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唐松神社 ~ 東北物部氏の隠れメッカ? ~

2009,,03
 9月3日。
 2009年9月、東北紀行の三日目は、男鹿半島から少し南下して、秋田自動車道、協和町ICからすぐの唐松神社へ。今回の私の巡礼としてはここがメインイベントであり、ここだけでゆっくり過ごしたい気持ちもあったのだが、目的地に関しては欲張りの妻にあちこち引っ振り回された感じだ。まあ、毎度のことながら、それはそれで妻を通しての(当地の神様の)お役目リクエストかもしれないのでしょうがない。

 なぜ唐松神社にそれほど惹かれたかと言うと、自分でもよくわからない。東北の物部氏の拠点であったらしいというだけで充分にロマンなのだが、ではどれだけ調べたかと言うと、ほとんど調べていない。惹かれるものほど、事前に詳しく調べないという性癖があるようだ。(これから調べつつ、書くことになる)

 『物部秘史』(いわゆる『秋田物部文書』)という古文書(古史古伝)が伝わっていることで、近年、我々のようなマニアに注目され出した神社なのだが、「偽史」とされる他の古史古伝と比べてみても、未だにその内容のほとんどが公開されていないという点で、非常に謎めいている。

秋田「物部文書」伝承 (1984年)秋田「物部文書」伝承 (1984年)
(1984/01)
進藤 孝一

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⇒http://www.genbu.net/data/dewa/karamatu_title.htm 唐松神社
⇒http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ao1krmt.htm 唐松神社、韓服宮、天日宮
⇒http://kamnavi.jp/mn/higasi/karamatu.htm 唐松神社、唐松山天日宮karamatu

 同じ物部系の古史古伝である『先代旧事本紀』によると、男性太陽神ニギハヤヒは、『記紀』の天孫ニニギよりも以前、河内国の哮峰に天降った初発の「天孫降臨」であり、さらには初代天皇の神武よりも以前に大和を平定していた大王とされる。(「正史」とされる『記紀』でも、それはオマケの申し訳程度に記されているが・・・)
 『物部文書』でも後半の大筋は同じなのだろうが、ニギハヤヒが初降臨した地は畿内ではなく、出羽国の鳥海山であり、その後に大和に移動し活躍したとされる。東北派の私としては、ただそれだけで心惹かれるものがある。
⇒http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text6.htm 「物部文献」が語るニギハヤヒの東北降臨
⇒http://www2t.biglobe.ne.jp/~cherimo/history/ootoshi/nigihayahi=amaterasu.html 饒速日尊は 皇祖天照御魂大神だった

 では、この『物部文書』を伝えてきたのが、古来から東北の地に根ざした物部一族だったのか、というと、どうもそうではないらしいところが説得力に欠ける。
 とは言え、「聖徳太子+蘇我氏(崇仏派)VS物部氏(廃仏派)」の日本の古代宗教戦争で破れた物部守屋の子孫が、東北に落ち延び、この文書を伝えたとする唐松神社の伝承も、「秘史」としてのロマンは充分にある。
(この「蘇我VS物部」は、本当に宗教対立だったのか。蘇我と物部は、部族として本当にそれほどの敵対関係にあったのか。案外、近しい関係だったのではないか。という部分で、以前から疑問を感じてはいるのだが、これもまだ研究不足なので保留とする)

                    参道並木②38419248_825452860

 ↑参道の並木。
 ↓舗装された道が並木の外側に平行している。
 
               参道並木①38419248_825452860

 ↓立派な並木だが、道幅が狭いところが、奥の細道へと導かれるような、胎内回帰感覚をねらっているのだろうか。
          参道並木③38419248_825452860

 ↓丸石で組んだような独特のデザインの手水舎。後ろに歌碑らしきものがある。
               手水38419248_1923683092

 ↓さっそうとお参りに馳せ参じる、ラルフのみこと。このへんから気持ちのいい風が吹き始めていた。
          本殿側から参道を眺める①38419248_1069185788

 ↓これが本殿。見たこともないような、斬新で大胆な屋根のフォルム。
本殿38419248_2552321829

 ↓出雲系のような、太めの注連縄。
               本殿の注連縄38419248_3144552230

 ↓これも初めて見た、鈴だらけのガラガラ。「鈴生り」という言葉はあるが、「千生り瓢箪(せんなりびょうたん)」ならぬ、さながら「千生り鈴」。
                    鈴38419248_3441198099

 本殿前でお参りすると、しっとりとした風がひときわ優しく舞い乱れた。不思議なのは、風というと普通は一方方向へと吹き抜けていきそうなものだが、いろんな方向から、柔らかく流線型にかき混ぜられ、揺られているような気がしたことだ。
 そこで私も太極拳の雲手の動作の応用で、あたりの風とシンクロしながら、空気をかき混ぜてみた。何という気持ちよさ! 神様の洗濯機の中で、精妙な濯ぎをしている、癒しの風のように感じた。
 心地よさを分かち合いたくて、以前から唐松神社の話題で盛り上がっていた「いずみる。」さん(旧HN「あるく。」)に、この気と風を霊空間で想念転送してみた。
 
 ↓本殿の側から参道を振り返ると、実はこうなっている。普通は高所の拝殿に向かって昇っていき、お参りするところが多いわけだが、ここでは低地へと下りてくるアプローチになる。これが不思議と安らぎがあるんだな。
本殿から眺める①38419248_2892652383

 ↓天日宮という別宮があるのだが、その鳥居。ところが、鳥居の正面が塞がっていて、天日宮に通じていないという、なんとまた不思議な配置。目の前の遥拝所、みたいなカラクリ的レイアウトかな。
(以前、古峰ヶ原の古峰神社で似た感覚を覚えたが、あれも物部系だったのだろうか)
               天日宮、鳥居38419248_698625492

 ↓ここが参道方面から天日宮への連絡の通用門のようになっている。鳥居ではなくシンプルな二本の石柱が、古代の香りを漂わせている。

               天日宮へ、38419248_698625492

 ↓さあ!これが噂の天日宮。写真などでは、本殿よりもよく紹介されているかもしれない。
天日宮①38419248_698625492

 城のお堀のような円形の水路に囲まれて、土台は大きめの丸石と細かめの丸石で、二段構造に組み上げられている。さながら環状列石とピラミッドをフューチャリングしたような、独創的な構えだ。
 屋根は基本的に神明造りだが、これも二段構えになっていて、側面にも鎧の肩当てのような別の庇(ひさし)がある。ユニークきわまりないデザインだが、奇をてらった観はなくシンプルな印象がするところが不思議。

天日宮②38419248_698625492

 ↓正面から近影。
               天日宮、近影38419248_698625492

 この天日宮に物部神道の祖神である天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)、通称ニギハヤヒの大神が祀ってある。では、本殿のほうはというと、神功皇后である息氣長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)が主祭神となっているが、夭折の火神、軻具突命(カグツチノミコト)が併祭されているのも注目に値する。

 とは言え、どこの神社にもある祭神の説明板が、この神社には見当たらない。中央から落ち延びた者達の、「隠れ里」としての秘教的性格からだろうか。
 それにしては山里の秘境に隠れているふうでもなく、ふつうの街中にある堂々とした立派な神社だ。想像以上に境内も広く、地方の田舎町にある社とは思えないほどだった。

 資料としては、祭神の整理は次のようになっている。
◎唐松神社(韓服宮) = 軻具突命、、息氣長足姫命、豐宇氣姫命、高皇靈命、神皇靈命
◎日天宮 = 饒速日命、玉鉾神、愛子神
⇒http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ao1krmt.htm 唐松神社、韓服宮、天日宮
⇒http://kamnavi.jp/mn/higasi/karamatu.htm 唐松神社、唐松山天日宮karamatu

 神様の世代がごちゃ混ぜにミキシングされている観があり、この世の三次元時系列の脳ミソとしては、どう理解すればよいのか途惑うところだ。
 神社の創建伝説としては、
①ニギハヤヒの鳥海山降臨以来の太古ルーツ ⇒ 天日宮
②神功皇后が三韓征伐の帰途に立ち寄ったという人皇時代のルーツ ⇒ 韓服宮
の二系統があることに気づく。
 これに後の代になって物部守屋の子孫が合流する、という形をとる。
(ルーツとしては①の天日宮のほうが古いのだから、こちらを本殿としてもいいのだろうが、なぜかレディファーストで、韓服宮のほうが本殿とされているようだ)

 そして、旧社地の地名が、ニギハヤヒの天日宮が「日殿山」であり、神功皇后(息氣長足姫命)の韓服宮は「月出野」であったことから、「日の宮」と「月の宮」の陰陽配偶原理が浮かび上がってくる。
 日月、火水の陰陽があれば、そこから生ずる子があるわけで、それがカグツチに象徴されているのではないか。ところが、このカグツチが、神話の生成世代からいくと一番古いところが、なんとも常人の理解を超えている。

 『物部文書』にもあるらしいが、ニギハヤヒとカグツチが同体であるとする説もある。『記紀』では生まれてすぐに父神に斬殺されてしまうカグツチと、物部の伝承では大和の初代大王であったニギハヤヒが、いったいどうつながるのか。これも神話のコペルニクス的転回である。
 私が思うに、これはこの世の歴史からくる「同神説」ではない。神霊界の高次元エネルギー体としての同体同根であり、同じ出どころからの分け御魂を言っているのだろう。だから、この世の時系列とは無関係に、その時々で立場・役割を替え、現世に投影されてくるのだ。この唐松神社においては、太陽神としての父:ニギハヤヒと火神である子:カグツチの、一神二役として表現されている。
 同様に、まるで神様世代が違う神功皇后が母としての役割を担っているのも、時空超越原理で説明できる。

 身ごもりながらも三韓征伐という大役を果たし、なおかつ無事出産したことから、ここ唐松神社では安産祈願が多いという。

 ↓安産と女性の守護を謳う奉納掲示板。
                    奉納掲示板38419248_3654611861

 もとの社名である「韓服宮」は、「韓を征服した」の意味とも言われるが、「韓の国の腹帯」という説があり、私はこちらを採りたい。(そもそも神功皇后は新羅系だった、という説もある)
 三韓が日本(倭)に征服されたという、当地の歴史記述はどこにもない。それほどの屈辱の歴史があったのなら、隣国の性格からして記さないわけがない。また、それほどの大事業だったなら、もっともっと多くの付随する事柄が、我が国の史書にも残されたはずだ。が、それもない。あっさりしすぎているのだ。おそらくは、タイムリーな親善外交としての遠征、という意味での偉業だったのだろう。

 とは言え、神功皇后を安産の守護神として祀るケースは、一般には戦後になってからのことらしい。軍神としての虚像が、長い間に定着してしまったからだろうか。
⇒http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/jingu.html 神功皇后
 ここ唐松神社では、おそらく古代から聖母神としての正しい祀り方をしてきたに違いない。そうでなければ、こんなにも優しい波動を保っているはずがない。

 また余談になるが、「神功皇后=卑弥呼」説もあるが、やはり違うんじゃないかと、ここに来て確信を深めた。卑弥呼は扶余・高句麗系+南方系の巫女だろう。神功皇后はもうちょっと後の時代の新羅系だ。論拠はないけど、ただ、そういう気がしただけ。そのうち機会があったら、調査をしてみたい。


 それにしても、神功皇后を安産の守護神とするのなら、常識的には実子である応神天皇を併祭するのがスジだろうが、なぜカグツチなのだろう?
 おそらくここが時空超越原理の真骨頂なのだが、陰陽(男女)と親子のカルマ浄化のため設定された、ひとつの雛形としての聖地が、ここ韓松神社なのだ。だからこそ、母神に死なれ、父神に斬殺されたまま、未浄化・未解決であったカグツチを持ってくる必要があった。すでに平穏に救われている者ではなく、最も難題であった親子関係のカルマを持ってきても、なお救済・浄化を約束する未来ヴィジョンを描かねばならない。
 そのための、根源なる太母神の慈愛エネルギーを注ぐ窓口として、同じ神系の末流である神功皇后が、ピンチヒッターとして選ばれたのだ。
 そして、今この時期、私が唐松神社に詣でることができたのも、雛形としての、その“時”が到来したからかもしれない。カグツチの脱皮、変容の時が近づいている。それが地球が浄化し、次元上昇するターニングポイントの“時”でもある。


 唐松神社創建にまつわる神功皇后の伝説では、皇后は韓服宮(唐松神社)の前に船玉神社を建て、住吉三神を船玉大神として祀っている。現在の唐松神社から北東5キロ程のところにあり、ここにも足を伸ばしてみた。
 幹線道路(県道?)が上を交差する近く、農道のような分岐の細い道を下りていくと、農地と隣接してポコンと盛り上がった小山がある。一見、どこが入り口だかわからない、放置された雑木林の小山にしか見えないのだが、その中に船玉神社はあった。

 ↓これが入り口の鳥居。回り込んだ奥にあり、見つけるのにちょっと手間取った。
               船玉神社、鳥居38419248_2412823039
 
 ↓登り階段の先の参道。ただの山道にしか見えないけれど……。
                    船玉神社、のぼり道38419248_4196921148

 ↓下記ページにある平成18年当時より廃れてきているのか、「手入れの行き届いた」というには程遠い印象を受けた。 
⇒http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/akita/daisensi/funatama/funatama.html 船玉神社
 
 ↓屋根板のウェーブが特徴的な社殿。
               斜めから38419248_3493992639

 ↓正面からのアングル。
               鳥居と社殿38419248_1517123509

 ↓お帰り!ラル君。
 物の怪がでそうで、普通の人はちょっと怖い山だったと思うよ。
                 お帰り!38419248_2717209613


 唐松神社の写真にもどって…。
 ↓本殿の横に池があり、玉鉾大神と刻んだ石塔がある。
               池38419248_3303942517

 ↓これは別の場所にあった玉鉾大神。「玉鉾」とは、男性のシンボルのことだろうか?
                    玉鉾大神、石塔38419248_1389034819

 ↓参道の途中にあった、物部長穂記念館の案内標示。
                    物部長穂、案内札38419248_3189485707

 物部長穂とはどういう人物であったのか、興味はあったけど、残された時間もなく、ラルフ連れで記念館に入れるわけもないので、今回はあきらめた。
 後で調べたら、近代の土木工学の巨星で、物部神社の家系出身というから興味津々。 自然と人間の共存は、物部神道の根幹にあるテクノロジーかもしれず、宮沢賢治にも連なる思想系譜だろう。
⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E9%95%B7%E7%A9%82 物部長穂 - Wikipedia

 ↓帰りの参道。なごり惜しいけれど、これでお別れ。また会う日まで。
参道、帰り38419248_1421002390


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2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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