スポンサーサイト

--,,--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

民の希望と幻想 ~ 祭政一致と祭政分離のドラマ ~

2010,,08
 近現代の民主主義国家では祭政(政教)分離がタテマエとなっている。現代人はそれが当然のように思っているが、古代では祭政一致が当たり前だった。これを古代が野蛮で現代が先進的だと、単純に解釈してよいものなのかどうか、深く考えたことのある人は少ないだろう。

 たとえば、個人主義と自由・民主主義の最先端を標榜してきたようなアメリカも、実はイスラム圏に負けず劣らず、国家規模で非常に信仰深い国であったりする。戦後、欧米社会を模倣して無神論の科学的合理主義になった、と自認しているような日本人は、それを是認するにせよ批判するにせよ、かなりずれた認識であることになかなか気づこうとしない。

 本当に「本当の神」の意向が政治に反映するならば、それはけっこうなことだとは思わないか?
 あるいは、祭政が分離することで、本当に人々の迷信や迷妄が打破できたのなら、とっくの昔にユートピアになっているとは思わないか?
 実は太古の昔から、政治体制がどう変わろうとも、権力者の欲望と大衆の愚かさは、本質的なところでそんなに変わっていない気がする。
               title_1善徳

 そういうテーマを鋭くえぐったドラマに、初めて出会った気がした。どんなに大衆娯楽エンターテイメントであっても、こうした視点を持つところに、韓ドラ時代劇の凄いところがある。歴史的に厳しい動乱にされされてきて、眼をそらすことができなかったことの代価だろうか。(未だに冬ソナのイメージだけしかない人は、あれは日本の昔の純愛ドラマのコピーから入った延長の、韓国版こってり味付けであることを理解するべきだろう)

               20090819_493510善徳

 ▽以下は『善徳(ソンドク)女王』第29話から、主人公と悪役との対話。

「私から奪った神権は王女様が持つべきです」

「その場合また奪われかねません」

「それを恐れて捨てると?」

「捨てるのではなく、民に返すのです」

「それは捨てるということです。神権を捨てどのように国の統治を?」

(捨てることになるのかな。統治できなくなる?)

「そうです、王女様。私たちは政権を争っていますが、争いにも規則があります。これは規則違反ですよ。どうやって王権を保ち権威を示すのです」

(どうやって権威を示すか?)

「どうやって民を治めるのです?」

(どうやって民を治めるか?)

「お答えください。その方法とは?」

「真実です」

「真実?どのような?民は王女様を新たな天神の王女だと、その民にどんな真実を?“何も知らぬ、神秘的な力などない”そんな真実を?」

               善徳女~1

「格物(当時の実用科学・博物学のようなもの)とは物事の道理と真実を明らかにするもの」

「それで?」

「璽主(セジュ、玉璽の管理する官職)は真実のための格物を利用し、施主が天候を動かすかのような幻想を作り上げた」

「民は幻想を望みます。天災を防ぐ超人的な力を望むものです。幻想こそが統治の原動力です」

「いいえ。民が望むのは、希望です」

「民の希望? 王女様。民や群集の恐ろしさをご存じないのですか?」

(恐ろしさだって?ミシルにも恐れるものが?)

「群集の希望や欲望の怖さを、ご存じないでしょう?」

「ええ、私は怖くありません。ただ飢えることのない平穏な生活を、民は望んでいる。幻想は望んでいない」

「民は雨の降る理由などに興味もないし、日食が起こる原因など知りたがらない。誰かが雨を降らせ、日食を防げば満足なのです。民は無知で愚かな存在です」

「それは民が何も知らないからです」

「そうです。知りません。民は自分たちの望みも知らない」

「民が暦本を知れば季節を知り、種まきの時期を知る。雨の原因を知らずとも、雨を農業に利用する方法を知ることができる。そのように一歩ずつ進歩していくのが民なのです」

「知識を得るということは、苦痛につながります。民にとって知識はつらくて疲れることです」

「希望はその苦痛や疲労に耐える力を与えます。希望と夢を持った民は、神国を豊かにするでしょう。私と同じ夢を見る者たちと、私は新羅をつくっていきます」

(まさか、この王女が望んでいるものは・・・)

(これは本当に私のしゃべっている言葉なの?)

「王女様。私は民の幻想について語り、王女様は民の希望について語られました。ですが、その希望が、その夢こそが、最も残酷な幻想なのです。王女様は私よりも狡猾なお方ですね」

(そうかもしれないわ。だけど・・・)


               2041451648_e6b99a9e_5善徳

 新羅、百済、高句麗の三国時代の末期の話なので、7世紀頃だろうか。まあ、細かいストーリー仕立ては7~8割フィクションだとは思うが、大筋のところで全くの作り事は描けないだろう。この時代に祭政一致から祭政分離への政策を意図的に選択したというのが事実だとしたら、世界史的に見ても相当なエポックではないだろうか。

 細かい解説・解釈はきりがないので避けるが、今の時代でも、このテーマの深い闇は何も変わっていない。
 為政者の祀り上げる「神」が、マスメディアによる情報操作という、別の神に摩り替わっただけの話だ。偽りの神のつけいる隙との分離は、終りのない魂の戦いである。

スポンサーサイト

comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://seirios2772.blog115.fc2.com/tb.php/267-4a599fb1

メッセージボードα

- Information -

Twitterに合わせて、ハンドルネームを「五右衛紋☆Rhapsody」に変更しました。( 旧ネームは「三斗Ra隼人」、Twitterは「五右衛門☆Rhapsody」)


-- E N D --
.
.

メッセージボードβ

- Information -

拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

-- E N D --
.
.

プロフィール

1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

タイトルリスト#

検索フォーム

ブログ中のタイトルやキーワードから検索します。

カテゴリ

リンク

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。