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築土神社 ~ 将門巡礼、都区内編② ~

2008,,17
 築土神社は日本武道館のすぐそばにあるが、ビジネス・ビル群の一画に埋もれているので、なかなかすぐには目につかない。地下鉄九段下駅(東西線、半蔵門線、都営新宿線)の1番出口が近いのだが、我々は7番出口から反対方向をぐるりと探してしまったので、遠回りになってしまった。
 妻が「いったいどこにあるのよ!」とイライラ気味。私が地図を頼りに「絶対、このへんの方向にあるはずだ」と当てずっぽうに指差した瞬間、どんぴしゃ!その延長上のビルの隙間に、緑色の異様な屋根がのぞいたところだった。
          築土1
 写真ではいまひとつ感じが出ていないが、一目見たその瞬間、近代ビルの隙間に埋め込まれたオトギの国の宇宙基地のように見えてしまった。超合金で出来た合体ロボットがガチャン、ガチャン!と組み変わって変身し、ロケットになって天空に発射するかのように見えたのだ。
 ここが地下鉄1番出口からのポイントであり、一番近いアプローチらしいのだが、社殿の向きからすると斜め後ろの角度となってしまう。そうとは知らず、ビルの谷間の階段をダウン・アップしながらのアプローチは、何ともいえない不思議空間だ。

                    築土2
 ↑本当はこちら側が神社正面からのアングル。ビルの端の下部が参道になっている。太い石材の柱が並ぶさまは、近くで見るとギリシアの神殿みたいでエキゾチックだ。

 もっと現実的な観点から見ても、なんとも奇抜な建築様式だ。屋根が前後に三段構えになっていて、一番前面の拝殿だけ出雲大社と同じような切妻造り、中間と後ろが神明造りになっている。
⇒神社建築の種類) 
               築土4

築土3
 いや、厳密に言うと、中と後ろの間の谷間にもうひとつの小さな神明造りが挟まっていて、合計四つの屋根。しかも、正面拝殿の切妻造りの屋根板が、最後尾の神明造りの前面軒下まで、底面を支えるように伸びている。何と言ったらいいのか、一つの切妻造りの上に三つの神明造りが組み木細工のように組み込まれた感じかな。
 言葉で説明するのも大変だが、眼で見て把握するのもなかなかの難物だ。私もこの原稿を書くためにしげしげと写真を見比べ、初めて全体像を理解した。(この神社はビルの狭間に組み込まれているので、遠景から全体像を把握するのが難しい) 一目見た時の不思議感覚の秘密も、こうした前代未聞のデザインにあったのかもしれない。

築土5 築土6.
 屋根の千木は、正面と後ろは縦切り(垂直切り)、真ん中だけが横切り(水平切り)。谷間のチビ屋根には千木なし。鰹木の数までは確認できなかったが、このへんもなんだか謎めいている。(一般には、祭神が男神の場合は縦切り、女神の場合は横切り、鰹木が奇数の場合は男神、偶数の場合は女神、と言われている)
⇒千木・鰹木 – Wikipedia

 いったい何者がこの社をデザインしたのだろう。古神道の霊学的な素養がある人だろうか。だとしたら、何の意味を込めたかったのだろうか。それとも、何の意味ともわからず、異次元の何者かに突き動かされるように、このデザインを選んでしまったのだろうか。
 私はどうも、伊勢の内宮と外宮の陰陽再結合の秘教思想が秘められているような気がしてならない。男神と女神が分裂して、封印されてしまった後の、征服国家の権威の象徴である伊勢神宮ではなく、神宮建立以前の“原初”元伊勢への回帰志向である。
 
 しかし、なぜ、平将門を唯一の祭神として発祥したこの神社に、その元伊勢志向があるのだろうか。将門公の霊威というものが、意外と“原初”日ノ本に通ずる窓口として開いていたからではないか。
 だいたい非業の死をとげた者など、長い歴史の中にはゴマンと居るはずである。その中で有史以降の人霊神としては将門霊のみが、なぜここまで祟り神の帝王として畏れられ、あるいは慕われ、破格の待遇を受けてきたのか。それは将門が原初の神の分け御魂として、強靭で崇高な使命を纏って遣わされてきた、洗礼の先駆けだったからではないか。このたびの将門巡礼で、私の中にそんなヴィジョンが芽生えはじめていた。
 (菅原道真が「最大の怨霊」などともてはやされることもあるが、今は学問の「御利益信仰」の神としてポピュラーだし、その学問ももっぱら「お受験」担当であることを考えると、見事に体制派のマスコットに置き換えられている。実際、道真自身も平安京の貴族社会への未練がましさのようなものがあって、将門とは怨霊としての質も格も違う気がする。騙されて捨てられた「女心の演歌」が道真なのに対して、こっちから問答無用で一刀両断する「復讐の荒野」が将門なのだ)

 もしかすると将門の御魂は、大本のウシトラの金神(国常立尊)や素戔嗚尊に通ずる救世神の後裔だったのであり、海外においては、まさしくユダヤの「王(新皇?)」を名乗った「逆賊」として処刑されたイエス・キリストや、そのイエスの先駆けとして洗礼を施し、民を惑わしたとの罪で斬首された洗礼のヨハネなどと親戚筋にあたる霊系だったのではないかと。
……まあ、常識的な皆さんは、御伽話として胸に収めておいてくだされ。

 余談だが、この洗礼者ヨハネを検索しているうちに、興味深い話を発見した。
⇒洗礼者ヨハネの墓
⇒ウマイヤド・モスク[シリア編]
 ヨハネの首が埋葬されているという教会が、実はイスラム教の現存する最古のモスクになっていて、ムスリムにとっても参拝の対象になっているのだとか。いわばユダヤ教とキリスト教の時代的橋渡しを演じた役回りのヨハネが、今はイスラム教徒からも礼拝されている。……となると、万教同根・地球共生の理想からすると、洗礼者ヨハネはイエスをも超えていることになる?!(キリスト教徒には内緒だよ)
 もっとも、イエスも「キリスト教」として後の帝国主義に担ぎ出され、差別と征服の奇形増殖した世界宗教への道さえ歩まなければ、もっともっと素朴に異教徒や異民族にも慕われていたかもしれない。その意味では、将門もへんに国家公認の聖者に祭り上げられず、地方分権の無冠のヒーローとして全うしてきたのが正解だったのかもしれない。


 法外な話が長くなったので、神社の歴史的変遷について触れておこう。
 この築土神社の起源も将門の首の埋葬に由来するということだが、大手町(旧地名:武蔵国豊島郡の芝崎)の首塚がそのまま今の場所に残ったのに対し、築土神社は様々な事情から近隣各地を点々としている。
⇒築土神社遷座史

 一方、将門の胴体のほうを埋葬した塚に由来するのが神田神社(=神田明神)であり、「からだ」が訛って「かんだ」になったというのが通説。さらし首にされていた京から、この江戸の体=神田をめがけて飛行してきたが、直前で力尽きて墜落した、というオカルト&ホラー調の伝説が、首塚の祟り話にハクをつけている。

 この神田の語源には異説もある。この地にはもともと神仏に帰属する田とされる「神田(おみた)」があり、後に将門の遺体や首が持ち込まれたのだとする。これは神社側の社伝(神田明神 - Wikipedia)だが、しかし、神田神社は明治政府の圧力で将門が祭神からはずされたという経緯があるので、この説明はカムフラージュではないかという疑念も湧いてくる。というのも、このあたりは埋め立て地であり、古代では海岸線が目前まで迫っていたのだ。(江戸の「江」は入り江の「江」だという説もある) そういう土地に、神社に奉納するような良質の田地がつくれるのだろうか。

 体の塚の元地についても、異説がある。将門の遺体はもとは下総国の菩提寺(現在の茨城県坂東市の延命院)にあり、後に芝崎の首塚のところまで運ばれてきて、合わせて祀ったのだとする。これでいくと、身体を埋葬・供養した最初の地も、江戸の神田ではなかったことになる。
⇒将門首塚を考える

 将門没後360年以上を経て、時宗の真教上人が荒廃していた塚を修復し、「蓮阿弥陀仏」の法号を贈って首と身体と霊とを合わせて祀り、さらにその地にあった安房神社と合祀して、初めて神田神社の原型ができた。これはかなり合理的な説明だ。
 この時に上人の拠点になったのが日輪寺であり、したがって、この話は日輪寺の伝承だろう。
 この説明によると、首塚の当初の位置は現在の大手町ではなく、日輪寺の元地である台東区西浅草となっている。後に日輪寺と共に現在の大手町に移転したということだ。

 このように細部では矛盾していて統一感がないのが、将門の埋葬や祭祀の伝承だ。
 中でも築土神社の伝承記録は、かなり詳しいにも関わらず、他の首塚伝説や日輪寺側の伝承とも食い違っていて、異彩を放っている。
⇒築土神社御由緒
 まず、首の飛行伝説を採らない。「首桶に納め密かに持ち去った」という合理的な説明であり、また、首塚というものも登場せず、上平河村津久戸の観音堂に祀ったのが最初としている。(武蔵国豊島郡までは現在の首塚と同じだが、芝崎ではなく上平河村津久戸) この「津久戸」から「津久戸明神」と称したのが始まりで、その後あちこちを変遷する過程で、新宿区築土八幡町へ移転した時に「築土明神」となった。
 「津久戸」と「築土」の発音が似ていたのは偶然なのか、それとも、似せた音の地名を新たに付けたのか、そのへんは記録が定かでないのでわからない。(でも、この最初のほうの「津久戸」は、『日月神示』や『ひふみ神事』の「天日津久大神」を連想させて、なにやら予言めいた響きがある)

 首塚と神田明神と築土神社と、この三つがなぜバラバラの場所になってしまったのかも、根拠がよくわからない。
「首:奇魂(知性・理性)」と「身体:荒魂(意思・情動)」とを繋ぐ、「和魂(中心力・求心力)」みたいなものを、この築土神社は受け持っているのだろうか、などと勝手に解釈してみる。

 将門信仰史の御多分に漏れず、この神社も明治政府の冷遇を避けるため、便宜上「天孫」の天津彦火瓊瓊杵尊を主祭神として勧請している。将門公は今も、怨霊の先達、菅原道真公と共に、相殿に配祀されている。


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詳しいことは築土神社のホームページにあるので、興味ある人は覗いてほしい。
http://www.tsukudo.jp/(築土神社-平将門を祭る武道の神様)
「複写・転載は御遠慮ください」とあるので、引用も遠慮しておくが、どの神社のページよりも多角的で詳しく、歴史的探究心を感じる労作ホームページである。
 次のホームページも、やたら詳しい。
http://www.k2.dion.ne.jp/~hike/fest.html(将門首塚を考える)
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2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

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