で見事に韻をふんでいる。ここに“隠れ”レジスタンスの編集職人の、隠された意図がなかったかと勘ぐってしまう。実は同族だ、という暗示をこめたかったのではないか。
 『記紀』で「甕」の字を探ると、伊弉諾=伊邪那岐(イザナギ)が火神:迦具土=軻遇突智(カグツチ)を斬り殺した時に生じた神として、甕速日(ミカハヤヒ)が挙げられる。
⇒古事記研究所第二分室(火の神「迦具土」) http://www.geocities.jp/tomasanjp/kojiki2.html
 この時に剣の鍔からしたたる血から生まれた神の順が、甕速日神(ミカハヤヒノカミ)⇒熯速日神=樋速日神(ヒハヤヒノカミ)⇒武甕槌神=建御雷之男神となっていて、故に「甕速日神は武甕槌神の先祖である」と、『書記』はごていねいにも但し書きしている。
 また、剣の先からしたたる血が岩に付いて生まれた神が、磐裂神(イワサクノカミ)、根裂神(ネサクノカミ)、磐筒男神(イワツツオノカミ)などの石神であり、こちらは経津主の先祖神であると念を押している。ところが、この磐裂・根裂などの神名もやはり、甕星=香香背男の隠し名として、東国各地の神社に祀られている形跡があるのである。
 剣から生まれた一連の武神の系譜に、ミカボシもいたのではないか。
もうひとつは、甕速日神や樋速日神の“速日”が、饒速日の“速日”と韻をふんでいることも見逃せない。『記紀』の神々の系図としてはかなり世代が離れているが、この記紀神話以前の男性太陽神である饒速日も、この一連の剣神・武神としてのつながりで、甕星=香香背男とは縁戚関係にあったのではないか、などと空想は広がっていく。

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comment

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このコメントは管理者の承認待ちです
2015.07.28 20:52
安来っ子
 まあ日立金属の博士たちはごまかせませんでしょうね。
2015.06.15 21:06
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このコメントは管理者の承認待ちです
2015.04.11 18:25
刀剣愛好家
 いい日本刀を買うと、なぜかしら原点を掴んだような心持ちとなりました。愛好家の方と親しくなってそのような方面に目を向けられたことに感謝しております。
2015.04.09 19:24
大正の婆やの孫
 十神山のなぎさ公園にいってきました。なにやらプライベートビーチ感覚でキャンプが出来そうなところですね。海の向こうには巨大な日立金属の特殊鋼工場が見えるけ中海の水質は結構きれいですね。昔はこのような海水湖は、海のものも川の汚れも受けて環境的には厳しい状況だったことを記憶していますが、大きく状況がかわっているんですね。島根県の指導の賜物なのかもしれません。
 古い文献を読むと、このあたりは十神水雲(もずく)が名産だったようで、そういうものを一度食べてみたい名とも思いました。
2015.03.23 19:24
中国島根鋼
 出雲の安来十神山の存在を知らなければなりませんね。
2015.02.20 20:20
山陰比婆山ファン
 やはり古事記の解釈に従うと旧出雲国の島根県安来市あたりの国生(国産)み神話のほうが気になる。
2015.02.10 21:07
五右衛紋☆Rhapsody
V様

返信、大変遅くなりましてすいません。
日月神示そのものには、鹿島香取は地震(鎮め)の神という記述があるらしく、研究家の中谷伸一氏も両神に参拝しているので、鹿島の神が(最初から)おらぬ、という記述はないようですね。
ところが、3.11震災で鹿島の石鳥居が壊れてしまったことに関連してか、ある霊能者の予知夢に、(鹿島の神は)既にいない、ふつの神でなければもはや守れない、というのがあるらしいことは見つけました。これは鹿島の神が最初からいないのではなく、3.11震災以後、神威を失って行方不明みたいなニュアンスです。
が、別のサイトでは、鹿島の神が3.11の(関東における?)被害を最小限に食い止めた面もあり、そうでなければ太平洋岸が火の海になるはずだった、などというのもありました。

いずれにしても、日月神示もその他の後続預言も、信者というほど全面的には信じていない私なので、全肯定も全否定もしませんし、何とも言えないのですが。
自分の感覚としては、香取のほうが藤原系、と言うよりは京風の雅(みやび)な波動のミックスを感じていました。また、古流の剣豪、剣聖などが、鹿島の神域で修業し(武術家としての)悟りを得た伝承も多いので、それなりのスポットであったかなと思います。
とは言え、古くから部族間の荒々しい小競り合いの多そうな地域なので、きれいごとばかりではなくカルマの清算はしなくてはならない時期にきていたのかもしれません。
どちらかというと、鹿島のほうが、縄文系+高句麗系≒東国系のカルマを感じます。香取のほうが、出雲系+弥生系≒西日本ミックスなものを感じます。
2014.06.27 02:40
V
はじめまして。ミカホシ=カカセオが「香取にあった」ということは、もしかしたら藤原氏に飲み込まれる以前の香取神宮の神こそミカホシであったと考えるのが自然だと思います。
香取鹿島は並列されて語られることが多いですが(そしてその中でもともと同格だった東国三社の息栖神社が無視されるのも不可解ですが)、藤原支配が色濃い古事記歴史観の中で、もともといなかったはずのタケミカヅチが割り込んでフツヌシの手柄を我が物としていく経緯を見るにつけ、そもそも「パワースポット」としての鹿島神宮にも疑問符を抱いています。
香取神宮の支配圏である成田の麻賀多神社で日月神示が降ろされ、また、おそらく同一の霊格の預言が東日本大震災の折、「鹿島の神はおらぬぞ。あるのはふつの神(香取神)のみ」と語られたといわれます。もちろんもともとの鹿島神には何の罪もなく、むしろ常陸下総を中心とした古代の関東地方に存在したとされる大海上国と、東国三社とは大きく関わりがあったと考えています。
2014.04.01 20:20
五右衛紋☆Rhapsody
イソラの神、初めて聞きます。漢字にあてられていないということは、記紀神話以前の先住民系の発音でしょうか。

諏訪、鹿島、春日などは、記紀神話をベースとせず、自然のパワースポットやレイラインとして見ていったほうが、何か奥深い秘密があるような…。最近の私は、そんな気がしています。

ミカボシ神と妙見菩薩の習合は、後の時代の一種のカムフラージュですから、隠れミカボシ信仰と言ってもいいでしょう。それが秩父では諏訪神のお妾さんということは、ミカボシ(神族?)に女神としての側面もあったということでしょうか?
アラハバキ神が古文書としては古代東北系部族の祖神だけど、出雲の口伝伝承としては実在した特定の女神(女首長)だったりするのと、類似しているかもしれません。
つまり、大和朝廷以前の縄文的共和列島として、多民族(多神族)間の越境婚姻(政略結婚?)がなされていたことの名残でしょうか。あくまでも想像ですが。
2013.08.26 02:14
シモンズ
はじめまして。

私も母方が諏訪ですので、こちらに出会えて嬉しくコメントさせていただきました。
私も長年、諏訪について調べていますがなかなか複雑で、頭の悪い私には何がなんだか?です。
常陸の海にはイソラの神がいたということを知り調べているうちに、ミカボシ神に繋がり一説によると妙見信仰とも繋がる?という、秩父ではその妙見様が諏訪神のお妾さんという、よく理解できないのですが、何か諏訪神とのつながりが感じられて仕方がないのですが。
イソラ神は福岡の志賀海神社の神で、諏訪神とも繋がりがあるようです。さらに、鹿島、香取、春日大社の元の神という。
私の取り留めのない内容ですが、何か繋がればとおもいます。
初めてなのに失礼をお許し下さい。
2013.08.25 17:39
五右衛紋☆Rhapsody
当時はメモ書きのようなつもりで記しておいたのだけど、私のこのミカボシの回は人気があるようで、あちこちで引用されてるのを発見したりします。
結局、すべては仮説でよくわからないのですが、そういうことに強い関心を持つ人がいるんですね。
ふつうのSNSなどに書いても、ほとんど読んでもらえないようなマニアックな世界だけど、開放系のブログで書いておくとかえってロングヒットしたりするんですね。ここからヒントを得て、またその先を考えていただけたら幸いです。
2013.07.01 23:46
紅石
長文を読み慣れていないので内容全てをきちんと理解しきれていないかもしれませんが、それでも直ぐにコメントしたくなった!
ミカボシさんのこんな考察を探していました!
詳しい記述がなされていない神様ほど心惹かれます。名前から関係性を連想するしかない程に足跡を消されてしまった神様について、あれこれ考えるのが大好きなのでこの記事に出会えて感激です!
ちゃんと全文読みます!
2013.06.30 23:15

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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