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「石の塔」未踏と、黒又山ピラミッド

2009,,01
 毎年恒例になりつつある夏の東北巡礼。いつも遅めの時差夏休みをとるとは言うものの、今年は諸般の事情で9月までずれこんだ。

 9月1日
 まず青森と秋田の境い目あたりの低山にある「石の塔」という巨石を目指す。
 ナビを信じて車を走らせていたところ、南側の五色湖に沿った道を選ばされ、廃道となったところを迂回したり、肩身の狭い思いでじゃり道をころがしたりしつつ、ようやく「石の塔」への登り口の案内板にたどり着くことができた。
               石の塔、案内板

 地元では「石の塔を見ずして大きなことを言うな」という言い伝えがあるそうだが、わざわざ東京くんだりから、こんなへんぴなところに来る観光客など一人もいないだろうな。などと心の中でつぶやきながら、緑のジャングルの空き地に車を停めて歩き出す。
               石の塔、駐車

                    石の塔へアプローチ

 台風一過で足場が湿りがちなせいか、いたるところに蛙がピョンコ、ピョンコ。
               蛙

 10分くらい直進すると、正面が行き止まりのようになって、右横に進めの案内板が現れる。
               石の塔、ジャングル
               
 ところが、小さなせせらぎをまたいで少し進むと、あたりは道なき道のジャングル状態となり、行軍を断念せざるをえなかった。この日は次の予定もあったし、背の低いラルフ(チワワ犬)が草やぶの中で蛇にでも噛まれたら大変だ。今回のスピリチュアル・アドベンチャーは、事情あってラル君もいっしょだったのである。

 実はこの石の塔、青森側の早瀬野ダムから虹貝川を沿って南下するのが正規のルートであり、現在、秋田側からは(一般観光客は?)アプローチできないらしい。
⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%A1%94 石の塔 - Wikipedia
 なまじ案内板など見つけてしまったから、信じて進んだのだが、こういう不明瞭な案内表示はローカルな地域ではよくある。下調べ不足でナビまかせだったのが、こちらの敗因だ。
 また来年の候補ということで、戦略的撤退。


 次の目的地、黒又(くろまんた)山へと向かう。日本のピラミッドとして、知る人ぞ知るミステリー・スポットだ。
次の本から引用してみる。

日本の謎と不思議大全 東日本編 (ものしりミニシリーズ)日本の謎と不思議大全 東日本編 (ものしりミニシリーズ)
(2006/10)
人文社編集部

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 日本にもピラミッドがあるという仮説を提唱した人物は、酒井勝軍(1874~1940)であった。酒井によれば、日本ピラミッドは世界中のピラミッドの祖形であり、その役割は、神と人間が交流する場所であったという。
 酒井のピラミッド説は反響を呼び、戦後になってから、マスメディアなどにより、広島県庄原市の葦嶽山や青森県新郷村の大石神など、20から30にもおよぶ山が日本ピラミッドの候補として名を挙げられてきた。だが、残念ながらそれらの多くは憶測の域を出ず、噂の段階に止まっていた。
 そんな中、学術調査隊が組織され、科学のメスが初めて入れられることになったのが、この黒又山である。平成4年(1992)、黒又山総合調査団(加藤孝団長=元東北学院大学教授)によるリサーチで明らかにされたのは、驚くべき内容であった。
 地下レーダーによる調査で、黒又山は現在でこそ土に埋もれているが、本来の形は、麓から山頂にかけ、およそ7段から10段の階段状の構造になっていたとの測定がなされた。また、山の地表面から多くの白い石が発見され、これは築成時にピラミッドの表面を覆っていたものではないかとも推測されている。
つまり、黒又山は、7~10段の階層を持った大規模な人工物であり、その表面は白い石で飾られていた可能性が高いということだ。階段状の山容が、自然の作用であるとは考えにくく、人為的な働きかけがあったと考えるのは当然だろう。また、山頂部分の地価10メートルほどには空洞があることが確認され、何者かを埋葬していたのではないかという可能性も指摘されている。
 一方、黒又山周辺には「大湯環状列石」をはじめ、数多くの神社や石造遺物が見られるが、これらの間に一定の法則があることもわかってきた。黒又山を中心として見ると、これらの遺跡や神社群が、なんと東西南北の線上に密集して並んでいるのである。方位の知識を持った知性の高い集団が、神聖なる場所を意図的に配置したと見られるのである。

また、一説によれば、「黒又」の語源はアイヌ語の「クルマッタ」であるという。クルマッタとは“神々のオアシス”という意味であり、古代、何らかの超知性体(ある人は神と呼び、ある人は異星人というかもしれない)との交流の場所として黒又山があったことを、この言葉は示唆しているのかもしれない。


本宮神社、入り口1

本宮神社、入り口
 これが黒又山の登り口。一見、神社の入り口だが、その先に社殿はなく、薄暗い山道が続いている。もの好き人間でなければ、なかなかこの鳥居をくぐる勇気は湧いてこないだろう、・・・・・・というくらいに、暗く古びた地味な雰囲気で、我々も車で一度通過してしまい、もどってから近所で野良仕事をしている農家のおばさんに訪ねて確かめた。(この写真はさほど暗くないが、おそらく撮影者の深層の波長と同調するものしか、写真にも写らないのではないだろうか。私は思ったほどネクラではない、ということか?)

 鳥居の手前横にある自然石の碑。後ろの石柱に「猿田彦大神」と刻んである。
                    本宮神社、猿田彦石碑

 裏側(下山側)からのアングル。
               本宮神社、裏側

 神社の由来書き。10世紀末頃には仏教の薬師や帝釈を祀っていたが、明治になってから「神社」にされたとのこと。
本宮神社の由来
 
 裏に黒又山の由来が書いてあった。こちらには「クルマンタ」がアイヌ語ではなく蝦夷語だと書かれている。
黒又山の由来

 山道の一帯は、比較的、近年(戦後?)になって植林されたような杉や松の林になっている。
                    黒又山、山道

 中腹に現れる、薬師堂らしき屋根。
               薬師堂、屋根

 こうして見ると、小さいながらなかなか趣きがある。 
          黒又山、薬師堂

 その後、頂上までは思ったより距離があった。標高280メートル程度とは言え、バカにできない。


 帰ってきてからネットで調べて知ったことだが、この黒又山の調査団の重要人物は、その後、時を経ずして何人も怪死しているという。
⇒http://tohokujomon.blogspot.com/2009/05/blog-post.html 5,東北縄文文化研究会 01107■黒又山ピラミッドを透視する
 どうりで人が寄り付いてる臭いがしなかったわけだ。我々はほっくりかえしたりしなかったから、だいじょうぶだろうか。
 初めに鳥居を見たときの、ちょっぴり薄気味の悪かった感じが、気のせいか、帰る頃にはさっぱりと洗われたような波動になっていた。地霊浄化のお手伝いが、少しはできましたでしょうか。

 素盞鳴大神様 祓え給え 清め給え 
 国常立大神様 守り給え 幸はへ給え
 合掌


(次回、大湯環状列石)

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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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