スポンサーサイト

--,,--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

御岩山 ~ まつろわぬ天津神の潜む常陸国② ~

2007,,18
 (前回からの続編)
 日帰りもできる距離ではあったが、一泊してもうちょっと探索してみよう、というのが今回の常陸国紀行であった。
 翌日に星信仰関係の他の神社を巡るつもりだったので、かなり南下してきて、その日は笠間の近く(桜川市)の※雨引観音に寄ってから宿に入った。(※坂東観音霊場第二十四番札所。この寺もなかなかいいところだったが、今回のテーマとずれるので紹介はパス!)
 当初の予定としては、やはり星神信仰を隠した修験の霊場とおぼしき加波山あたりをねらっていたのだが、神主に聞いた大甕神社の旧跡地(大甕山?)のことが気になってしょうがない。必死に地図をめくってみるが、さっぱりわからない。こんなことならもうちょっと詳しく聞いておけばよかった。資料を調べて探索するのはいいのだが、どうも現地でのインタビューが苦手である。話を聞きだすという心の準備ができていないのだ。霊場ルポ・ライターにはなれそうもない!?

 そんなこんなしているうちに、妻が図書館から借りてきた『茨城県の山』(山と渓谷社)というガイドブックに、気になるページを見つけた。2004年初刊だから、比較的最近のシリーズ本だろうが、他の一般向けガイドブックではまずお目にかかれないローカル情報満載だ。

静寂が包むひたち最古の霊山をひとめぐり
御岩山(オイワサン)492m
『常陸国風土記』に記載されている「賀毘礼(カビレ)の峰」が、この山だろうと推定されている。かって180を超える神々が祀られていたという山麓の御岩神社から登っていくと、苔むした岩山に奥ノ院があり、頂上近くは、ロック・クライミングの練習場にもなる奇岩怪石がそそり立っている。


 へえ~、こんなところがあったのか。地図で見ると大甕よりはだいぶ北に上って、常磐自動車道を内陸側にクロスする県道36号沿いにある。すぐ手前に神峰山(カミネヤマ)という、曰くありげな名の山もある。
 甕星と建葉槌が一戦を交えたという大甕山とは違うだろうが、さらにその奥の甕星族の本拠地だったのではないか、という期待値がむくむくと湧き起ってくる。まあ、実際のところは謎であり、わからないのだが、ともかくそそられる。
 ということで、翌日、御岩山を目指して、再び日立方面へ。
⇒Bookmark Hitachi 御岩神社 http://www.hitachijc.or.jp/bookmark/JC_menber/JC_otuka.htm

               駐車場、手前

                    1駐車場
 麓の御岩神社の緑豊かな駐車場に着けると、参道周辺を整備する工事職人が休憩をとっているところだった。これから整備されて、どんどん綺麗になっていくのかもしれない。初めての場所なのに、そんな期待が湧いてくる。忘れ去られていた霊場が復興していく兆しは、見ていても楽しい。

               一の鳥居
 白い鳥居は、このへんの特徴だろうか。太白、天白など、金星の中国名を象徴するものか?

          参道

 趣のある参道の並木を抜けたあたりに、県では有名な三本杉がある。

                 三本杉

                    石碑
 天狗が棲んでいて祟りを為すという伝説もあり、地元の人は触れようともしない、という話は後で知った。
⇒御岩山の三本杉 http://www.net1.jway.ne.jp/ja1vgv/sise-30.htm

                    本殿斜め

本殿正面
 やはり小ぶりだが重厚な本殿。(屋根の中央あたりに、うっすらと大きなオーブがかかっているように見える) 神仏習合の修験だった時代が長いので、立派な山門などもあり、建築様式も仏教色が濃いのだろう。

 神社伝来の由緒書きでは、創建時期が不明なくらいの古代神域だが、水戸藩初代が出羽の羽黒修験(湯殿修験という説もある)を勧請した時から神仏混交となった。明治の神仏分離で仏教色はかなり取り掃われたのだろうが、それでも独特の雰囲気は残っている。
 祭神は、「国常立尊、大山祗命、大己貴命、少彦名命、伊邪那岐命、伊邪那美命大国主神、ほか19柱」とあるから、国産み、国造りの神々のオールキャストといった感じ。「御岩山総祭神188柱」という触れ込みは、あたかも此処に一大神界があった趣で、本当だとすれば高千穂や出雲に匹敵する神々の郷だろう。

入四間不動明王1 入四間不動明王2
 表参道の登り口あたりに、竜神が刻まれた黒光りのする逆鉾が祀ってある。「八大龍王神」「入四間不動明王」と刻まれた碑を両脇に従え、社はないが立派な鳥居も立っている。これも始めて見るスタイルで、斬新だった。(入四間はここの地名らしいが、どうも将棋の四間飛車戦法を連想してしまう)

 492mという低山だが、竜神・剣神・巨石信仰などに共通する、独特の原初の威厳がたちこめている。加えて何やら不遇な神々の古代カルマのようなものを感じさせる。邪悪ではないのだが、まわり中の木立や空間に無数の目があって、こちらをじっと見ているような緊迫感があり、妻は「恐い、恐い」を連発していた。
 私はこちら側(「隠れ剣神」の側)の流れをひく人間なので、この種の恐さは快感なのだが、これを「鬼は外」して追い払い、封じこめた側の霊的子孫にとっては、キツくてなかなか近寄れない霊的スポットかもしれない。妻の場合は古代日本の過去世が少なそうで、どちらかと言うと日本のカルマの傍観者的なところがあり、恐いながらも惹かれるものはあるらしい。

賀毘礼神社1 賀毘礼神社2
 ピンと張りつめたほの暗い静寂の中をしばらく登って行くと、奥宮である賀毘礼神社が見えてきた。こちらはチョコレート色の鳥居。

 「賀毘礼の峰」というのは、この地方の神話からきている。『常陸国風土記』にしか登場しない天津神、立速日男命(別名・速経和気命)が、まず里の松の樹に降臨し、その後に引っ越して鎮まった場所が「賀毘礼の峰」であるという。
 「賀毘礼の峰」の所在地は、御岩山とは尾根続きで三角形に並ぶ神峯山や高鈴山のことだという説がネット上では目につくのだが、賀毘礼神社があるのはこの御岩山という不思議。

 また里宮として立速日男命が祀られる薩都神社は、この山並を南南西に下った県道349号沿いにある。
 地図で見ると、このあたりは瑞竜町だとか日月神社だとか、神話心をそそられるような名が並んでいる。しかし、薩都神社の薩都(サツ)にはとんでもない云われがあった。兎上命というこれまた聞きなれない名の神が、このあたりに土着していた土雲(土蜘蛛)族を大量虐殺して、「福(サチ)なるかも」と言ったため「佐都(サツ)」⇒「薩都」になったというのだ。(それじゃ、まるで「殺」だよね)
 なぜ薩摩の「薩」を当てたのか、もしかして血の気の多い薩摩人が入植していたのか。それにしても、その兎上命と立速日男命がいったい何の関係があったのか。単なる地名が神社名になっただけなのか。全く謎だらけだ。
⇒薩都神社 http://www.geocities.jp/kazpom100/1/D/2/J1O1D2.html
⇒薩都神社(常陸太田市) http://www.genbu.net/data/hitati/sato_title.htm

 そもそもヒタチを「常陸」と記すようになったのは、いつ頃からなのだろう。後に「日立」という現代の記述が現れたが、こちらのほうが「立速日男命」との語呂合わせも良く、本来の使い方ではなかったのかという気がしてしまう。東北の古代名である「日高見の国」との対照も、「日立」のほうがよろしい。
 また、「立速日」は、先着天孫である男性太陽神「饒速日」とも音が近く、十握の剣から生まれた甕速日、樋速日など「速日」で括られる剣神グループとの親近性も考えられる。「立速日」も剣神であると同時に、日が立つ=日の出を象徴する神名だったのではないか。出雲の日沈宮との対照で、常陸国は日昇宮だった、というレイ・ラインを補強する仮説はいかがかな。
 ここまでくると、立速日は饒速日の別名か、または世代の違う男性太陽神シャーマンだったのではないか、という空想も広がる。常陸国は太陽神と太陽大王の王国だったのだ。

               見晴らし

               頂上前、巨石
 賀毘礼神社からさらに登っていくと、見晴らしのいい地点を経て、頂上に近づくほど巨石地帯になっていく。
 そして藪の中の尾根道のようなところに、申し訳程度の山頂の目印があった。その先を行けば高鈴山になるが、我々はそこまでもの好きではないので引き返す。

                    天の岩戸1

天の岩戸2
 下りは一部ショートカットの急傾斜の険路を選んでしまった。なぜかと言うと、そこが「天の岩戸」と名付けられた巨岩のすぐ横を通過する道だったからだ。間近で観る巨岩の斜面は、迫力と言うか、快感と言うか、妻がまた「恐い」を連発する。

 険路が終わって、そこから先は行きとは別の裏参道で下ってみた。表参道よりも雰囲気は柔らかいが地味な印象。それとも迫力の巨岩に圧倒された後で、山全体の威圧感に慣れてしまったせいだろうか。

               手水の竜神
 帰る前に、手水の竜神さんにお疲れ様。ここの水がとても気持ちよかったので、空いたペットボトルに入れさせてもらった。

スポンサーサイト

comment

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://seirios2772.blog115.fc2.com/tb.php/53-69f390d9

メッセージボードα

- Information -

スタミナ不足で、ながらくこのブログを放置しておりました。ぼちぼち再開しようかと思いますが、操作のしかたがすぐ思い出せず、コメント認証待ちのかたなどおられましたら申しわけありません。


-- E N D --
.
.

メッセージボードβ

- Information -

拍手コメントというのがあるのを初めて知りました! また、時々、設定が狂うのか、拍手ボタンが非表示になるみたいです。 未だに設定に慣れなくて、すいません!

-- E N D --
.
.

プロフィール

1955年、東京生まれ。 母方先祖は諏訪大社の大祝だったとか。 ツイッタ-のユーザー名:@G_rhaps

五右衛紋☆Rhapsody

Author:五右衛紋☆Rhapsody
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

古典的グノーシスの言うように、この世界が悪の造物主の作品だとは、私は思わない。地球を創造したのは真の神だ。しかし、後から飛来した未熟で歪んだ神が、この地球を乗っ取って、創造主の仮面を被り牛耳っている。最後のドンデン返しの時まで、世の中の9分9厘は、偽せの神や間に合わせの神が支配する、偽せや間に合わせの仕組みなのだと、私は思っている。その騙しと罠の仕組みの中で修行するのが、我々の試練であり、宇宙浄化の雛形としての地球の役割りなのだ。
2008.10.23 『“その後”の黄泉比良坂の歌 ~ 私の「鬼束ちひろ」評 ~ 』http://seirios2772.blog115.fc2.com/blog-entry-13.html より。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ mixiから紀行文の部分を移籍したのが、このブログのスタート。 主に神社仏閣、霊場、スピリチュアル、歴史関係の随筆や論稿を、ここに整理していきます。紀行スタイルが多くなると思います。 執筆は後の時点での回想であり、実際に当地におもむいた日時よりは後になりますが、今後、現地探訪の日付けに統一していく予定です。

タイトルリスト#

検索フォーム

ブログ中のタイトルやキーワードから検索します。

カテゴリ

リンク

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。