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諏訪の神体山、守屋山に登る/付:守屋神社

2008,,21
 30代後半の頃だったろうか。何年か続けて諏訪四社に初詣でしていたことがある。結婚してから後も、お互いの両親を連れて、詣でたことがあった。
 深夜に発ち、ちょうど夜が明ける直前に、まず前宮に到着する。個人的には本宮の波動が好きなのだが、龍蛇神の原初パワーをもろに感じるのは前宮である。大鳥居の前のかがり火に迎え入れられ、大蛇のようにくねった樹木を見上げて、凍った道で足を滑らせないないよう気をつけながら、奥の拝殿へと登っていく。
 四社の中でも最も古いとされる前宮は、洗練された上品な雰囲気のお宮ではない。殊に新年の夜明け前の空気は、原初のおどろおどろしいような生命力と神聖さが渾然となり、恐いような重厚さが漂っていた。

 なぜ、諏訪にこだわるかと言うと、私の母方、矢ヶ崎の先祖は、天孫に追われて出雲から落ち延びてきた建御名方(タケミナカタ)神を祀る諏訪大社の大祝(おおほおり)の家系だという記録を知ったからだった。
⇒http://weeds.way-nifty.com/eiti_/2005/03/post_1.html 大祝氏のこと 古の叡智
⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B0%8F 諏訪氏 – Wikipedia
⇒http://www.renya.com/suwa/taisya.htm renya.com - 諏訪大社研究記
 大祝というと諏訪氏の姓だけかと思ったら、案外、他の苗字の家系もあったらしい。矢ヶ崎村の者が鎮守としていたのは、タケミナカタの母神、高志沼河姫(コシノヌナカワヒメ)を祀る御座石神社だから、厳密には出雲と言うより、越の国である北陸あたりがルーツだったのかもしれない。神話では、越の国から出雲の大国主に嫁いだのが、高志沼河姫ということになっている。

 さらには建御名方神のミナカタは宗像(ムナカタ)の海神系に通ずるという説や、
⇒http://otd3.jbbs.livedoor.jp/246945/bbs_plain?base=97&range=1 千時千一夜──瀬織津姫&円空情報館
阿蘇の龍神と同根であるとする説、
⇒http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen_suwa/index.html 中央構造線 ~諏訪の血脈、そして龍脈~-長野県最南端の秘湯と秘境の里・信州遠山郷
「伊勢の神風」で有名な伊勢津彦が、やはり天孫に追われて信濃に流れてきているという神話の類型(『伊勢国風土記』)など、太古に遡る諏訪神のルーツには諸説あり謎に満ちている。
⇒http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keijiban/isetuhiko1.htm 伊勢津彦と建御名方命との関係
 いずれにせよ『記紀』神話や「正史」からは外されてしまった太古の神々の物語だから、謎が多いのは当然だが、とてつもなく魅力に満ちた謎だ。


 それはさておき、前宮の本殿や本宮の拝殿の向こうには神体山があって、原初的な自然崇拝の姿を残している、というのはよく聞く話だ。しかも前宮の奥の脇道には、昔から入山禁止の立て札があったので、畏れ多い神体山には入れないものと長いこと思いこんでいた。↓
               46988333_4194895969入山禁止、立て札

 実際には、神体山の守屋山があるのは、前宮からの直線距離にして4~5キロは先になる。一般的な登山口に辿り着くだけでも、車道を曲がりくねりながら、その倍以上の距離はかかるだろう。そんな手前の場所に前宮があり、その脇に入山禁止の立て札があるとは、ずいぶんと御丁寧な話である。昔は守屋山だけではなく、このへんの山並み全体が神域だったのだろうか。

 登山口は何箇所かあるが、麓の152号沿いの守屋神社の脇から入る道は、やはり入山禁止の札が設置されていた。↓
               46988333_835963504守屋神社脇、入山禁止

 しかし、一般的な杖突峠からの道には大駐車場が設営されているくらいだから、決して一般の登山客を拒否しているわけでもなさそうだ。
 守屋山を守ってきたのは、諏訪神タケミナカタ以前の土着神であるミシャグチ神を祀ってきた洩矢の一族と聞く。後にタケミナカタ系に表の政権を譲った先住民としては、裏の祭祀を司る者としての秘密主義やマイナー意識が強かったのかもしれない。そのへんが守屋山の一般公開に関して、いまだにチグハグな政策になっているのではないだろうか?

 我々は様子がよくわからなくて、登り口を定めるまで車でうろうろしてしまったが、結局、立石コースというのを往復することになった。磐座好きの我々には、結果オーライではあった。

     moriyasan-rout.jpg
(↑http://www.janis.or.jp/users/yoichi-k/moriyasan.html 守屋山 ルートマップより)

 ↓ここが登り口。
               46988333_4201931607立石コース登山口2

               46988333_1922141026立石コース登山口

 ↓だいぶ前に廃れてしまったと思われる「リゾート清流の森」の看板が現れる。こんなところに旅館か別荘があった時代もあるのだろうか。
               46988333_2485740824清流の森

 ↓「陰石」と札に書いてある縦に亀裂の入った巨岩。女陰の意味だろうか。
     46988333_1411613632陰石

 ↓見晴らしのいい地点にある、印象的な立石。坊主岩とも言う。
              46988333_2677879951立石

              IMG_1255.jpg

 ↓深緑の中に、険しく切り立った岩壁。別世界の景観に圧倒される。
46988333_1165994157岩壁

 ↓岩巡りコースの案内札。
               46988333_969793894岩巡りコース札

 ↓平成のビーナスと名付けられた岩・・・、かと思ったら、樹のほうらしい。瘤がおっぱいに見える?
                    46988333_2258114936平成のビーナス

 ↓親子岩。家族的な雰囲気はわかるが、どれが親岩でどれが子岩か?
               46988333_3351568901親子岩

 ↓屏風岩。これも巨大で圧倒される。戦艦の横っ腹のようにも見える。
46988333_3007407534屏風岩

 ↓鬼神が住んでいたという伝説の鬼ケ城。
          46988333_4008439408鬼ケ城
 
 ↓さらに枯れ枝の道を登っていくと、
                    46988333_3748016181枯れ枝の道

 ↓素晴らしい展望の開けた、東峰頂上へ。
 このあたりは列島を南北に縦断するフォッサマグナと、東西に走る中央構造線が十文字にクロスする交点であり、恐ろしいほどの地学的スピリチュアル・パワーを秘めているのではないか、という考察がある。その中央部で全体を見晴らせるのが、この守屋山らしいのだ。日本の中心地はどこかというのは諸説あるが、ここも隠れたるスポットとして加えていいだろう。
⇒http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen_suwa/index.html 中央構造線 ~諏訪の血脈、そして龍脈~-長野県最南端の秘湯と秘境の里・信州遠山郷
               46988333_1853355161東峰頂上2

 ↓この日は青空と白雲の祝福が凄かった。『千の風になって』でも歌いますか。
46988333_3648960375東峰頂上

 ↓この東峰の一画に祀ってあるのが、守屋神社の奥宮。石の祠でできた小さなお宮だが、麓の神社の奥宮である。いたずらされないためにか、朱塗りの鉄柵で覆ってあるが、なんだか封じられているようでイマイチだった。
46988333_3991056190守屋神社奥宮2 46988333_2108274458守屋神社奥宮1

 ↓岩陰の小さな碑の裏側に、「祭神 物部守屋大連大神」と刻んである。平成十三年とあるから、新しいが・・・。
                    46988333_1563944576物部守屋の碑

 そもそも物部守屋と諏訪の神体山の守屋山とが、直通で関係しているという認識が私にはなかったので、ちょっと面食らった。崇仏と廃仏の政争で蘇我氏に破れた物部守屋は、飛鳥時代の人。
⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E5%AE%88%E5%B1%8B 物部守屋 - Wikipedia
⇒http://n.ashitane.net/%E7%89%A9%E9%83%A8%E5%AE%88%E5%B1%8B 物部守屋の年表 あしたね年表
 その子孫がこの地に流れてきたという伝承もあるらしいが、ミシャグチ神信仰はそれより遥かに古いはず。出雲から落ち延びてきたタケミナカタの話が、すでに神話時代。ミシャグチ神はそれより以前に、この地に勢力をはっていたのだから。
 が、そもそも、大和の物部氏のルーツのひとつが、こちら信州にあったのだとすれば、先祖の地に出戻ってきたと解釈できないことはない。いや、そう解釈しないことには、物部守屋の子孫がこの地で古株の顔をして居座ること自体、怪奇現象になってしまう。

 ↓東峯からしばらくダウンアップすると、西峰に着く。実質的な頂上(1650m)はここになるらしい。ここも見晴らしはいいが、雄大な眺めでは東峰のほうだろうか。
               46988333_3645225536西峰頂上

 ↓そして下山。行きには見過ごした浅間の滝。この日は水が枯れていたが、人のブログを見ると虹がかかることもあるらしい。
               46988333_3239472259浅間の滝


 ↓下山してから、麓の守矢神社へ。
               46988333_2551696615守屋神社

                    46988333_1204958712守屋神社、鳥居

 ↓鳥居の上部中央に掛けられた額に、やはり「物部守屋神社」の文字が。
                    46988333_3242500360守屋神社、額

 ↓里宮と呼ぶにはあまりにもひっそりとした無人の社だが、何やら厳かな空気を感じさせる参道。やっぱり、物部系の神社は、理屈ではなく心を揺さぶられる。なんだか懐かしくってしょうがない。
          46988333_3079989329参道

 ↓階段を登っていくと、木々の中にぽっかりと開いた空間に、寺のお堂のような社殿が見えてくる。物部らしい斬新なデザイン空間だ。
 46988333_2920878150拝殿へ

 ↓その奥上方に、原始的な切り妻造りのような社が構えている。他ブログによると、これは覆屋で、この中に本殿があったらしい。床下の石室には石棒が埋められていると言うのだが、見そびれた。
⇒http://genjin.cool.ne.jp/sanpo/moriya.htm 守屋神社(物部守屋神社)
⇒http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-172.html 風と土の記録 物部守屋神社?
                   46988333_835511654本殿へ

 ↓さらに斜面を登っていったところに、苔むした小さな石の祠が控えていた。つまり三段構えになっているわけだが、ここまで道なき斜面を這い登ってくる酔狂は、めったにいないだろう。
               46988333_1982544185奥の祠 

 ↓ところが、眼をこらすと、祠の横のほうに古びた小型の墓石のような石塔がある。文字が刻んであるようには見えなかった。
               IMG_1301.jpg

                    46988333_1133250258石柱 

 先住民のミシャグチ神の祭祀は、石棒をシンボル(寄り代?)として祀られていたのだろうか。諏訪の御柱の原型は石塔ヴァージョンもあったのではないか、と考えたくなってくる。東北の金精様(こんせいさま)や唐松神社の玉鉾大神にも、通ずるものがありそうではないか。

 山の斜面を利用した段階的な構造は、どこかで記憶があると思ったが、南河内の磐船大神社にちょっと似ているかもしれない。あそこも本殿の後方の斜面にまでよじ登るふとどき者はめったにいないだろうが、まるで“隠れ”磐座のように、勾玉に似た平石があるのだ。写真を撮った人はめったにいないと思うので、ここで付録サービスしておく。↓(回想日記そのものは、いつになるかわからないので・・・)
               IMG_0763.jpg

 諏訪と守屋山についての謎は尽きない。たとえば、古代ユダヤ民族の信仰との類似性を指摘する声もあるが、それが竜蛇神ミシャグチや物部氏とどうつながるかというと、いまひとつ不透明だと思う。一神教では蛇は神になりえないし、物部氏がユダヤの出自とするのも直感的に違うと思っている。どこかで交流し影響しあっているだろうが、物部は海外ではアジア北方~古朝鮮~高句麗とのつながりが一番濃いはずだ。
 しかし、それは書き始めるときりがないし、参考史料の整理も追いつかないので、いずれかの機会に譲ることにする。前宮の近くにある守矢家が勤めるという神長官守矢史料館にも、いずれ行ってみたい。
⇒http://www.city.chino.lg.jp/kbn/07190000/07190000.html 長野県 茅野市役所/神長官守矢史料館



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comment

藤原朝臣
洩矢、守矢、 守屋は訛りの変化、当て字の変化に過ぎないと思いますよ。古来漢字表記の異動は常態です。守屋に至って物部氏との関連付けが発生したのではないでしょうか。
地方豪族が中央豪族と関連付けたがるのは一般的でしょう。尾張国造家、紀伊国造家でさえ藤原氏との姻戚関係を理由に藤原朝臣を称しています。
2016.01.22 11:44
五右衛紋☆Rhapsody
Re: タケミナカタの神は諏訪で殺されたのか
代々の大祝の中には、殺害された者もいるらしいということは、読んだことがあります。シャーマンは現人神のまま全うするべきで、還俗しては都合が悪いような時代があって、生け贄のように屠られてしまったのでしょうか?

タケミナカタは初代の大祝と言えないこともないのか? それともシャーマンではなく、諏訪大明神そのものなのか? ミシャグチ神が諏訪大明神としての主神で、タケミナカタは客人神なのか? このへんは微妙ですね。

タケミナカタが殺されたという話は聞きませんが、この地で亡くなったということにはなっています。
前宮の地が、タケミナカタ夫妻が最初に居を構えた場所であり、かつ夫婦神の墓が境内にあるのだという、マニアの情報を読んだこともあります。
このへんは検索してもなかなか出てきませんが、前宮に赴いて直接、神職のかたに訊ねてみると、あそこがタケミナカタ神のお墓だよと教えてくれるとか。

四隅の御柱はそもそも結界である、とのオカルト的解釈は根強いです。外敵から守る結界(バリアー)というより、強力な破壊神パワーを中に封じ込めて、人里に不必要に拡散させないための防波堤みたいなニュアンスを感じさせます。
その破壊神パワーが必要な時だけ、御柱が折れて怒、結界が決壊して、怒とうの進撃が許されるのでしょうか。たしか元寇の時と日露戦争の時と、今まで二回だけ折れたという伝説がありましたけど。

だから、人神のタケミナカタというより、地下マグマとか暴風雨とか水流とか、地球そのもののエネルギー(象徴的には龍神)を結界して封じているような気がします。タケミナカタは、それをとりつぐ神のひとり、という感じかな。

矢ヶ崎城のあたりは、高い山からは遠ざかった印象で、低い丘陵の端っこにあります。幹線道路の岐路であり、昔も街道の岐路だったとしたら、外交や軍事の要衝だったかもしれませんね。

2013.06.07 01:34
ootonomiko
守屋氏にしても、字の無い時代までからんでいますから、分かりにくいですね!
タケミナカタの神は諏訪で殺された後、祭られたのか、それとも幽閉されたのかどうなんででしょうね!

この前、下社の秋宮だけ行ったんですが、諏訪湖の辺りは、周りが山だし、圧迫感を感じましてね。

神話のなかで、狭い中から出るなと言われたようなんですが、どうなんでしょうね!

矢ケ崎城は茅野の方になるようですから、諏訪ほどの圧迫感のある場所でもないようですが。
2013.06.05 09:33
五右衛紋☆Rhapsody
あ、それから、神長官のほうのモリヤは「守矢」で、物部守屋を祭神にしている守屋神社や、神体山(?)の守屋山のほうは「守屋」なんですね。

神話時代にタケミナカタが入ってくる以前、土着の洩矢神を祖とする一族が守矢氏であり、物部守屋はずっと後の時代のはずだから、「守矢」が由緒が古そうなのに、なぜか大和朝廷がらみの「守屋」のネームバリューのほうがメジャーになたみたいですね。
というのは洩矢神社というのもあるのだけど、一般にはほとんど知られていません。守屋神社もそんなに有名ではないけど、洩矢神社はさらにマイナーですよね。

それと、よく言われる自然精霊神のミシャグチ神と洩矢神は同じかと思っていたのですが、必ずしも同一ではないという説もあるようです。
また、洩矢神と守屋氏が本当に直通なのか?という疑問を呈する文章も目にした覚えがあり、複雑怪奇です。

ミシャグチ神 ≒?≠?洩矢神 …?⇒ 守矢氏 ≠ ?⇒ 物部守屋の家系(あるいは名前だけ拝借してきた?)

という不等式であり、この中の洩矢神のところに、出雲(越)のタケミナカタ神が関わってくる。

2013.06.05 02:31
五右衛紋☆Rhapsody
血なまぐさい戦闘も含めた確執ということになると、むしろ上社:諏訪氏と下社:金刺氏の対立のほうが露骨みたいですね。この両氏が本当にひとつから分かれているのかも、私にはよくわかりません。

▽武家家伝_金刺氏 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanazasi.html

引用)もと両社の神主家は系統を異にし、上社神主(大祝)家は「諏訪」、下社神主(大祝)家は「金刺」を称したが、平安時代の後期以来、一族が武士化するにともない、著しく系図が混乱し、さらに源氏とも紛れて、どれが正系か判別が難しくなってしまった。

また、戦乱の世で目まぐるしく陣営を入れ替えながら、南朝との合流も確かにあったようです。

引用)…その後、中先代の乱に北条派と結んだ武士たちは、南朝に帰順して信濃宮方として武家方=信濃守護と対立した。その中核になったのは、諏訪上社の諏訪氏、そして下社の金刺氏らであった。

…このような上社と下社の政治姿勢の相違は、相互の対立をよぶようになった。加えて、信濃守護で府中城主の小笠原氏が諏訪社の上社を牽制するため下社を後援したことから、上社と下社が対立し抗争が繰り返されるようになった。さらに、従来上社大祝職には諏訪氏惣領が就いた諏訪氏宗家でも大祝家と惣領家とに分かれ、一族内紛の芽を有していた。このような状況のもとで、上社と下社の抗争が続き、その抗争は必然的に武力を伴うものであった。

その後の武田との絡みは次のサイト。これも単純ではありません。めちゃくちゃに入り乱れていて、いっぺんには頭に入りません。

▽諏訪大社上社本宮 http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/suwataisha_honmiya.html

2013.06.05 00:42
ootonomiko
水窪のもともと原住民の部落に、落人が匿われて住み着いたようです。
守屋氏はそれ以前からの山林家だったようですから、諏訪の神長官家からの分家とも推測できますか!

大祝家、神長官家とも歴史は長いですから、分家も多いようですね!
2013.06.04 08:25
五右衛紋☆Rhapsody
守屋という姓はそんなに多くはないと思うので、奇遇ですね。南朝と諏訪の神長官の守屋家に、何らかのつながりがあったんでしょうか??

長野県のあたりは、高い山々とそれに囲まれて隠れたような場所も多く、隠れ里のような独特の隔離された空間を感じさせる地域も多いですよね。

キム・ジョンイルは実は日本人だった、という説も最近出てきてるようなので、意外と血脈をたどると、半島と列島を行ったり来たりの因縁なのかも??
http://gekkan-nippon.com/?p=2401

諏訪の地の住人としては、大祝家の諏訪氏よりも神長官家の守屋氏のほうが先住民で、後から入った諏訪の一族を表に立てて、自分らは裏の実権を握ろうとした。そこで、矢面に立たされていいように使われた諏訪のシャーマンに恨みが募った、ということらしいけど、このへんはネットとしてもかなりマイナーな情報なので、謎めいたところが多いですね。
確執と言うなら大祝の家系どうしでもあったようだし、異種混合の、いわば多部族プチ国家の宿命みたいなもんだったんじゃないでしょうか。
2013.06.03 02:18
ootonomiko
以前こちらで書きました水窪の同級生と話したんです。顔がキムジョンイルに似てるんですよ。
本人の先祖は南朝方家臣だった。負け戦で遠州に逃げて北上、長野県境の村に入ったと言っているのです。村自体も、入る道も分かりにくい秘境です。
水窪には、守屋という苗字が何軒か有って、いずれも大林業家らしいんですよ!
親類にも守屋姓が有るようです。

諏訪の守屋氏というのは、大祝の一族ではなく、確か神長官家となるわけですか?
大祝家と神長官家は確執が常に有ったようですが?
2013.06.02 08:55
ootonomiko
高句麗や扶余は騎馬民族渡来説の教授によると、突厥、匈奴や西方の騎馬民族と相当の交流が有ったとしてますから、西方のペルシャからラテン系の民族までの影響を受けていたようですね!

トルコに支配されてたルーマニアあたりはラテン系ですから、高句麗まで影響していた事は十分有るのだと思います。
そして、越の国入った人が、関東にも大量に入って、関東の基盤を作っていった事実ですからね!





2013.05.15 09:50
五右衛紋☆Rhapsody
どぶろくは今は「濁り酒」ということのほうが多いようですね。
私も自家製の本格的なものは飲んだことないですが、口当たりがいいわりにはアルコール度数が高くて、つい飲み過ぎになりそうなのが恐そうです。

氷見という地名も、なんだか興味をひかれます。
出雲の斐伊川(ひいかわ)・簸川(ひかわ)と関係あるんだろうか?とそそられます。
この斐伊川(ひいかわ)・簸川(ひかわ)が、関東の氷川神社のルーツであると言われてます。
たたら製鉄と関係が深く、ヤマタノオロチが越の国の鋳鉄民族の象徴だとすると、
いろいろとパズルの断片がつながりそうで。

斐伊神社 - 出雲神話巡り旅
http://www.izumo-shinwa.com/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%A8%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0/%E6%96%90%E4%BC%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

日立金属>たたらの話>斐伊川
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020601.htm

ヒカワ【簸川・氷川・(放汚・卑郷)】・ヒカワカミ【氷川神・(放汚守-神・卑郷神)】
http://gejirin.com/src/Hi/hikaha.html
2013.05.13 01:07
ootonomiko
以前記入させていただきました氷見のドブロク民宿に行ってきました。
ドブロクは美味しいものですね!改めて認識しました。ここのは、麹の甘酒といった感じで、うま味のある酒でした。
舟盛り、焼き物、煮物、他、魚料理も食べきれな量で、カニは地元の赤ズワイを出してくれました。
金沢の例の同級生(下宿が調布で同じだった)からも苦情は出なかったようです。
氷見の辺りは、食にうるさい加賀人の近くとあって、変な物を出すとすぐにダメになってしまうそうです。
鈍行列車の旅で、その後、松本、諏訪と周りました。

http://kozakaisou.net/
2013.05.08 08:52
五右衛紋☆Rhapsody
同じブログですが、こちらも面白いです。
東北とも別に、長い間、関東日本国が朝廷と並存していた、という説。納得。

東にあった「もう一つの日本」~3.高句麗の残影に怯えた朝廷(大和朝廷と関東日本国の関係)
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2013/04/001496.html
2013.05.04 02:28
五右衛紋☆Rhapsody
高句麗の文化や気質について、以下のサイトに興味深い指摘がありました。遊牧民ではなく狩猟系とする視点は、納得がいく気がしました。ファイティング・スピリットが旺盛であっても、遊牧民ほど自由奔放ではなく、忠誠心や協調性があるということでしょうか。

縄文と古代文明を探求しよう! 伽耶を知れば古代日本が見える 4~北方の本源集団 高句麗と、その末裔による民衆のための優れた統治(中国清王朝、江戸幕府)
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2013/04/001495.html?g=122101 遊牧系とは異なる、より本源的(原始的)な「狩猟系民族」
2013.05.04 00:09
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2013.04.28 08:54
五右衛紋☆Rhapsody
やはり高句麗つながりですか。
国家としての高句麗は周辺の少数民族(狩猟民族、遊牧民族など)も併合していたようなので、ヌナカワヒメ→矢ヶ崎の場合はそのへんのネイティブな民族の可能性もあるような気がしています。

聖徳太祖の師と言われている慈恵は高句麗僧ですが、聖徳太子自身はどうだったんでしょうね。遠祖としてはユダヤ系、ペルシャ系など諸説ありますが、近い代のルーツはやはり半島経由でしょうか。表看板は仏教だったようだけど、道教や神仙道、陰陽思想の造詣が深かった形跡もあり、「神・仏・道・儒」混淆で、裏に原始キリスト教やペルシャ思想(グノーシス?)も入っていたかもしれないという、日本的なんでもありの開祖みたいな人だったかもしれません。
2013.04.26 21:19
ootonomiko
中丸薫氏の本を読んでましたら、ヌナというのは高句麗を指していて敏達天皇の和風諡号は渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと。『古事記』では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇。というのだそうです。
他田天皇とも呼ばれていたということで、下伊那地区の牧や諏訪の他田氏、カナサシ氏との関係も感じられるんですが!

ヌナカタ姫というのも、ヌナがつきますよね!やはり高句麗との関係でしょうか。時代的には、少しさかのぼるようですが!

後の聖徳太子も高句麗仏教を導入し、高句麗僧 恵慈と強いつながりが有ったようですね。

2013.04.25 08:34
ootonomiko
能登の付け根に氷見というのが有るんですが、どぶろく民宿というのが有るんですよ!どぶろくを自家製造しているようです。

以前からネットで見て、良さそうだと思って、お気に入りに入れてたんですが。今回金沢の同級生(下宿が調布で同じだった)と行ってくることにしました。

カニはシーズンオフとなりましたが、海の物は北陸は最高ですね!行きましたら、こちらで又記入させてもらいます。
2013.04.22 11:00
五右衛紋☆Rhapsody
越の国というのはかなり広い範囲を言ったようで、今で言う北陸四県とほぼ重なる日本海側の細長いエリアみたいですね。
糸魚川は加賀よりはちょっと東になり、共に越の国の範囲でしょうが、さてヌナカワ姫の出身地がどのへんだったのか、神話のことなのでよくわかりませんね。

加賀は白山信仰が盛んな土地柄で、この古代信仰がどれくらい古くからなのか、伝説的でちょっとわかりづらいくらいです。朝鮮半島の白頭山(神仙道)も含んだ環日本海・古代スピリチュアル文化圏だった可能性もあります。

これに対して、アジア北方(ツングース?)系→古朝鮮→高句麗→北陸…の越の国の民族は、もうちょっと時代が下った時点での列島への移民かもしれません。とは言え、南西から東征してきた倭人や大和朝廷系の民族よりは、先住民だったと思われます。

高句麗と百済はすでに1~2世紀頃に袂を別ってますし、百の国を統べたから百済だなどという俗説もあるくらいなので、高句麗よりは多民族的な国家になっていたかもしれません。

出雲はまたちょっと毛色の違った古くからの民族で、アカデミックな範囲での世界最古の民族、シュメールの末裔という説があります。

新羅は三韓の中では異質な印象があるのですが、同じ騎馬民族の末裔としても、北方ではなく西域のほうとか、ペルシャとかだったかもしれません。日本では清和源氏が新羅の系統だとか? 新羅三郎義光の「新羅」は「しんら」と読ませますが、あちらで「新羅(しらぎ)」の発音は「しんら」に近い「シルラ」なんですよね。

まあ、こういうのがいろいろひしめいて入ってきている国が日本というわけです。
2013.04.21 01:33
ootonomiko
石川県史ですと、能登は大和朝廷に近く、加賀というのは、出雲との関係が深いようですね!

ヌナカワ姫というのは、糸魚川等に伝承が多いようですが、当時蝦夷との境界に近いようですから!

ヌナカワ姫は越の国出身というと、加賀(金沢)辺りとなるですか?

出雲と越の国は、読書だけですが、大和朝廷とは異質な感じがしますね!

それでも百済と高句麗は同根で扶余から出ているということですから、新羅ほどの違いは無いのでしょうが。。。!
2013.04.19 10:25
五右衛紋☆Rhapsody
信長は文化的に舶来趣味だったけどキリスト教の神は信じず、天皇家など屁とも思っていなかった様子だし、比叡山や一向一揆にも情け容赦ない虐殺をしたので、一見、無神論の悪魔みたいですが、白山信仰や牛頭天王信仰、スサノオ信仰、熱田神宮(剣神信仰)などには熱心だったんですよね。
つまり大和朝廷以前の古代神や、アンチ高天原系の武神信仰なんですよ。日本の対抗原理・裏原理のレジスタンスとして性急に暴発していた、という感じですかね。

その点から察すると、諏訪大社を焼き討ちしたのは解せないのですが(古くからの諏訪信仰の人達は、アンチ朝廷、アンチ記紀神話ですから)、どうも実行犯は息子の信忠で、信長の命令ではなかったようです。焼き討ちしたことを叱ったという資料もあるらしいですが、そんなに強い叱り方でもなかったようで。

このへんは調べると大変そうです。
2013.04.18 23:15
ootonomiko
確かに、天智帝から以前の百済衰亡に対する援軍の記録はすごいですね!

学校では決して教えてくれなかったんで、にわか歴史ファンとして目からうろこですよ!

それにしても、織田信長の旧勢力の破壊というのは凄かったわけですね!

正月に行った物部氏の石上神宮のパンフレットにも織田の軍勢に破壊荒らされたと記されていましたし、諏訪社も焼き討ちにあってますよね!
2013.04.17 08:46
五右衛紋☆Rhapsody
戦国時代の武家の意識の中では、天智帝以降の大和王朝再編の頃の歴史は、もう藪の中になっていたかもしれませんが、百済系と言うなら天皇家はもろに百済系ですよね。大内氏が暗に天皇家と関係があると言いたかったのかどうか、何ともわかりませんが。

御座石神社のページの末尾に、
①田沢湖半の御座石神社
②軽井沢の矢ヶ崎エリア(矢ヶ崎公園、矢ヶ崎山、矢ヶ崎川)
③宮城県栗原市の「鳥矢ヶ崎(とやがさき)古墳群」
について付記しておきました。
http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-271.html
2013.04.16 19:47
ootonomiko
コクリョは気が付きませんでしたが、確かにそうですね!

国領は他の地にも有るのでしょうが、狛江、矢ヶ崎村、コクリョと集中してますからね。昔は別の漢字だったということもよく有るようですからね。

諏訪の衆が、関東でもこの地に来たというのは、縁者が有ったとか、歴史的なものを当時の人は知っていたのじゃないかとか。

山口県の毛利氏の前の強力な豪族で大内氏は、戦国時代、我が家は百済王家の末裔であると宣言していたようですから。

戦国時代では、百済を出すとハクが付いたといった感じがします。
2013.04.13 08:54
五右衛紋☆Rhapsody
実は小林の本家がどこにあったかも、私は知りません。上給なのか、国領の範囲なのか、もうちょっと広い範囲の調布くらいなのか。
まあ、歴史に興味がある私でも、その程度の認識なので、矢ヶ崎や小林の同世代の人達は、お互いの家のつながりのことなど、今はほとんど何も知らないと思います。

それはそうと、余談ですが、
この件で妻と雑談していたら、何気なく妻が「コクリョ」と言うので、何のこと?と聞き返したら、国領のことを言いたかったんですね。韓国時代劇をよく見るので、高句麗のことをむこうの発音ではコクリョと言うのが耳にしみついていて、口をついて出てしまったらしいのです。
国領の地名は近現代になってからのものでしょうけど、なにやら冗談めいた因縁を感じてしまいました。


2013.04.12 20:50
ootonomiko
本家から出てきたといいますと、上給の。。。?

だけど歴史ロマンあふれる話ですね!そのような家訓まで出てきたとは!

ロマンと言っては、いけないかもしれませんが。

先週は車で151号を下伊那地区の駒ケ根方面に行ってきました。
確かに、古代の牧が有ったと感じさせる雄大な山裾が有りましたね。
2013.04.12 09:08
五右衛紋☆Rhapsody
さて、調布の小林家が諏訪神家(諏訪→京都→調布)の神職の子孫だったのかどうか、特定された話は聞いたこともないのでさっぱりわかりませんが、なぜそんなに矢ヶ崎と懇意だったのか?と考えると、可能性としてないとは言えない、…といったところでしょうか。
でも、まあ、昭和の時代くらいになってしまうと、そこいらの平民と同じ感覚で暮らしてますから、なんでそんな資料がお蔵から出てきたのか、逆に子孫としては面食らった感じと思います。
この話自体、母の代の矢ヶ崎で知っていた者は僅かでしょう。小林家に関しては私には情報が少ないので何とも言えませんが、矢ヶ崎ではもしかしたら母とその伯母だけの共有情報だったかもしれません。

小林家はこちらに来てからも神職に就いていた時期があるのか、そのへんもわかりませんが。矢ヶ崎のルーツの書が出てきたのは本家のお蔵で、伯母が嫁いだのは分家のひとつ。ごくごく庶民的な核家族の家庭です。

しかし考えてみると、二度と「武士になってらならぬ」という家訓を守るためには、諏訪の大祝であり武将の家系だったなどという資料は、むしろ知られないほうがいいし、忘れてもらったほうが都合いい、という逆説じみた情況はあったかもしれませんね。 それで親しい他家のお蔵の奥深く収納してもらった、ということも考えられます。
2013.04.11 23:08
ootonomiko
戦国の世が過ぎ徳川政権400年は、諏訪の衆にとって安定した年月だったわけですか!

諏訪神家の出先が都に有ったと有りますから、それが小林家ということですか!確か諏訪一族の中に小林という苗字が有りますね!

おばさんが嫁いだとなると、戦国の世から数百年を経ても脈々と受け継がれているというわけですね!
さすがに都に居た小林家というわけですから、相当な歴史が出てきそうですね!

諏訪郡の地侍衆は関東に去って、戻らなかったようですが、
諏訪頼水氏のように徳川政権が安定した1601年でしたか、諏訪に戻った氏族もいたようですね(長野県史)。

2013.04.11 09:48
五右衛紋☆Rhapsody
ただ、私の知ってる国領の矢ヶ崎の気風は、先祖のルーツ物語や家訓をきっちりと子孫に語り聞かせてきたわけじゃないし、義侠心に厚くロマンティストではあっても、そんなに学究肌でもインテリ・タイプでもないので、こういう先祖の歴史のことを知識として一番ストックしていたのは、母じゃないかと思うのです。
たまたま母が民俗的な歴史に興味があったことと、たまたま断片的に知ってたり調べたりした兄弟姉妹が、要所要所の情報を、たまたま母のところに運んできているのですよ。ひとりひとりの者は、そんなに全体像はわかってないのです。祖母からも、ついぞそういう話を聞いたことがありません。

だいたい祖先の歴史や家訓を記した書物が、代々の縁戚関係が長いとはいえ、よその家のお蔵にあるくらいですからね。その小林家というのは、京都のほうで神職をしていた家系ということで、そういう民族のルーツ的な記録を大切に保管しようという感覚があったのかもしれません。近代の矢ヶ崎自身は、なんだこりゃ?よくわからんから、そちらでお願いします、みたいな感じだったんでしょうかね。

その小林に嫁いだ矢ヶ崎の伯母が、蔵から出てきた書物の話に触発されたのか、地元の郷土史研究会みたいのに入って、いろいろ聞いてきた話を母に伝えてくれたのです。その伯母というのが、どう見てもインテリジェンスなタイプではないので、まるで母に伝えるために勉強してきてくれたみたいで、巡り合わせの不思議を感じてしまいます。
2013.04.11 01:07
ootonomiko
お母さんやお祖母さんは、村育ちですから、昔を知っている生き神様みたいなもんでしょうね!

こうしたものは、書籍では出ないし、ネット社会の今でこそ知ることも出来る歴史資料と思います。

私が下宿していた頃は、甲州街道にも車も少なく、巨木や古民家が残り、畑や林中心でしたから、古い村の幻影も有った時期と思います。

矢ヶ崎旅館やら、村人やらから顔も分かりますので、そうした武士の家訓というものも想像できます。

2013.04.10 09:07
五右衛紋☆Rhapsody
やはり諏訪一族全体としては、かなりの数の者がその地を去ったということになりそうですね。

うちの調布の矢ヶ崎の場合は、「末代まで武士になってはならぬ」という家訓を遺していたそうです。
故に、徳川家康の招きにも決して応じなかったとか。
矢ヶ崎と縁戚関係の深い小林家の蔵から出てきた資料に、そう書いてあったそうです。

その話を聞いて、若い頃は単純にカッコイイ!と思ったけど、先祖は諏訪の地でよほど醜い確執や内紛を見てきたのでしょうね。
近現代においても、酷い戦争体験をした者ほど、よほどのことがないと戦争を語りたがらないのと同じことで、臓腑が捻じれるような重たい記憶だったのかもしれません。

母がまだ頭が明晰で知識欲もエネルギッシュだった頃(7~8年前かな)、調布の矢ヶ崎についての資料を、便箋10枚くらいに手書きでまとめてくれたものがあり、さらに自分の感想を20枚くらいにびっしり書いてくれていて、久しぶりに読み返してみたらなかなか面白かった。
そのうちこのブログ上で、一部公開しようかと思案中。

↓続編、アップしました。

御座石神社、道祖神と世界の共振を夢見る  http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-271.html
2013.04.09 23:51
ootonomiko
長野県史によりますと、”太閤検地で諏訪郡で相当の無名地が出て、それは諏訪一族の去った後の耕作地だったようです。
戦国の大混乱や、武田、豊臣、徳川と移り、古くからの城主と家臣や様々な関係が分断された。”とありました。

私が、村で話した方は当時50~年配の方でしたから、今ですと90以上ですか!

2013.04.09 08:58
五右衛紋☆Rhapsody
先日、ただ一人生き残っている叔父の話を聞く機会がありました。叔父が若い頃、周りの矢ヶ崎の世帯はせいぜい20数世帯だったそうです。
戦国期に多摩の国領に流れてきた矢ヶ崎の子孫が、全くそこから離れなかった者ばかりでもないでしょうから何とも言えませんが、それにしても少ないというか、増えてないのか、当初の矢ヶ崎村開拓者の数も、そんなに多くはなかったのでしょうね。
2013.04.06 21:19
ootonomiko
諏訪の地に未練を持たなかった。”
というのは分かるような気がします。

騎馬民族のDNAですか?面白いですね!

それにしても、矢ヶ崎氏をさかのぼると出雲の大国主の尊との確執まで行きつくとは!

2013.04.04 09:52
五右衛紋☆Rhapsody
ootonomiko様

触発されて、過去の回想日記を書いてみました。守屋山に登った翌日のものです。
「矢ヶ崎城(鬼場城)を偲ぶ」 http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-255.html
2013.04.04 02:50
ootonomiko
そうです。山の辺の道です。
石上神宮は良いですね!ひなびた魅力で!

金沢の同級生はトルコに行きたいと以前から言ってましたんで、新羅の系統かなと考えているんですが!(笑)
2013.03.31 08:37
五右衛紋☆Rhapsody
ナマの金沢弁というのを聞いたことがありませんが、韓国語イントネーションとの類似、なんとなく想像つくような気がします。

北陸~上信越~関東の一部は、確かに朝鮮系騎馬民族ルーツの民族が入り込んでいるエリアなのでしょう。ただ、江波説の言うような日本を征服した側ではなくて、どちらかというと裏日本だったり、マイナーな日本だったり、対抗原理としての日本(公家社会に対する武家社会のような)だったりしたのだと思います。
一時であれ日本を征服した側の騎馬民族は、南方(北九州や山陽?)から入ってきて北上・東征した系統だと思います。越の国の系統は、中央政権に入り込んだことはないはずです。

石上神宮の近辺の古代の道というと、山辺の道でしょうか。
物部氏、蘇我氏、秦氏など、古代豪族ゆかりの地ですね。このへんも半島経由の民族であったともっぱらの説です
2013.03.31 02:08
ootonomiko
天武天皇以前は、資料が少ないですからね!

謎を呼び面白いんでしょうね!

私は、にわか歴史ファンなんですが、

以前オーストラリアの交差点で立っていましたら、中年の東洋人2人が大声で話してまして、どっかで聞いた言葉だと思ったら、しゃべり方というか、抑揚が、金沢の同級生にそっくりなんですよ!
学生時代下宿が同じだったんですが。

さらに聞いていると、それが韓国語でした。
その同級生のしゃべりと同じに聞こえましてね。

それから、本を読んできて、東大の江波教授の騎馬民族征服説で金沢方面には越の国が有ったようですね。納得する所が多くてですね!

今年の正月には奈良の石上神宮まで行って古代の道を歩いてきました。
2013.03.30 08:46
五右衛紋☆Rhapsody
長野県史にそんなにはっきりと書かれていたとは知りませんでした。しかも、矢ヶ崎のみならず諏訪一族ということになると、かなりの部族大移動で関東のあちこちに散ったことが考えられますね。

江上波夫教授の騎馬民族説の場合は(よく読んだわけではありませんが)、どういう経緯であれ日本(先住民)征服説なので、朝廷を支配した、あるいは律令国家そのものを建国した、ということになってしまいます。
諏訪・矢ヶ崎の場合は、神話的に見ても戦国史的に見ても敗者の側であり、被征服地からのドロップアウト脱出組なので、歴史的に異質でしょう。ただ、騎馬民族の血も入っていたかもしれない、ということだけのリンクですね。

あるいは、大和朝廷以前の縄文的な古代世界において、先住民と共存して王国を築いていた朝鮮半島経由の騎馬民族混血、というセンは考えられるかもしれません。このへんのことはあまりにも資料が乏しいので、想像になってしまいますが。

江上教授の騎馬民族征服説に当てはまる存在があるとしたら、近いところでは蘇我入鹿、天武天皇、それ以前では神武天皇あたりでしょうか。
但し、いずれも騎馬王朝がそのまま持続したわけではなく、建国の礎を築いただけで、すぐにクーデターでひっくり返されていく、という見方を私はします。
2013.03.29 01:30
ootonomiko
最近、長野県史を読んでましたら、確かに、戦国記から徳川への大変動の中、諏訪一族は関東へ去ったと書いてありますね!

豊臣の太閤検地後、諏訪氏が去ったあと地は、百姓に与えられ、諏訪神家一族でも知久氏等残った氏族は、そのまま江戸時代まで安堵された。
といったような事を記されていました。

調布の矢ヶ崎氏を電話帳で引くと、そんな多くはないですよね!狛江との境界に矢ヶ崎村が有るというのが気になるんですよ!

”東京大学、江上波夫教授の日本人騎馬民族説”の流れを感じさせる気がするのですが、どうでしょうか!
2013.03.27 09:48
ootonomiko
そうですか!
お母さんは、うちの親と同世代ですね!

矢け崎村にはそんな訳で、私も強い因縁を感じる所が有りましてお尋ねしたわけなんですよ。

諏訪姫というのは、武田で勝頼を生んだようですが、NHK大河ドラマでも描かれていましたね!
矢け崎氏が武田を嫌って移住したとは知りませんでした。

又新しい事実でも出ましたら、ブログを拝見させていただきますので宜しくお願いします。



2013.03.12 08:40
五右衛紋☆Rhapsody
母は85歳ですが、だいぶ忘れっぽくなっているので、覚えていることといないことがまだらで、その反面、突然、初めて聞くような昔話を始めることもあったり、といった具合です。

うちの矢ヶ崎は祖母の姓で、祖父は伊勢の刀鍛冶の家系。江戸時代の城下町づくりで呼び寄せられた職人集団のうちのひとつだったようです。家柄としては矢ヶ崎のほうが断然、格上だったらしく、そのまま祖母の側の矢ヶ崎の姓を名乗ったのかもしれません。もっとも、ちょっと前までは平民は苗字を持っていない時代ですから、今の常識ではよくわからない世界です。

なので、矢ヶ崎村の中では、「二見屋」の雅号で知られる何軒かの中のひとつです。刀の時代ではないので、うちの矢ヶ崎の場合は主に鋸を作っていたけれど、跡を継ぐ者がいなくて職としては途絶えました。
今でも多摩西部のあちこちに、二見屋の看板を掲げる老舗の金物屋を見かけますが、そのすべてが矢ヶ崎と繋がりのある家系なのかどうかはよくわかりません。

俗に言う名家とは言え、歴史的敗者の側ですし、私にはむしろ野武士のような無骨さと、ネイティブ民族のような素朴な優しさを感じます。そう言えば、大本教の拠点だった亀岡あたりの人達とか、淡路島のお寺のおばあちゃんの雰囲気に、ちょっと似たものを感じたことがあります。
なんとなくラテンっぽい目の光とか、ひと癖ある我の強い人間も多いですし、一般的な日本人とちょっと違うエキゾチックな風貌を感じさせる人もいます。
2013.03.12 00:16
ootonomiko
狛江通りの慈恵医大の南です。
地図を見ると狛江と境界ですね!今回気が付きました。そうしますと、狛江のそばに諏訪の人々が移住してきたとも考えられるわけですか!

畑をやっていて話した方は確かに、地主という感じで道楽農業という感じでした。
旅館も個人旅館で商人宿のようでしたが、経営のおかみの人相が上品で印象に残ってましてね!

村も結構人口もあるでしょうから、昔でしたら、皆知り合いでしょうけど。
そちらのお母さんはお元気なんですか?
2013.03.11 10:18
五右衛紋☆Rhapsody
40年くらい前というと、私もそんなに違わない(いくぶん若い)世代かと思うけど、我が家がそこにあったわけではないので、地理はよくわからないですね。私が幼い頃は、古い地名で「あげきゅう」と呼ばれるところに矢ヶ崎の大家族の家はありました。
ジューキミシンの話はよく聞いたし、伯父も勤めていたそうだけど、その頃まだあったのですね。旅館まであったとは知りませんでした。

多摩の矢ヶ崎の流れは、諏訪市が武田信玄に滅ぼされた時に武田の臣下につくことをよしとせず、武士を捨てて多摩川の清流のほとりに下ってきて百姓となった、という記録も、伯母が調べた郷土史の資料か何かにあったそうです。したがって、農業もやっていたはずです。根っからの労働農民ではないので、風流人の気分屋だったみたいですが。

また、母の子供の頃は(売り物にはしなかったようだけど)自家製で酒もつくっていたと聞きます。どぶろく祭り(矢崎祭り)の名残だったのかなと、このブログのついでに諏訪の矢ヶ崎を調べて初めて知り、思いを巡らしました。

まあ、今の嫌韓の人たちには面白くない話かもしれませんが、太古の昔から今現在の概念でいう国家や国境があったわけではないですからね。民族そのものも離合集散、流動していて当然です。
2013.03.11 00:43
ootonomiko
確か、名家として載ってましたね!

学生時代の下宿で40年も前ですが、村のあたりは畑で、矢け崎という畑をやっていた人と話した事がありますし、矢け崎旅館にも一度泊まったこともあります。確か国領駅からジューキミシンの辺りを右方向へ行くのですが!

又、天龍の上流で水窪出身の同級生がいるのですが、顔がキムジョンイルとそっくりなんですよ。
本人は、室町南朝方の家臣の末裔と言っています。
水窪の上流は下伊那地区で高句麗人が入ったとなると、今の北鮮のルーツかとも思ってしまいます。

浜松地区も天龍沿いに南下してきた人が多く、高句麗系も多いのじゃないかと見ています。
2013.03.10 09:50
五右衛紋☆Rhapsody
北陸、中部、関東、東海あたりに、高句麗、または高麗の渡来民の痕跡は多いと聞きます。
おおかたは日本海経由で渡ってきたものとイメージしていましたが、海岸をぐるっとつたって、太平洋側から上陸したグループも、もしかしたらあるのかもしれません。
おそらく、高句麗滅亡前後が一番多く、その頃には九州~機内大和のほうは倭人+百済系に掌握されていたので、それより東の地域に流れたものと創造します。

韓ドラ時代劇がどの程度ニュアンスを伝えているかわかりませんが、高句麗のほうが武人と巫女と神仙の国というイメージで、百済や新羅は通商貿易や学問や文化全般で立国している印象があります。
日本への影響という点から察して、おおざっぱに西日本のほうが百済系が濃く、東国の武家社会のほうが高句麗系が濃い気がします。関西人が関東人に抱く武張った印象や、関東人が関西人に抱く計算高い印象など、たぶん百済と高句麗の対比・対立が原型にある気がします。(新羅は一時的にせよ三国統一した側なので、亡命による大量の流民は少なかったと思われますが、北陸~山陽に多いとか)

うちの矢ヶ崎の叔父・伯父達も、若い頃は陸上や水泳の選手だった者が多く、身体能力の高さからして、騎馬民族や狩猟民族系の末裔かもしれませんね。

ただ、高句麗も最盛期は広大な領地を治める帝国だったようで、民族的にはすでにいろいろ混ざっていたかもしれません。突厥も別の騎馬民族国家でしたし、騎馬民族と一口に言っても、大国に属さず流浪していた中小の民族もいたようで、日本にもいろいろ流れてきていたでしょうし、特定するのは難しいですね。

それとは別に、もっと古来の縄文からの基層が、諏訪地方にはある直観がしますし、諏訪神家として中間層に食い込んだのは、古代の(高句麗滅亡よりはるか以前の)北方騎馬民族~高句麗(古朝鮮)~越の国のタケミナカタ、の系統なのかと思います。矢ヶ崎もその流れの一派なのでしょうねえ。

狛江の地名も由来は調べてみないとわかりませんが、なにか懐かしい響きを感じるので、何かあるのかもしれません。
2013.03.09 22:26
ootonomiko
私は学生時代調布にいて今は浜松なんです。天龍の下流ですが、上流に行きますと伊那地区が有ります。

下伊那地区に5世紀、突如騎馬関係の古墳埋蔵物が出だし、牧が出現。高句麗系が入ったと聞いています。駒が付くのは高句麗系ということで、確かに駒ヶ岳、駒ケ根と付く地名が有りまして、そちらの国領の隣に狛江というのが有るんですよね!
諏訪神家と狛江、矢け崎村との何か関係が有るような気がするんですが?
2013.03.09 08:46
五右衛紋☆Rhapsody
そうです。国領の矢ヶ崎村です。
私の叔父が、府中市立中央図書館の氏姓辞典のようなもので調べたところ、諏訪から流れてきたという大祝の家系ということが書かれていたそうです。
もっとも、一方では九州の隼人族の末裔だ、みたいなことも併記してあって、阿蘇の龍神とのリンクは興味深いものの、整合性としてはよくわからんのですが。

今まであまり詳しく調べていませんでしたが、諏訪神家の姓の表記は確かに「矢崎」のようですね。
現地でも「矢崎祭り」と書いて「やがさきまつり」と読ませたり、地名の表記のほうも「矢崎」と「矢ヶ崎」が慣習的に混在していたように読み取れます。

矢崎御頭御社宮司社(塚原・矢ヶ崎御頭御社宮司社)《茅野市の御社宮司社》
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/tukayaga.htm

鬼場城
http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.oniba.htm

「どぶろく祭り」御座石神社例祭
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/doburoku.htm

ともあれ、大祝の家系の直系は、すでに途絶えているそうです。
遠いか中間距離くらいの親戚が、あちこちに生き残っている程度でしょうか。
2013.03.08 21:25
ootonomiko
私は学生で調布にいましたが、国領に矢け崎村というのが有りましたが、母方というのはそちらですか?

諏訪神家は矢崎と聞いてますが?
2013.03.08 12:21
五右衛紋☆Rhapsody
守屋山を諏訪大社の神体山とするのは、どうやら流行の風説だったらしく、最近では否定されつつあるようですね。

守屋山と神体山(諏訪大社本宮の御神体は守屋山か…)
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/sintaisan.htm

諏訪も物部も共にアジア東北部にルーツを持っていたかもしれず、そんなに遠くはない関係かと思います。どのくらいの時代にどのへんから上陸してきたかの違いで、いろいろ枝分かれするのでしょうが。

しかし、物部と諏訪との関係以前に、洩矢神の子孫の守屋氏とタケミナカタの子孫の諏訪氏との問題があり、そこに後から合流したらしい物部(守屋)が、なんで神体山?の名前にまでなってしまうのか?というのも、えらくアバウトでいいかげんな話です。

要するに太古の昔から、いろんなものが合流する、結び合される土地のエネルギーだったのではないかなあ、と夢想します。それだけに諏訪の伝説は単一ではない。
けれども遡ると、ポピュラーでスタンダードな神話をはるかに超えるような、非常に根源的で宇宙的な創造エネルギーを感じることもあります。

2013.03.08 01:44
ootonomiko
面白いですね!

物部守屋と守矢神社!

物部と諏訪の関係?

諏訪は高句麗系と思っていましたが!
2013.03.07 10:35

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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