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古(いにしえ)の神降る峯の古峰ヶ原 ~ 北関東に埋没する古代霊場④ ~

2007,,09
 2007年10月9日

 大平山、大中寺、岩船山と巡り、一泊した翌日、ガイドブックを見ながら目星をつけたのが古峰ヶ原(コブガハラ)高原。太平山からは北北西の方向、中禅寺湖の南側にひしめく山並みの中にある。
 車で行く場合は、東北自動車道の鹿沼ICから、県道14号鹿沼日光線をひたすら西北方面へ。途中、日光方面への分かれには向かわず、大芦川と並行する58号線をそのまま西北に進む。これを「古峰ヶ原街道」と言うらしい。

 創祀は1300余年前、京都からこの地に移った隼人というお方であると、古峯神社のホームページにはあるが、一般にはむしろ日光を開山した勝道上人(735~817)が若き日に修行した山として知られている。
 このたびの私の北関東霊場巡りとしては、文字通り真打ち登場という感じで、古代日本の秘教ファンにはお薦めできる場所だ。と言うのも、一見して、物部系古神道と修験道と真言密教が渾然となった、独特の習合オーラを発しているからだ。

 私自身、まず惹かれたのは、「古峰ヶ原」という名称だった。麓の神社名は「古峯(フルミネ)神社」というのに、バス停は「古峰原(コブガハラ)神社」となっている。これは「フルミネ」のほうが古称であり、「コブガハラ」への読み替えは後の時代のカムフラージュだったことの痕跡ではないのか。そして、山の名前も「コブガハラ」ではなく、もとは「フルミネ」だったのではないだろうか。
 華供(はなく)の峯が供峯(くぶ)になり古峯(こぶ)になった、という説もあるようだが、
⇒http://www.kongousanzuihouji.jp/history/index.html 古峯原・金剛山瑞峯寺縁起
私の考えは「フルミネ」は「(神の)降る峰」なのであり、これが『記紀』による天孫降臨の表現「筑紫の日向の高千穂のくしふる峰」に抵触するから、体制側の弾圧を避けるため、フルミネ⇒コブガハラとの読み替えを余儀なくされたのではないか、というものだ。
 『記紀』を編纂した朝廷以来の「正史」からすれば、天孫降臨の地はあくまでも九州の高千穂でなければならず、我が国の伝統は、皇祖神たる「女神アマテラス⇒天孫ニニギ」の系譜による万世一系の統治でなければならない。この皇国史観からすれば、恐るべき異端である“別系の”天孫降臨である、「男性太陽神ニギハヤヒ」や「元伊勢の女神セオリツヒメ」の系譜は、史料から徹底的に抹殺されなければならなかった。
 弾圧され戸籍を削除された古(いにしえ)の神々は、他の姿を借りて存在を伝承する。その代表格が山岳仏教との混交である修験道である。

 古峰の霊場に貢献した勝道上人は、最澄の天台宗よりも空海の真言密教よりも前の時代であるため、謎が多く、宗派もはっきりしない。山岳宗教の時系列としては、修験の祖である役行者と真言密教の空海との間に位置することになる。
 勝道上人には竜蛇や水神に関する伝説も残されているので、調べてみると面白いかもしれない。また、7歳の時、夢の中に「明星天子」という神が現れてお告げを下したという伝説から、古代物部の星神信仰との繋がりも窺えそうだ。
⇒http://www.mct.gr.jp/world_h/nikko1/shodoshonin.shtml 世界遺産 日光の社寺 日光開山の祖 勝道上人
⇒http://www.zuisousha.co.jp/book2/4-88748-135-7.htm 聖なる衝動 小説・日光開山 勝道上人
⇒http://www.oku-chan.net/p0737_35.html 日光山の開祖、勝道上人の銅像

 さて、麓の古峯神社だが、これは何とも不思議なたたずまいだ。
 古峰ヶ原街道にそびえる一の大鳥居は、重厚でくすんだ色が奈良の大神神社の大鳥居を想起させるが、境内の参道に入ると、短い区間に三つも四つもの鳥居が縦列している。よくあるお稲荷さんの鳥居のアーケードほどではないが、このあたりから外界から区切られた一種の結界を感じさせる。
            
1大鳥居

2連立する鳥居

 ところが、肩透かしをくらわされる気分になるのは、この鳥居の縦列の延長正面に社殿はなく、突き当り右側に囲われた空間に、ひょいと横っ飛びして入りこむような形で参拝する。
 出雲大社のように、社殿内部で神様が囚人のように(井沢元彦説)横っちょを向いた部屋に監禁されているわけでもなかろうが、何やら迷路のような閉塞空間を感じさせる。封印されているのか、それともオカルティックな外的に対する目くらましのカラクリ造りなのか。
               5本殿正面

               6本殿アップ

               7本殿壁の埋め込み襖
 拝殿自体も、正面からは全く中が見えず、「嘆きの壁」でもあるまいに、まるで壁を拝んでいるような気分になる。秘教的と言ったらいいのか、風通しが悪いと言ったらいいのか、こんな神社も初めてだった。

               8古峰園
 それでいて、参道の反対側には古峰園という25000坪もの広大な日本庭園があって、その中には裏千家の茶室まであり、毎年、美術関係の有力者の協力を得て茶会が催されているという。また、何百人も宿泊できる参籠施設があり、祈祷を受けた後の直会(なおらい)では、伝統料理がいただけたりもする。
⇒http://www12.ocn.ne.jp/~furumine/kohoen.html 古峯園の御案内

 いったいどこにそんな広大な施設があったのか。当日はすぐに山登りに向かったため詳しく見学もせず、この日記を書くためHPを調べてみて初めて知った私は、おったまげてしまった。このシリーズの副題である「埋没する」古代霊場どころではない。さながら“隠れ上流”の社交霊場だったのだ。(もっとも、茶の世界と言うのも、千利休の時代から高級秘密クラブのような、諜報活動めいた臭いがあるわな)

 神社の位置からさらに少し奥へと車を進めると、車道の左側に「関東ふれあいの道 古峰ヶ原高原1.3km」と標示された遊歩道のような登山口が見つかる。(付近に駐車場もあり、なかなか便利にできている) そこから古峰ヶ原峠(1144m)を越えて、隣の峯の三枚石(1377m)で折り返す往復ルートを目指す。

                    9巨石上の供養社
 ゆるやかな登りがやや急になったあたりで、最初の巨石に出会う。若い修行僧が辛い修行に耐えかねて夜逃げしようとしたが、追っ手に迫られ、ここまできて転倒して死んでしまった、とかいう云われが書いてあった。岩の上の祠はその供養のためらしい。大中寺にもこのての怪談が伝わっていたが、どうもこのへんの霊場はそういう話を残すのがお好きなようだ。

 ちょっと気味の悪い場所はそこだけ。しばらく登っていくと、今度は合金色をした小型の鳥居に出会う。
                    10合金色の鳥居               
 
 そこから先は、様々な形をした巨石のオンパレードだ。ここまで石の多い山も珍しく、飛騨の位山以来だろうか。

                    巨石1

               巨石2

               巨石3

               巨石4

 それも不思議な感じがするのは、樹木や土と巨石が共存している風景。山肌全体が岩場が多いのならまだわかるが、背景はわりとたおやかなのに、おびただしい数の巨石がころがってる図は、まるでマニアかコレクターが庭石でも運んできたような印象を受ける。

 中には、あきらかに人口的にカットした断面ではないかと思わせる石も見受ける。

               巨石5

               巨石6

巨石7

 古代において巨石を御神体とする原始信仰が盛んだったことは、皆さんも聞いたことがあるかもしれないが、私が思うに、ただ素朴なだけの精霊信仰(いわゆるアニミズム)だったのではなく、現代科学とは別次元のハイテク・スピリチュアリズムを駆使していたのではないか、という気がしてならない。つまり、石というものを高次の霊的な受信機として、人口的に開発利用していたのである。
 もちろん、こうした人工的カットの痕跡がいつ頃の時代のものなのか、調べてみなければ定かでないし、もっと近代のものなのかもしれない。が、たとえばエジプトのピラミッドの建造技術を不思議がるばかりでなく、こういうところに目を向ける視点があってもいいと思うのだ。

 古峰ヶ原峠は、それら巨石群の尾根道の途中、ぽっかりと開けた高台にある。「ヶ原」とはよく言ったもので、本当に信じ難いくらい広大な原っぱが出現する。(HPによると、1万ヘクタールとか!!) ワイドレンズがなければ写真にも収まりきれない光景なので、シャッターも押さなかった。
 この地形が本当に自然の造形によるものなのか、これも不思議と言えば不思議。まるで山上の飛行場。饒速日(ニギハヤヒ)の乗るUFOである「天の磐船」が、軍団で着陸したところと言われれば、絶対、信じてしまいそうだ。(天孫降臨の地というのは、べつに一箇所に限定する必要はないと私は思っている。あちこち巡回していたかもしれないし、霊体の降臨ということならば同時多発もありえる)

 三枚石の峠の直前に、「天狗の庭」と名付けられた一画がある。林の中に中小の岩がひしめいていて、さながら岩の牧場のようだ。

               天狗の庭

               天狗の庭2

               巨石8

 以前、サボテン公園に行った時、温室の中でサボテン同士がテレパシーで世間話でもしているような感覚を覚えたことがあるが、現代科学では無生物のはずの岩に対して、それと似たような感覚を覚えてしまった。

 「三枚石」は大きな岩が三枚重なっている形と、勝道上人が座禅修行(三昧)した場所という、二つの意味を掛け合わせているようだ。そして、ここが麓にある金剛山瑞宝寺(古峰神社よりもバス停で1~2個手前)の奥の院ということになっている。
⇒http://www.kongousanzuihouji.jp/inquiry/index.html 古峯原・金剛山瑞峯寺ご案内

 ここには珍しい像がたくさんある。
 三昧石の側面にあって、小型だがまず目を引くのが、「古峰原聖観音」と刻まれた優雅な坐像。 
               1古峰聖観音

          2聖観音アップ

 一見して、如意輪観音のようなしどけない姿勢だが、髪の結い方とか頭巾のような被り物が、確かに聖観音ではある。でも、見る人が見ればとんでもなく異色なのが、右手に金剛杵(コンゴウショ)を携えていること。密教の仏である証左だろうが、こんな三種混合(如意輪+聖観音+金剛杵)の観音は他にどこにもないだろう。
 金剛杵は密教の修行者や、大威力の金剛部の仏が持つ法具であり、観音のような蓮華部の菩薩が持つものではない。柔和なように見えても芯は金剛力である、という主張だろうか。このへんに私は、瀬織津姫の“隠し”イメージを感じとる。

 道の反対側に三尊像のような立像がある。向かって左から、弁天龍神、大白龍神、弘法大師修行像、とある。
               3弁天龍神

4弘法大師

5弁天龍神アップ 6弁天龍神、後姿

                    7太白龍神

               8太白龍神、後姿
 
 弁天龍神と大白龍神は、あきらかに瀬織津姫のフェイク(変装、隠し名)だろう。龍を身体に巻きつけてお供にしている姿は、伝えられる水神としての最高神のイメージそのものだし、大白や天白という冠詞が瀬織津姫の東国での称号であることは、以前にも説明した。

 同じ弁天でも出雲系の弁天は、迫害された末に未浄化な女のカルマを背負っていった感じがするが、瀬織津姫の変装した弁天は、凛としてスカッとした体育会系、と言うか、武芸者系の波動を感じる。

               9弘法大師、単独
 でも、勝道上人ではなく弘法大師なのは、どういうわけだろう。後の真言密教に勝道上人の修験のスピリットが受け継がれている、と言いたいのだろうか。

10大山祇、石碑 11別雷、石碑
 近くに、大山祇大神、別雷神と刻まれた碑もあった。

 いよいよ勝道上人が修行したという三昧岩の霊場へ。

三昧岩の社
 ↑三昧石の社を側面から撮ったもの

               12三昧岩、鳥居
 ↑社と鳥居の正面

                    13三昧岩、説明版
 ↑説明書き

               14三昧岩、穴
 ↑岩の下部の隙間にある祭壇。

 穴倉に祀ってあるのは「金剛童子」とあるが、このへんの山岳信仰の本尊の推移や変化形は、ファジーでよくわからない。
 「金剛薩埵(こんごうさった)」がインド密教伝来の原型らしいのだが、これが中国⇒日本へと渡り、定着する過程で「執金剛神(しゅうこんごうじん)」や「金剛力士」となり、修験道の「金剛蔵王権現」や「金剛童子」へと変遷していった、……というのが学術的な解釈だが、本当にそれでいいのかな。
 しかし、説明書きによると、金剛童子=不動明王であるような書き方もしてあるので、こうなると何がなんだかわけがわからない。
 修験道の不動尊も、ある意味、日本で完成されたイメージなのかもしれない。他の明王は皆「明王」なのに、不動明王だけに「不動尊」という呼び名があるのは、神道の「尊(ミコト)」と共振しているような気がしてならないのだ。

               15金剛水
 三昧石の峠からもう少し足を伸ばすと、「金剛水」という矢印がある。行ってみたが、現在の水量はチョロチョロ状態だった。

16巨石舞台
 まだまだ巨石地帯は続く。
 妻があきれて先を急いでいたので、私が共に写真に入って大きさを強調することができなかったが、この石は飛鳥の石舞台を髣髴させるくらい、相当にでかくて平べったい。しかも一枚の岩なのだ。


 下山してから、行きに車の窓からしか見なかった金剛山瑞宝寺に寄ることにした。ここも見ごたえのある像がたくさんあって楽しい。
⇒http://www.kongousanzuihouji.jp/history/index.html 古峯原・金剛山瑞峯寺縁起

17不動尊(小)

18不動尊(大)

 上が行きの車の窓から撮った不動三尊像。下が帰途に寄って、像のすぐ下まで行って撮ったもの。
 なぜか私は、不動様のこの恐い顔を見ると、懐かしさを覚えてしまう。

               19不動尊の剣
 逆鉾があるのは、天孫降臨と縁ある地のシンボルでもある。東国(関西以東)の場合は、饒速日&瀬織津姫の霊場であった可能性が高い。製鉄の民族や信仰とも密接な関係があり、なぜか必ず不動尊や龍王神ともセットになっている。

20金剛山瑞宝寺
 山門がないのに、仁王様(金剛力士)が居るユニークな構え。こちらは、古峰神社と打って変わって開放的?

                    21蔵王権現
 修験の寺らしく、蔵王権現像。ボリュームがあって、不動尊と見まがう貫禄。

                    22観音如来
 これも観音とあったが、結跏趺坐した如来のような観音像も珍しい。(密教には観音如来というのがあったと記憶するが…)
                    
               23倶利伽羅竜王
 夕空にシルエットでとらえた、倶利伽羅竜王の躍動。

24役行者
 暗くなってきたせいか、闇の帝王みたいで、ちょっと凄みのある役行者(役小角)像。

25弁天観音
 これもユニーク! 弁天観音と名付けられた、オリエンタルな天使のような雰囲気の女神。これも瀬織津姫のフェイクだろうか。お供の龍神が、散歩の犬みたいでかわいい。

 こうした独創的な尊象イメージは、古来からこの寺に伝わっていたものなのだろうか。不思議と言うか、ファンタジーだねえ。


 帰りの高速SAにて。
 私がちょっとゴミを捨てに行っている間に、妻が白黒二匹の猫に包囲されていた。お公家さんのようにうっすらと描き眉の模様がある白い猫が、テーブルの上から迫り、椅子の下からは真っ黒な猫が忍び寄る。黒は用心深くて懐かないが、好奇心旺盛で、垂れているリュックの紐にちょっかいを出している。

               26白猫

                    27黒猫

 妻はどちらかというと犬型人間なので、猫に好かれることは珍しい。私は霊場でよく猫と遭遇するジンクスがあるので、代理人として捕まってしまったのかもしれない。
 
※『古事記』によると、祟神天皇の御代、天災や疫病の祟りが止まないので、お告げによってオオモノヌシ(大物主神)の子孫であるオオタタネコ(大田田根子)に祭祀主を勤めさせたら治まったという。
※参照
⇒http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page202.html 現代語訳〔古事記・日本書紀〕
⇒http://kammuri.com/s1/motoise/index.htm 丹後元伊勢伝説
 
 この話から、その霊場の守り主の正当継承者と霊的なホットラインが繋がった時、合図として「ネコ」が登場するのだと、私なりの勝手な解釈をしている。

 妻が固まっているので、私が選手交代。白にニャ~と話しかけると、すかさずハスキーな声でニャ~と返してきた。犬みたいにわかりやすい奴だ。当然のように、膝に這い上がってくる。ちょっと図々しいくらいに懐っこい。黒は相変わらず、椅子の下から、私の手や足に遠慮がちに猫パンチを繰り出していた。

 白黒は陰陽の象徴だろうか。陰陽は勧善懲悪の二元論とは違う。電気のプラスとマイナス、磁石のS極とN極、どちらが欠けても仕事にはならない。陰が開放されてこそ、陽も最大限に力を発揮できる。
 だが、封印されていた黒(陰)が解き放たれたとしても、すぐには外界と打ち解けられない。多少のリハビリとウォーミングアップ期間が必要なのだろう。
 いろんなことを考えさせられた、このたびの北関東巡礼だった。


 [追伸] 
 今後の巡礼日記でも、猫が続々と登場します。猫は「根っこ」にも通ずる。根の国、底の国のお清めであるぞよ。

 そう言えば、古峰神社の狛犬は古典的なデザインだけど、犬と言うより獅子舞の獅子。つまり、猫科に見えます。
               狛犬1

               狛犬2


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五右衛紋☆Rhapsody
ふ~ん。すると男体山の遥拝ということで、建てられた神社だったのかしら。
2013.10.25 02:25
目黒駅は品川区
ここの鳥居は男体山の方角向いてる!
地図を見ればすぐにわかります。
で、登山道登っていくと、ハガタテ平というところで、男体山がドーンと目の前に広がります。
2013.10.22 11:20

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スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


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1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
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古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

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