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鬼王神社、鎧神社 ~ 将門巡礼、都区内編① ~

2008,,17
 東京の将門ゆかりの寺社・霊場は、ざっと調べてみただけで十箇所以上はある。前回に紹介した北斗七星の配置をかたどる七箇所(鳥越神社、兜神社、首塚、神田明神、築戸八幡神社、水稲荷神社、鎧神社)に加え、神田明神の元地である日輪寺、将門の幼名を社名にした鬼王神社、青梅の地名の由来とされる「将門誓いの梅」がある金剛寺、将門の子孫が建てたと言われる奥多摩町棚沢の将門神社、などなど。
 東京以外の関東では、生地の下総国(茨城県)以外では、近隣の千葉県と、なぜか埼玉の秩父地方に将門伝説が多い。ネット検索すると、なにしろもの凄い数の将門ページがヒットするので、マイナーなものまで入れると、将門伝説の地はもっともっと広範囲にわたるに違いない。

 今回はこのうち都区内の新宿~九段下付近に集中している代表的な場所を、いくつか巡ってみることにした。今年の1月17日、天気はいいが、都会のビル風が吹きすさぶ寒い日だった。

 飛行する将門の首が飛び越えたから鳥越神社だとか、こじつけっぽくて、将門自身が祭神に一度も名を連ねたことがないような社にはあまり行く気がしない。
 その意味では、この鬼王神社も似たようなものかもしれないが、「鬼王」という名前にロマンを感じてしまった。全国に「鬼」と名のつく神社は数あれど、鬼の「王」となるとここだけなのだそうだ。

 神社の由緒書きでは、
○古来より大久保村の聖地とされていた現在の場所に、承応2年(1653年)、氏神として稲荷社が建てられた。
○宝暦2年(1752年)、大久保の百姓・田中清右衛門が紀州熊野から鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を勧請。
○天保2年(1831年)、稲荷神社と合祀して稲荷鬼王神社となる。
という三段階のプロセスを経ているが、将門の名はどこにも出てこない。
 おそらく朝廷の弾圧を避けるため、早い時期に将門信仰を隠した神社なのだろう。と言うのも、織田完之『平将門故蹟考』(明治40年刊行)という書に「将門の霊を祀り、その幼名『外都鬼王』を以って社号とす」とあるからだ。しかも紀州熊野には現在「鬼王権現」という神社はなく、過去にあった記録もないらしい。

鬼王神社1

               鬼王神社2

 新宿歌舞伎町のはずれにある大通りに面した小さな神社だが、ビルの間に挟まっているというのに、私が生まれ育った武蔵野や多摩の郊外の情景のような妙に懐かしい臭いがする。近くの花園神社のような、歓楽街の商売人が詣でるような雰囲気もしない。
 手水の竜神さんの背後は、すぐに社家の駐車スペースになっているという、庶民的な空間である。
               手水の龍神

 水や豆腐にまつわる御利益信仰があるせいか、水琴が何ヶ所かに設置してあった。(竹筒に耳をあてると、ピチョン、ピチョン…、と水滴がしたたるエコーのかかった音が聞こえる)
               水琴

 今回はのっけから猫さんと遭遇。ちょうど拝殿前でお参りしようとするその時、ビル風で枯葉が地を這うように舞う中、疾風のように境内を縦横無尽に駆け回る猫さんが登場!
 この寒さの中、元気モリモリで身体も大柄だ。早々にお参りを済ませてから、しゃがみこんで呼ぶと、驚くほど真っ直ぐに膝元まで寄ってきた。まるで私がお参りを済ませるのを待っていたかのようだ。
               猫太郎
  
 ふつうここまで懐くと、膝の上に乗ってこようとするものだが、この猫様は精悍にして無邪気な眼でじっとこちらを見るだけ。決してむこうから馴れ馴れしくはしてこない。
 しばらくすると、またアスリートのようにダッシュして境内を斜めに駆け抜け、いづこともなく走り去ってしまった。風と共に馳せ参じ風と共に消える、まるで忍者のようなやつだ。おぬし、将門公に仕える臣下の者か?
 
 後でネット検索していてわかったが、この風魔の猫太郎(たった今、私が命名した)はここのヌシのような存在だったのかもしれない。この神社を訪ねた複数の人のブログに、まぎれもない彼の写真を発見したのだった。
http://www.geocities.jp/sakuragaoka5364/html/kiou.html
http://gunung.exblog.jp/6580145/
http://toki.at.webry.info/200707/article_1.html

 他ブログでは、とても人懐っこい猫のように書かれている。おそらく相手の出方しだいで(あるいは相手を見て)べたべた甘えもする、臨機応変の戦術を持った奴なんだろう。
 そういえば、イルカがそういうところあるんだよな。紀伊勝浦のプールでイルカと遊んだ時、ちょっとビビッてる妻は後ろから小突かれたりして遊ばれていたのに、もっと遊びたい私にはそういういたずらをするイルカが寄ってこなかった。

 次に行ったのが、北新宿の鎧神社。(最寄りの駅はJR大久保)
鎧神社、鳥居

 JRのガード下付近から住宅街の路地へと入り込んでいくと、思ったよりも大きな鳥居と境内が見えてくる。わかりづらい場所にあるので、こんな都心にあっても閑静な郊外のようで、俗化した雰囲気がしない。

 「鎧神社縁起」という立て札に「明治初年、将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する」とある。江戸っ子共同体の心意気を感じる。
鎧神社、縁起
 社名は将門の鎧を埋めた伝説からかと思ったら、そもそもの由来は日本武命(ヤマトタケルノミコト)の鎧を納めたことからだという。ヤマトタケルと将門の組み合わせも、一見ミスマッチだが、通底しているものもあるような気がして興味深い。
 
 面白いのは、保育園が隣接していて、どう見ても神社の社務所の建物と背中合わせで一体化している。教会やお寺が保育園を経営しているのはたまに見かけるが、神社がやっているのは初めて見た。これも地域に密着している感じがして、好感が持てた。

 鎧神社の帰り道でも猫と遭遇したが、その猫さんは先を急いでいたらしく、写真も遠くの後ろ姿くらいしか撮らせてくれなかった。(つまらないのでデータから削除したので、写真は残っていない)


(以下、次回へと続く)

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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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