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北斗七星の先は・・・? ~ 将門巡礼☆番外編2 ~

2008,,05
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↑No.067 安倍清明の隠された過去 http://fleshwords.at.infoseek.co.jp/dt/dt067.htmより転載。

 シリーズ初回の「将門巡礼 ~ アセンション序章 ~」で、
>都区内の将門ゆかりの神社・霊場は、将門が信仰した北斗七星の配列になっている。
という話をしましたが、 では、
>江戸の北斗七星の先、北極星に当たる部分には何があるのか、気になりました。
という質問を受けました。
 私自身、気になっていたのですが、今日、やっと大きく広げられる地図を買ってきて確かめてみました。

 兜神社と鳥越神社を結んだ線を5倍に延長していくと……、
そこは足立区の青井とか一ツ家とかいうあたり。
 西新井薬師のちょっと東、綾瀬のちょっと西ですが、たぶん都区内としてはローカル地帯でしょう。 この付近で神社らしきものは、青井公園のすぐそばの愛宕神社だけ。ホームページもないくらいだから、小さな無人の神社かな。……と思って検索しまくったら、ひとつだけ、ちょっと詳しい情報をゲットしました。

               atagosama1.jpg

⇒足立歴史散歩、綾瀬村・・Ⅱ http://www.adachi.ne.jp/users/a.trm/ayasemura2.htm
(以下、上記HPより引用)
 平田家の屋敷神であったものが地区の神社になった。足立区では唯一である愛宕神社は、武家の崇敬が篤い勝軍地蔵が祀られている。創め、平田家の東に鎮座していたが、熱心に信仰する人が増え、参拝し易いようにと屋敷の表へ移し、明治の初めに下妻道に面した場所に移し(若菜家の敷地)村持ちになり、再度、現在地を求め、新地番制に伴い、青井5町会の区域を氏子に加えた。

 愛宕神社というからには、祭神は迦具土(カグツチ)かと思ったら、

ほむすびのみこと(防火)
みづはめのみこと(水神・安産)
やまとたけるのみこと(武・戦の神)
三柱の神様を祀る。


とあります。

 火神と水神をセットで祀るところは、イザナギに斬殺されたカグツチというよりも、饒速日&瀬織津姫の元伊勢の古代神祭祀を感じさせます。
 また、御神体には「勝軍地蔵尊像」を安置、ともあるので、武の神、勝負の神を祀るところは、将門祭祀と共通するものもあるかもしれません。

 さらに気になるのは、「平田家の屋敷神であった」というけれど、もしかしてこの平田は、国学者、平田篤胤と関係するのでしょうか。
 維新倒幕の思想的原動力となった平田国学だけれど、意外にもこの平田篤胤が“逆賊”将門をあつく崇敬していたという話があります。姓に「平」の字が入っているのも、篤胤が平将門の末裔であったからだと。

⇒展示の裏話紹介(「明治維新と平田国学」展 第2回 篤胤の将門信仰) http://www.rekihaku.ac.jp/relieved/l0005.html
(以下、上記HPより引用)
 平田篤胤ほど固定イメージをいだかれている人物も少ないのではないか?平田国学の話をすると、ほとんどの場合、廃仏毀釈の張本人ではないか、とか、戦前諸宗教の上に君臨した国家神道の創唱者ではないのか、といった意見や批判が出てくる。
 また性格的にも偏狭で、国粋主義的な国学者の立場から、僧侶や儒者にガミガミ攻撃的な非難をあびせた、といったイメージをもたれているらしい。しかし、今回の展示品の中に、篤胤が大事にしていた新井白石肖像画があるように、学者としてすぐれ、実証的に論理的に学問をおこなう人物に対しては、相手が儒者であれ、深い尊敬の念をいだき、自己をその域に達しようと日夜努力したのである。
 また国家神道の親玉といったイメージをもっている人々には、展示されている平将門神像をみて、びっくりするにちがいない。この平将門像は、1825年、常陸国から江戸の篤胤宅に持ってこられたものであり、篤胤の信仰あつく、平田家に今日迄伝えられてきたものである。
 国家神道の立場からすれば、将門は天皇への反逆者以外のなにものでもないのに、なぜ篤胤がこれほど深く信仰したのか、このあたりの謎解きから、平田国学や篤胤の説いた復古神道への理解が始るのだろう。



…………う~~~ん



 とりあえずこれでアンテナを切り替えて、この深夜から淡路島へと旅立ちます。[m:119][m:66]

[補足と推考1]

 北斗七星は世界各地で神話になったり信仰されたりしてきたようだけど、特に古代中国の道教系の占いや霊術では、重要視されたようです。
 そして、なぜか北極星とセットなんですね。北極星を見つけるのに、北斗七星が便利だからでしょうか??

 北極星は動かない(ように見える)星なので、天の支配者=天帝(太一、太極・太乙)とされ、その周囲を巡る世界の御者(運び屋さん)のような役割をするのが七星とされたようです。
 伊勢神宮の遷宮祭に、この思想が反映されている、と見る学者もいます。でも、動かないはずの最高神(大和朝廷以降の日本では天照大神)が、なぜ御者の籠に乗ってあっちこっち遷宮してしまうのか?というのは、未だ謎ですが……。

 ホントは輔星、弼星(たぶん見えづらいちっちゃな星)とをあわせて「北斗九星」とする古流の流派もあり、これが千葉氏の九曜紋に反映されている、とも言われます。 (北極星と合わせると十曜紋になる)  日本では星は☆ではなく○で表したんですね。

 なお、北極星の仏教的転化が妙見菩薩です。神道では文字通り「天の真ん中」ということで、天御中主(アメノミナカヌシ)になったようです。
 でも、古来、庶民が天御中主を祀るという習慣はなかったようで、だいぶ後の時代になって、大陸の北極星信仰が日本では抑圧され、変形して、民間に降りてきてから、この『古事記』の初発神と習合され祀られるようになったのでしょう。
 民族的にも古くから祭られてきた最高神は、むしろ国常立(クニトコタチ)なのですが、こちらは『日本書紀』で初発神とされながら、北極星信仰と習合することなく、歴史の裏に秘されてきました。これも大いなる謎です。

 北斗七星の型に方位的なパワーがあるかどうかは、全くわかりません。中国の風水でも、そんな術は聞いたことがありません。 基本は東西南北と季節の運行と、地形・地質であり、天にある立体空間を地上に投影したところで、なにか意味があるのか? 仲間内に通じるサインのようなものでしかないのでは?と思ってしまうのですが……。
 でも、まだ明かされていない秘術があるのかも知れず、何とも言えません。

[補足と推考2]

 その後、興味深いサイトを発掘し、認識を改めました。
北斗七星を形どった上を、特殊な歩行法で歩くという、道教由来の呪術があったようです。

 私がちょっとかじったことのある中国武術の八卦掌も、掌を天地や四方にかざしながら、ひたすら円周上を歩く修行をします。伝説によると仙人に授けられた武術ということで、やはり道教(神仙道)思想の反映があります。
 日本では陰陽道に継承されたのは当然ですが、日本古来の歩き方とされる「なんば」や、相撲の摺り足、能の六法(を踏む)、などともリンクしてくる、非常にミステリー心を刺激される世界です。

 というわけで、地上の自然エネルギーをわりと受動的に利用する風水術よりも、もっと能動的に天体のパワーを引き寄せてくるような、別派の結界術があったのかもしれません。
 将門祭祀の地上図形も、それを巡礼して歩くことによって何らかのパワーを発揮するという、実験的意図があったのかもしれません。 (ただ、あまりにも実証・傍証に乏しいので、『月刊ムー』的なトンデモ仮説ではあります)


▽以下、下記サイトよりの抜粋、転載。
⇒夜須町と日本の古代 http://9009.teacup.com/cojimagu/bbs?OF=70&BD=13&CH=5
***********************************************************************

反閇は、神楽や能楽 投稿者:児島宮歴研会 投稿日:2006年11月 6日(月)09時40分52秒

「兎歩(うほ)」という北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行法反閇は、神楽や能楽などに取り入れられている反閇の原点である北斗七星の形を踏んでいる天地の安寧や穀物の豊穣などを祈願する呪術的儀式舞と思われる。

天地交泰禹歩法 投稿者:児島宮歴研会 投稿日:2006年11月 6日(月)08時55分38秒

北斗七星の星の順に歩を進めていくことにより、悪い星回りを破り、よい星回りを呼ぶというもの。 古くは雨を降らせるための呪術であり、禹歩とも呼ばれている。


能舞台と北斗七星 投稿者:児島宮歴研会 投稿日:2006年11月 6日(月)08時34分56秒

(陰陽五行の思想を礎とする)の歩行呪術法禹歩を受け継ぎ、日本の陰陽道に取り入れたものを反閇と呼ぶ。「能」とは?「祈り」である継ぎ足とでもいうべき歩き方で、先に出た足に後の足を引き寄せて左右に歩みを運ぶ。北極星と北斗七星が天空の支配者

星の信仰
星を踏む神々
「六方」という独特のステップを踏みながら釡の四方を巡ります。
一般的に「反閇」と呼ばれる
禹歩の一種である「返閉局法」
北斗七星を地面に描き、その星をひとつひとつ踏むことによって天帝と一体化し、不吉な状況を反転させました。「閇」も「閉」も、意味は同じです。
「てんはくのうた」天白様と星七夕伝説の織姫=こと座のベガのことです。
いや天白御前の遊びをば
いや雲をわけて遊ぶなり
いや星の次第の神なれば
いや月の輪にこそ舞い給え
いや紫の八重雲わけて下り給う
いや天白御前に遊び参らん

呪文を唱えながら行う。


「尊星禹歩作法」 能や相撲馬術獅子舞 投稿者:児島宮歴研会 投稿日:2006年11月 6日(月)07時52分33秒

「禹歩」は、古代の聖天子「禹」の歩きかたをかたどったものと伝えられる(1)。「禹」は『史記』などの歴史資料において夏王朝の始祖とされている人物である。

禹歩の歩行術を用いて、魔物が隠行するこの世との接している異空間や世界、仙人や妖怪などの隠れ里、呪術により隔離された空間などに、出入りする。
 異空間とこの世の接点へ向け、咒言を唱えながら禹歩で歩行することで、二つの世界の通り道を見つけて進入脱出する。術者の後を間違えずに歩くことで、術者以外も異空間に出入りすることが可能。


「尊星都藍禹歩作法」 投稿者:児島宮歴研会 投稿日:2006年11月 5日(日)18時55分40秒

妙見信仰とは、北辰(北極星ー天の北極にある星で今言う北極星に限定されない)と北斗(北斗七星)にかかわる信仰で、天台密教では北辰(北極星)のことを妙見菩薩あるいは尊星王(そんしょうおう)と言い、他の星を統御し、天下の興亡を司り邪気をしりぞけ長生を保たせる力があるとして「尊星王法」が修せられます。「尊星王法」は妙見菩薩をまつる天台宗・寺門派(本山派修験)の秘法ですが、この行法には、陰陽道特有の反閇(へんばい)が伴ないます。ちなみに、反閇は、禹歩(うふ)とも言い、陰陽師が足で大地を踏みしめ、呪文を唱えながら千鳥足風に歩む呪法で、皇族公卿の外出・転居の際、この呪法をおこなう陰陽師が先行し邪気を払うというものです。禹歩と言い、あるいは反閇と言うそれは魔術的な歩法の一種である。北斗七星 となるような歩き. なんば歩き:右手と右足、左手と左足をそろえて歩行する明治以前、日本古来の歩行法。禹歩、反閇ですから山伏・道教・陰陽道系作法もしくは能や相撲の四股などでも名残が見られるものを取り入れて舞っています。

禹歩
歩行呪術で、北斗七星の形や八卦の意味を込めて、継ぎ足で歩行することによって、簡易的な結界を貼り、魔物から身を守る。対象は術者と術者が歩行した跡で、魔物は術者に危害を加えることや、その歩行の跡を跨いで進入することが出来なくなる。

***********************************************************************
▽その他の参考サイト。
⇒禹歩の技法と思想 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/students/98ohira.htm
⇒反閇と四神 http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index44.html
⇒暁の宵 反閇と四神 http://redmorning.blog47.fc2.com/blog-entry-2.html

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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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